おやすみ おはよう 僕です。 前回の続きを書こうとおもいます。 相変わらず自己満足です。よしなに。 適応障害ふたたびうつ病の療養しながら就活して いわゆる準公務員、団体職員?かな ぼかして言うけどそんな感じの職についた。 自分でもよくやったなとおもう。 離脱症状も もちろんあったよ。 早く社会に出なくては、普通にならねば。 その一心で踏ん張った。 でも、やっぱり希死念慮って背後にいるんだよ。 適応障害の再発のきっかけはパワハラ。 その女性上司はとにかく 情緒がひどか
おはよう おやすみ 僕です。 当方 現在進行形で精神疾患と闘っています。 今まで頑張ってきたことが自分の中で薄れそうで 自信が持てなくなりそうだったから。 振り返りと記録のためにここに残します。 自己満足ですので、あしからず。 【適応障害の発症】高校2年の春、文系の特進クラスに進んだ。 もはやどこから間違っていたのか分からない。 小学校でも中学校でも「いじめ」にあって。 死にたいとすら思って首吊りのマネをして。 でも怖くてふみとどまって生きて。 田舎だから、高校に
こんばんは。僕です。 amazarashiのライブレポ書くぞ!と 言っておきながら早4ヶ月もたってしまいました。 正直に言ってしまうと、 ライブどころではなくて 心ここにあらずでした。 なにも覚えちょらん…。筆がすすまない。 なんでだよって思うよね。 実は青森公演があった11/30の前週だったか。 11/21の火曜日に、祖母が入院してしまって。 2022年の春に癌宣告をされてすでに1年と 半年ちょっと、たった頃のことでした。 いつも通り通院して、帰ってくると思ってた。
いきなりの激重タイトルですね。 こんばんは。僕です。 さて皆さんは1度きりの人生を 手放したいと思ったことはありますか? 僕は小さい頃から入退院の日々を送り 成長しても持病に悩まされ 心身ともに壊れた時期もありました。 PCみたいに人生ログアウトできないかな〜 なんて思ったこともしばしば。 ていうか今でもそう。 僕は今、適応障害と闘っています。 (精神疾患といえば偏見が強い世の中ですが) ここでは割愛しますが 日々、投薬しながら社会生活を送っています。 やってらんない
「僕」は心の防護壁。 言葉にするとたぶんこう。 僕は幼少期から「わたし」と自分を称することに違和感があって。女の子らしくしなさいとか女の子なんだから、とか言われる度に苦しくて。 子供の僕は親の目と学校の人間たちの目が怖くて繰り返しわたしと呼ぶことで、ごまかしてごまかして「私」を作ってきたんです。 でもつかれちゃうよね。 唯一自分をまもるための精一杯が「僕」と 心の内でつぶやくことだった。 世間の目って怖いよな。 自分らと違うだけですぐ後ろ指をさす。 僕は僕なのに。