短歌2首~+ココア・別名西洋汁粉にまつわるお話~

〇濃き滋味も 「西洋汁粉」と 筆三島 
        かつての認識 今昔(こんじゃく)ココア

○天の世も 飲むはココアぞ 亡き母は 
        一族巻き添え 今日も雑談

<短歌は2首とも ©なかむら作>

亡母。
10年も他界した亡母が好きだった飲み物に、ココアがある。
好きを乗り越え、偏愛した。

毎度毎度、季節にになると購入しては、美味しそうに飲んでいた。
森永のミルクココアだ。薄いキャラメル色の缶に入った、高級品。
今でも売っているけれど、格段に高い。
「昭和初期」「山の手」「マダム達の、お洒落な会話」「お三時」。
見る度、わたしが思うイメージだ。生まれも育ちも庶民の亡母とは、
どうも結びつきづらい。

粉ココア。
カカオマスと呼ぶに相応しい食材を、鍋に入れ、牛乳を注いで混ぜあわせては良く作っていた。使う鍋は、決まって行平。ご機嫌だ。
初めてわたしが奨められたのは、4歳ぐらいであったろうか?群馬の社宅に住んでいて、妹が生まれた頃だ。
二階で妹はお昼寝。
1階のあまり広くない台所で、テーブルを鋏み、亡母とわたしがいた。ご機嫌に何かを作るその横顔を、いぶかし気にわたしが見ている。
何を作っているんだろう?良くわからないど、液体のようだ。茶色いような、黒いような、ヘンチクリンな匂いがする。
出来上がった液体を、亡母がコップに注ぎ終える。笑って問う。
「ココア。お姉ちゃんも」
「え~っ、でもぉ、、、」。
夏にアイスコーヒーと出会って以来、飲み物=コーラか、カルピス、アイスコーヒー。以上の定義に何かを加える気などない。
「そぉ?じゃっ、お姉ちゃんの分もママ、飲んじゃおっと!いっぱいのめる。あ~っ、嬉しい」
言いながら、湯気を軽く吹いただけで、一口、二口と飲み進める。
(あんなに熱いの、良く飲めるもんだ)
再びいぶかしく思いながら、不思議な気分でわたし亡母を見ていたのを思い出す。

庶民の母が、何故ココア好きになったのか?
小学生の時、お友達の家でご馳走になった。その家は、お金に不自由していなかったので遊びにゆくと、珍しいおやつや飲み物を出してくれた。
「もう大好き!一番のお友達」
ある日出された飲み物が、ココアだった。西洋的なまったりとした味わいに、心が躍った。
高学年と言っていたから、小学5、6年生時代だ。

亡母は、昭和18年生まれ。戦後と共に育ちがあった。
皆々、生きるのに必死。ボロゾーキンみたいな灰色の日々は、戦後5、6年。昭和25、6年ぐらいまで続いていた。
昭和29、30年辺りで、どうにか脱・ボロゾーキンの世の中となり、明るい兆しも見えだした。
昭和18年生まれの子供は、当時、12歳前後。「小学校の高学年」亡母の記憶と一致する。

<もはや戦後ではない>
昭和31年のフレーズの一年前。とはいえ、まだまだ、庶民は大変だった。ココア=「何じゃ、それ?」。
けど、上記のように、偶々亡母は飲み、(イエッサ!)
「素敵」「好きだわ」「美味しい」と、味覚に照合したのである。
長じて生涯・ココア好きになったのだ。

「西洋汁粉」。
小学生だった亡母が、ココア・ファンになった頃、ズバッと言い当てた作家がいる。三島由紀夫だ。
「潮騒」(新潮文庫他)は、昭和29年に初版が出た作品だ。
ちょいと忘れてしまったけれど、登場人物が「西洋汁粉みたいなもんや」と伝える場面がある。=ドロドロしてる?昭和18年生まれの亡母が、仮に11歳。小学5年生の時に出会ったとしたら、ドンピシャ年譜と相成る。

んが、「ドロドロしてる」訳の分からない飲み物・西洋汁粉に以来、亡母は生涯、虜となっていったあの世でもきっと飲んでいるだろう。

序でを言えば、「西洋どらやき」ワッフルについて山本有三が、代表作で書いている。

<了>



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?