人間って、妬(や)くのね<2>~夏目漱石の巻き~

夏目漱石と言えば、正岡子規。非常に親しい友である。
漱石に俳句を教えてくれたのも子規であれば、落語好きな漱石と一緒に、寄席に通ってくれたのも子規。
とはいうものの、漱石は、心のどこかで子規を妬(や)いた。妬んでいた。

良く知られるが、漱石は望まれてきた子ではない。
生まれると直ぐに古道具屋にやられた。夜店の店先で籠に入れられ、泣いているのをたまたま通りががった姉が発見。「可哀想だと」引き戻した。
元々望まれていない子である。
(チッ!余計な事を)父の思いであっただろう。漱石を妊娠した時、50歳に近かった母は、「こんな年で解任するのは、面白くない」と言った。
その後も又、塩原家へとやられるが、養父母が離婚。養母と共に、塩原性のまま、実家へ戻る。
実母が他界したのを機に、実家を出て友達数人と生活。
ようよう元の「夏目」に戻ったのは、二十歳過ぎだ。実父の「夏目にした方が、いいだろう」愛情からではなく、損得からである。
実の両親からは疎まれ、姉や兄達からも幼少時は、イマイチ扱い。

まるでどうでもいいような扱いをされた自分に対し、子規は違った。
温かな家庭で育ち、目を掛けてくれる親戚迄いた。
改名が許される家柄だ。人生の節目、節目に昔の武士は改名をしていたが、
そういう家柄が正岡家だったのである。しかも長男。大事にされない訳がない。
升之助(べんのすけ)から、昇(のぼる)。通称「のぼさん」。
野球が大好きで、「ベース・ボール」を「野球」と訳した本人である。最終的に「常規(つねのり)」、筆名を「子規」とした友と比べ、漱石は何もない。

改名経験がない。本名の「金之助」、筆名の「漱石」。
以上。だからどこかで「弱みを握りたい」思いが募っていたのだろう。
子規が他界してから、実行あるのみ。自分だッて甘いもの好き。甘党にも拘わらず、子規の甘党を時々、小馬鹿にしたように吹聴したのだ。

はぁ~っ。松本清張の巻きでも書いたけど、妬くのねぇ。人間だからしょーがないか。大人げないとは思うけどね。
                           <了>






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