中間報告的な話を直球で投げてみる~または「すべつな」とは
「プロローグ~」という記事を書いてからまもなく半年。
それまでうっすらと頭の中にはありながら、具体的な行動に移すことが出来ずにいた断薬を実際に始めたのがこの頃だった。
考えてみれば「薬をやめる」ことを「はじめる」というのはおかしな書き方だが、自分なりの意味はある。
断薬とはただ薬を飲まなければ良いわけではなく、薬を飲まなくても不具合なく良好に生活を送れなくては意味がない。
だからこそ症状が起こってしまった原因を掘り起こすために、根本となった心身の状態を見つめてあるべき姿に整えることが肝要。で、その結果に健康がついてくる。
そう考えると、医師や薬に症状を抑えることはできても、症状の原因を根本から癒すことは自分にしかできないし、自身の意思が何より必要な要素だと気付かされるのだ。
かつて「バセドウ病」と診断された私が処方されていたのは「メルカゾール」という薬。
この診断を受ける時「服薬で良くなることが期待される」とまずは安心感を与えられ、その後で「ただし自己中断すると再発もしくは悪化するので自分の判断で服用をやめないように」と、ちょっと脅かされた。
もちろん医師は職務として、或いは善意から忠告をくれるのだと我々は信じている。
しかしその言葉は「勝手にやめたら再発するってこと?」と、患者の心に一種の呪いのように刻み込まれるという事も、またもうひとつの事実。
こうしたやり取りの中で依存関係が結ばれた医療機関と患者は、自分の「健康」を他人任せにして、「(健やかに)生きる」という基本的な生き物の営み(=自分事)さえ「専門家」という他に預け、やがて自身の身体に目を向けなくなっていく。
そこで諸君。今こそ問おう。
自分のことを他人に任せたままで、それで安住の地が手に入ると思うか?
中島みゆき姐さんも言っているじゃないか。
「おまえのオールをまかせるな」と。
自分が自分のことをやらない人生なんて、他にどんな意味があるというのだろうか。
しばらく薬を飲まない期間を挟み、5年ほど経った頃再び症状が現れた。
今まで発症しなかったのは何故だろう。そして何故また発症したのだろう。
思い返せば初めて受診したのも二回目の時も、症状に気付いたのは暑さ厳しい夏だった。
やけに身体がしんどいし、やたらめったら汗をかく。
元々汗っかきの暑がりではあるが、体力の奪われ方が半端なく、はじめは「夏バテか?」と。さもなくばこれが噂の「寄る年波には勝てない」ってやつかと思っていた。
しかし幾ら暑さが緩もうが、もりもりご飯を食べようが、激減した体重は一向に戻らない。そこでようやく身体の異変が病的であることに気が付いた。
近年の極端な環境変化の中での負荷の高い活動により、体温調節、エネルギー代謝など、身体の機能がバランスを保てなくなったのか?それとも極度のストレスにより、身体の機能が正常に働けなくなったのか?いずれにせよ思い当たる節はある。だとすれば、やっぱりこれも自律神経の乱れが関係しているということ?というより、むしろ自律神経の乱れこそが、甲状腺がおかしいのも骨や爪が弱いのもその他ここに書いていない様々な症状を引き起こしている原因と考えるべきなのか・・?
病名の事を考えてみても自分にわかることはない。なのでかわりに症状を出さない為に、元々ある機能にちゃんと働いてもらう事を考えるしかないということで、今はとにかく自律神経が整う生活を心がけるという、かなりオーソドックスな方向へ向かうことになった。
結局、昔から伝わり繰り返されてきたやり方が、一番自然の理にかなっているのかもしれない。
ここ数年、私にとって「夏」は鬼門だ。
何故だか夏になると毎年大きな「何か」が起こり、ロクに働けないまま気が付くと夏が終わっている。
去年は抜釘手術があり、一昨年は骨折、その前の年がバセドウ病の再発で、更にその前年は台風の当たり年。10日を超える停電に見舞われ仕事どころではなかった。
今年は今のところ何事も無くここまで辿り着いたが、この調子で無事に四季を過ぎ越したいものである。
二度目の発症は三年前の夏。仕事中、覚えのある極度の疲労感と激しい動悸などで即座に再発を疑った。
というのも、その数週間から数か月前だったろうか。時折物が飲込みにくいことがあり気になっていた。甲状腺の腫れも一瞬は疑うが、触ってもあまり感じられず気のせいかと思い直す、というのを何度か繰り返していた。
その後、仕事が困難な程度に症状が進んだため投薬治療を再開したものの、今年の春には一念発起。「プロローグ~」の記事へと続き、現在に至る。
通院をやめ服薬をやめた後しばらくは、やや不安があった。
原因がはっきりしていないが故に解決方法もわからず、以前と変わらない生活を続ける以上はいつまた再発するかもしれず、わずかでも体調変化があると甲状腺の異常ではないかと気になった。
「不確かな治療から解放される」という心の自由を得たが、「漠然とした不安感」という心を縛る不自由な領域が一時的に広がったことも確かだった。
実をいうと断薬する少し前からだろうか。喉なのか首なのかはわからないそのあたりに、また多少の違和感を感じた。調子が悪いわけでもなく甲状腺の腫れでもなさそうな気はするが、どことなく変な感じ。
・・あれ?
私ってこんなに首太かったっけ・・<つづく>
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