見出し画像

この心と体で。闘病の記録①

おはよう  おやすみ   僕です。
当方 現在進行形で精神疾患と闘っています。
今まで頑張ってきたことが自分の中で薄れそうで
自信が持てなくなりそうだったから。
振り返りと記録のためにここに残します。
自己満足ですので、あしからず。



【適応障害の発症】

高校2年の春、文系の特進クラスに進んだ。
もはやどこから間違っていたのか分からない。
小学校でも中学校でも「いじめ」にあって。 
死にたいとすら思って首吊りのマネをして。
でも怖くてふみとどまって生きて。

田舎だから、高校に進学しても、どこにでも
小中の同級生はいるもので。全校生徒から指を刺されるくらい馬鹿にされていた僕は、諦めて絶望しながら自分の頭に見合ったところに惰性で進んだ。

「さすがに特進クラスだし、クラスでは静かに過ごせるよね、勉強だけしてたらいいよね。」
なんて甘い考えは通じないもので。
いわゆるパリピ?クラスとでも言おうか。
イベント事はガチで取り組むし、
体育祭とか文化祭も熱量がすごい。
休み時間は常にザワついて盛り上がってるし、
昼休みは友達同士で固まって食べる。
勉強してるやつなんてほぼいない。
おまけに1番この世で大嫌いな同級生と一緒。
正直心が折れた音がした。ほんとに。

昼休みに教室内で僕の食べる席はない。
だって少しでも机から離れると他人の弁当箱が
鎮座してあるのだ。予約席じゃないぞここは。
誰とも話さないで本を読みながら食べてるか
もしくは食べずに寝てる ひとりの僕は、
「友達と弁当を食べたい人間」にとっては邪魔なのだ。たびたび保健室に弁当を持参する僕をみかねて養護教諭が「毎日」保健室で昼食をとっていい許可を出してくれたのが唯一の救いだろうか。

ひとりでいるのが悪いことのように、腫れ物のように、先生やクラスメイトが話しかけてくるけどそれが苦しくて。他人と好きな物や好きな事がズレてるだけでこんなにも寂しさがつのって。
大嫌いな同級生は幸せそうで。
気が狂いそうだった。いや、狂ってた。

ある日突然大好きだった英語の授業が頭に入らなくなったのだ。考えようとしても頭が真っ白になって、分からなくて動悸がして、怖くて、なんでと自問自答するばかりで。他の授業でも集中したいのに集中できない状態で。クラスメイトの発する音が耳障りで、常に頭が痛かった。辛かった。

それから授業中に倒れて、養護教諭と面談した。
ここではじめて心療内科に行くことになった。
「適応障害だね、卒業すれば治るよ。」
人生1発目の診断がおりたのである。
治療は漢方が中心だったな。

「自分はいま普通じゃないんだ。」
なんか、そう思ってしまって、卒業するまで耐えなきゃ、頑張らなきゃって。苦しくて。
でも怖くて電車にすら乗れない日もあって。
登校できても教室に入るのが無理で。
教室にいれても授業が頭に入らなくて。
昼休みがきても居場所はなくて。
帰りの電車だけが僕の救いで。
母に苦虫を噛み潰したような顔をさせてしまったのが余計に辛かった。頑張れなくてごめん。

それでも意地で卒業するまで
養護教諭に助けてもらいつつ、登校して。
担任とも心機一転のために県外に進学することを相談して、勉強して、合格した。

担任曰く合格報告時の僕の顔は明るかったそう。

【それでも続く適応障害】

割愛しますが、大学生になっても適応障害は治らなかったよ。嘔吐が止まらなくて心療内科へ受診ふたたび。当時は男性が苦手だったから女の子しかいない大学に行ったんだ。最初の友達づくりは上手くいったはず。僕と学寮が同室の子に友達のこと紹介したら、その子たち同士で仲良くなっちゃって、あれれ?って思ってたら除け者にされた。同室の子が居場所ない;;って悩んでたから、同じ学科だし一緒に過ごそ〜言うて誘っただけなのに。気を利かせた僕の善意は。
へえ、そうですか。
君たち、どっちも僕の友達でいてくれないのね。
な〜んだここでも寂しさは埋まらないんだ。
僕が普通じゃないから?世の中とズレてるから?
友達ってなに?僕の存在ってなに?
僕って普通じゃないの?
あれ、どうしよう。消えたいかも。
吐いても吐いても、吐いても、止まらない。

【うつ病まっしぐら】

大学の勉強自体はたのしかったんだ。
でも就活しなきゃいけない時期で、さらに資格取得のための講義真っ最中で、僕は入院してしまった。簡単にいうと腎臓の炎症で。退院明けに大学の事務局行って公休にしてもらおうとしたけど無理で(意味わかんないよね)、教授に事情説明しても厳しくて単位試験受けさせてもらえなくて。
もうぜ〜んぶ絶望しちゃった。0or100思考。
図書館司書の資格取りたくてここ入ったのに。
自暴自棄ですよ。涙も枯れるわ。無気力。
ここに母からのLINE連絡が猛追。
遅めの反抗期だったせいもあって煩わしかった。

唯一話せて信頼してて合鍵もらってた先輩の家に
入り浸ってたら精神科勧められた。
ずっと俺ん家で寝てるじゃんって。
適応障害からうつ病になった日だった。
それからゼミの教授と相談して、卒業できるまであと卒論書けばいいだけだったから、大学やめないで地元に帰ってゆっくり書いた。
書けるところまででいいって、やめるのもったいないって言ってくれてありがとう、先生。
おかげで卒業できました。

それと、あの時、死ぬなよ卒業式来いよって言ってくれた君へ ありがとう。生きれたよ。

【うつ病の治療に1年】

大学卒業後は地元に帰って1年ほど療養しました。
この頃はサインバルタなどを服用してた。
生活リズム整えることからスタートして、
日光ちゃんと浴びて飯食って寝る。
セルフネグレクトしてたから、虫歯もいっぱいで歯の神経殺してまで治療するハメになった。
それと、認知行動療法もはじめた。自分で。
あいつ今頃パフェ食ってるよとか、いろいろ本買った。父と母に読んでもらって内容だけ教えてもらった。本が読めないので。
朝起きてもめまいがするので、母に手伝ってもらいながら起きたり。過眠がひどいときはそっとしておいてもらったり。

この療養期間で、両親にいじめられていたことを言えたのと、父に泣きながらハグされて謝られたこと、母が祖父は毒親で、子の自分もそうなってる部分があるって少しずつ分かってくれたこと、が大きかったかな。なんだ、ちゃんと僕愛されてんだ。

段々あの頃の自分を抱きしめられるようになった。鏡で自分の顔ちゃんと見れるようにもなった。電車も乗れるようになった。
どうしても自己肯定はできないけど。

就活も療養しながらしてたから
ほぼ荒療治だとおもっています。
薬も半年で勝手にやめました。
良い子は絶対にマネしないように。

結局 希死念慮を見て見ぬふりをしてた。 
早く普通にならなきゃ、その一心で。




長くなっちゃった。
書くの疲れてしまったので、後半は次回。