甘酸っぱい青春より、どこまでも澄んだ青色のような青春だった

私の青春は、真夏のような澄んだ青色のような青春だった。
部活動に励み、友達と全力で遊ぶ。
勉学にはあまり励まなかったが、学校が嫌いになることはなかった。

ふいに学生時代の思い出に思いを馳せるときがある。
楽しかったとしみじみ考えるが、戻りたいとは思わない。
きっと戻ったとしても3日が限界だろう。

ずっと恋愛には無縁で、今思えばどうでもいいことで友達と笑いあい
ふざけたことにも全力で遊んでいた。
女子っぽいというよりはサバっとサラッとしていたように思うし、制服のスカートが苦手でジーパンで通いたいなんて不純な動機で高校進学を決めた。
(いまだに中3の担任に会うと、お前の進路指導は困ったといわれる。ごめん先生、そのうち開催予定の同窓会でちゃんと謝ります)
何事にも全力だったあの頃は、ある意味今では過ごせない時間をたくさん過ごせた学生時代だった。

疑うことを考えず、まっすぐに前を見据えて
何事にも全力で取り組んでいたあの頃がとても懐かしく思う。

どこまでもまっすぐだった学生時代

中学時代は部活が何よりの中心だった。
ソフトボール部に所属していたが、先輩合わせ9人という
なんともギリギリな人数だと思うが、人数が少ない分
とても仲の良い関係性だった。
校庭でお絵描き大会が行われたり、待機中に影絵を作って遊んでみたり
部活終了から下校時間になるまでかくれんぼや鬼ごっこをしてみたり。

決して強豪というわけではなく、感覚的には同好会のようなものだったので
ソフトボールを楽しんでいた。
だからこそ、純粋に楽しい!という気持ちで参加できていたと思う。

高校時代になると、膝を悪くした影響で部活動はやめてしまったが
学校生活は、とても愉快なものだった。
授業中に某大晦日特番の笑ってはいけない選手権をしたり、得意じゃない英語の点数を競い合ったり、本当にしょうもないことで笑い転げていた。
箸が転がっても笑える年齢とはこのことだと思う。

幼馴染とも現在も多いと週3くらいで電話をし、おおよそ週1ぐらいでお互いの家に行き来しているが、お互いの家庭事情を知り尽くしているからこそ、小さな相談から、大きな相談までなんでも喋れる間が続いている。
同じ学校だったのは中学までであり、ましてや幼馴染は不登校の時期もあり、学生時代にたくさん遊んだ!という印象はないが、お互いEighterでライブによくいったり、おすすめの給食の日を伝えて学校に来させたり(結果まずいと給食時間中に殴り込みされた)、よくわからない関係性が続いたが、今も仲が良いということは純粋にこの関係性が楽しいからだと思っている。

ただただ笑いがあふれるこの日常が楽しいと思った。

あの頃の私には恋愛より優先したい青春があった

好きな人ができたとか、彼氏ができたとか、学生時代の女子の会話にはつきものだった。
けど、そのころの私には彼氏ができたからどうとか、そんな未来が全く見えなかったし、周りにいる男子はみんな友人として付き合っていた。
だからこそ、恋愛よりも友人たちと遊ぶというのが第一優先であった。

学生時代の同級生たちは今もなお、友人と思っている節があり、
地元に帰ってきてるとなれば、普通に2人でも飲みに行くような関係である。(なんなら奥さんに高校からの友達で飲み仲間とまで紹介しているやつすらいる)

きっと、彼氏という存在ができてしまえばそちらを優先したかもしれない。
けど、作ろうなんて頑張らず、自分を女子らしく装うこともなく、無理せずいられる友人たちと遊んでいる方がよっぽど楽しかった。

そもそも、ショートカットで服装も性格もボーイッシュな女子は高校生にとっては恋愛の対象外であっただろうし、あのころであれば私自身もきっと恥ずかしくて恋人らしい所作などできなかったであろう。

なにより、高校を卒業してから10年以上経つが、年に数回集まれる友達や、帰省したたびに声をかけてくれる友達、ふいに連絡をくれる友達、そんな学生生活より長い間付き合ってくれる友達に出会えたことが一番の財産となっているのだから、甘酸っぱい青春がなくても十分満足している。

年に一度、真夜中の露天風呂で思うこと

高校の友人たちとは、中学が同じだったわけでもない。
なんなら、仲良くなったきっかけってなんだっけ?ぐらいの勢いである。
それでも、毎年のように温泉旅行に行き、真夜中に露天風呂へ赴き、太陽が見える時間には話せないような話をすることがある。
自分の暗くて嫌になりそうなところも、あのタイミングであれば話せてしまう不思議な時間である。

趣味も十人十色で全く違うわけだが、自然と友人たちの趣味の話を聞いていると面白そうで少しわくわくする。
最近はオンラインで趣味プレゼンなるものをしたが、普通に楽しいので、皆さんお勧めです。

どんな内容でも受け止めるし、受け止めてくれる(私が勝手にそう思っているだけならごめんw)あの時間は私にとって有意義だと思っている。
移動中の車の中でさえ本当にどうでもいい話をしているのに、何歳になっても笑いが絶えないのは、いい意味で高校生から変わってないのだと思う。

旅先の真夜中の露天風呂で、毎年私はこの友人たちに出会えて幸せだと実感するのだ。

どこまでも澄んだ青色の先

今、私が思えることは、人に恵まれた人生を歩んでいると思う。
仮に、どこかでいじめられたとか、あいつうぜえなって思われていたこともあるかもしれない。
けど、私がそれに気づいていないのである。
単純に私が鈍いと思うこともあるし、人の裏の心理まで考えると心の疲弊がものすごいため、シャットアウトしている節もあるが、私の周りにいて胸を張って友人だと言える人は疑っていないし、恐らくどこかで言われていることに気づいたら教えてくれるだろうと思う。

実際、裏切られたことはあまりないし、苦手そうだと思った人からは自分から離れていくようにしている。
だからこそ、今いる友人たちは全力で信用しているのである。

もちろん、ここに記載していない友人(小中高大時代の友人)も全力の信頼を置いているからこそ、取り繕った私ではなく、ありのままの私でしゃべっている。

私に何かあったとき、私の代わりに感情をむき出しにしてくれて、ただただ話を聞いてくれて、率直な感想を言ってくれて、気分転換に付き合ってくれるような友人たちに出会えたことは、甘酸っぱい青春よりどこまでも澄んだ青色の青春を送った私ならではないだろうかと、改めて実感している。

そして、学生時代に感じていたどこまでも澄んだ青色は、今もなお、淀むことなく澄み渡った青色で私の中に存在している。

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