乗るか反るかの、結婚相手・伴侶の巻き~三島由紀夫の場合~

乗るか反るか。
輪を掛け、七重にも、八重にも、その道を辿るか。遺伝するのか。
見事に反動。興味の「き」の字すらもが、なくなってしまうのか?意識的に失せさせるのか?
「翌々思えば」どうやらの観点。「だよねぇ」納得したりもするであろう。
特に結婚。伴侶選び当てはまる。
鳥のメスは、結婚相手に自分の父親と良く似たオスを選ぶらしいが、人間の場合、上記の場合のように思う。

群ようこが、自分の祖母をモデルとした小説を読んでいたら、祖母が結婚した相手が、父親とそっくりな一面があった。
「うふふ。親子でもないのに、お父さんにそっくり」(セリフに自信なし)
母親が指摘した場面を読みつつ、思うところがあったのを思い出す。
「類は友を呼ぶ」と言うけど、「友」どころか「伴侶」。縁(えにし)となって「結婚相手」にも繋がりそうだ。
乗る割合は、どれくらいだろうか?反ると半々ぐらいだろうか?
結果、乗る。
母親と妻がよく似通っていた人を、我々は知っている。
本人も気がつかなかったかも知れないが。作家・三島由紀夫だ。

「新潮 日本文学アルバム」(新潮社刊)は、わたしの好きなシリーズ本。文字通りにアルバム形式で、作家達の生涯を辿る。
幼少時代の写真から、家系図。私信その他がわんさか掲載されていて、興味をそそる企画なのだ。
(ん?)
三島由紀夫の絵葉書に、ふと目が留まる。

自決する数年前、夫人を伴いディズニーランド。
本場アメリカのDランドで三島は遊ぶが、「大人の自分でも楽しい場所だったから、子供達も是非、連れてってやりたい」
帰国後、母親に言うほどのお気に入りとなった場所から、長女宛てに送った絵葉書が掲載されている。真ん中に大きな猫の顔がついた奴だ。

  のり子ちゃん。元気ですか?お父様とお母様は、、、、(後略)

普通の父親として子供を呼び、「お父様」「お母様」。
三島が呼んでいたように、自分達を自称する。
が、(ママ)短文を書いた後での、夫人の自称だ。
勝手なわたしの推測だが、「ママ」。
三島が不在の時、夫人は子供達に呼ばせていたのではあるまいか?
「お父様」「お母様」
夫人も呼んでいたと思われるけど(父親は画家・杉山寧<やすし>)「ママ」。夫がいようがいよまいが、正々堂々(?)「ママ」と呼ばれるのが、1つの憧れであったように思う。
「お父様がいる前では、ダメですよ」
「お父様がいない時だけ、<ママ>って呼んでね。<ママ>にして頂戴」。

時は高度経済成長期。米食から、パン食へ。
ちゃぶ台で正座して取る食事から、ダイニング・テーブルで、椅子に座って取る風景へ。
様々がアチラ流へと流れる中で、子が親を呼ぶのも「パパ」に「ママ」。
上流家庭は「お父様」「お母様」、中流家庭は「お父ちゃん」「お母ちゃん」の区別も、なくなりつつあった。
(だったらウチもアチラ系にしましょ。「パパ」「ママ」お洒落だわ。子供だって発音しやすそう。けど、夫が許しそうもない。だったら)
思いついたが、先の名案。夫が不在時だけならいいだろう。
何回かの約束から、秘密の言葉。その内、暗黙の了解みたいになっていた。
よって(ママ)。無意識的が意識を呼んだのだ。

深くを知れば、不思議な繋がり。
少年時代の三島と母親にも似た不思議さだ。

三島が小説を書くのを、父親は快く思っていた。
中学時代から文芸部のホープとして大活躍。同じ両親であるながら、母親は常に大喜びし、父親は常に憂う。由々しき事態と考えていた。
時には夜を徹して、部活動。
ひたすら原稿用紙に向かい、小説を書く息子。休憩時間に合わせ、お茶やお菓子を持って来るのも母親である。
「小説を書くのは、母と私の何とか作業」三島自身も書いている。
母親は、常に良き理解者であり、理想の母親・お母様。何があろうと、温かく庇護だけをしてくれる。
が、オール真逆。優秀だが、いまいち理解できない、由々しき息子と思うのが、父親「お父様」なのである。
由々しき思いをぶちまける為に、強硬手段。突撃突破。某日、二人の目の前で、書きかけの原稿を取り上げ、破り捨てたりした。
今の時代なら、警察沙汰だが、昔は当然。しかし、こんな程度で(?)挫折する母と子では全くなく、絆はますます結ばれる。

少々雑談が長くなった。
三島は、父親としての自分について「実に言葉遣いにやかましい」と言っている。甘い父親であったが、「食事の時は、テレビは絶対禁止」。
厳密に守らせていた。

小説を書くのが、母親との共通点。秘密の作業であったように、夫人もまた、三島の知らない所で、子供達との秘密の言葉を持ち、分かち合った。
「自分の親とよく似た人と結婚する」と言われているけど、妻と母。三島由紀夫も然りだったのかも知れない。

<了>

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