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苦労

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私が教師だった頃ある年配の教師から言われたことがある。
“君は全く苦労のかけらもしたことがないようなお嬢様然とした顔をしているよね。”
その言葉はまさに私の芯をついていて、今も私の中に突き刺さったまま、時々痛みを伴って顔を出す。

あれはもう5年くらい前のことだろうか。
一人の中年日本人男性がギャラリーにやってきた。話を聞けば日本で美術教師をしているという。
彼はギャラリーの展示を見た後、意を決したように私に話し始めた。
彼は結婚もせず、自宅で自分の母親と暮らしながら教師をしてきたが、その気楽さはいつの間にか、何も成し遂げていない自分への失望感に変わっていった。
それで教師の職をキッパリとやめてドイツで美大生としてもう一度自分の人生をやり直したいということだった。

私がここドイツに来たのも彼と似たような思いを持ったことがきっかけだったから、私は彼の話を内心とても好意的に捉えたけれど、でも同時に初めて会った彼に熱を込めて同意するのも憚られて、たしか、“勇気がありますね。頑張ってください!”と通り一遍の返事を彼に返したような気がする。すると彼は唇を噛むようにして俯いたかと思うと、絞り出すような声でこう言ったのだっだ。
“僕には何もない。
今までに何か成し遂げたこともないし、自分がこれから何物にかなるなんてことはないはずです。僕の才能からすればそんなこと一目瞭然です。
ドイツに来て学生としてやり直したい、それは僕の正直な思いだけれど、でも本当にそんなことが実行できるか、とも思うのです。苦労に向かって進むことが怖いとも感じるのです。“

彼を意気地がないと笑うことができるだろうか。
苦労を自ら背負い込んでそれを乗り越えていく人々は確かに素晴らしい。
でも大きな辛苦を経験することもなく、それを避けるようにを生きてきた人を劣っていると言えるのだろうか。
私にはよくわからない。
ただとてもよくわかるのは、彼の自己の人生に対する焦燥感や空虚さである。
でも思う、何者でもない自分はその変哲もない生涯が終わるまで飽く事なく付き合って生きていく必要があり、そんな自分の人生でも投げ出すことなく最後まで全うしなくてはならない。

そう、それこそが何かを成し遂げることなのではないかと。

彼は今頃どうしているのだろうか。日本のどこかの街で美術教師を続けているのだろうか、それともドイツのどこかでアーティストとして暮らしているのだろうか。

今日紹介するのは池田晃将さんの作品である。
彼は日本の漆工芸を大きく変えた人である。伝統工芸としての漆作品は古い時代の産物として敬遠されていたが、彼によって現代漆工芸は甦ったと言えるほどに超絶技巧を駆使した斬新な作品を作り出している。まさに彼は今日本の漆工芸を背負っている。

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