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忘れられない

昼すぎの電車は左のひとも、右のひとも、前に座るカップルも、寄りかかりながら、みなうとうとと眠気の渦のなかで大遊園。素敵な光景。日本というのは、もちろんキチガイじみたひともいるっちゃいるけれど、でも大抵は平和なのだ。

久々に徹夜してみたので、脳みそが寝ぼけてふわふわと波うつ。身体や意識や言葉という、いろいろな器官の動きがスローモーションになっていく。ABRAのFruitという曲が流れる最中、そのハイアットが、耳の奥のさらにいちばん奥に巣食う三半規管というところでぶつかりあって、左の耳と右の耳からはいってきた電流が、顔を真っ二つにしたちょうど中央のあたりで混ざり合って、まるで核融合のような爆発が起こっているのではないかと、目を閉じながら、この頭も一つの小惑星なのかもしれない、と考えはじめていた。

なんとなく雰囲気の良さそうな古本屋をGoogle mapでタグ付けしてみる。好きなもの、たくさんあるけれど、そのどれもにかならずそれの本というものが用意されているので、本屋に行くだけで落ち着く。

本に囲まれていると、そのタイトルどれもに面白みを感じて、うっとりとする。

名前は知っていてもまだ読んだことのない本などをぱらぱらとめくって、気に入ったら買った。

仕分け作業か、暇人のやることなのだろう。

夕方は祖父の家で、半年前に亡くなったひいおばあちゃんの使っていたベッドなどを粗大ゴミを移動させるお手伝い。

タンス、ベッドを解体して、9往復して粗大ゴミになっていく。ひいおばあちゃんの50年の歴史が、1000えんのごみ券によって捨てられていってしまう。タンスはあまりにも埃っぽくて、そして拭えない年季の香りがする。

なんだか寂しい気持ちになっていると、粗大ゴミシールの貼られたタンスの横に、花たちが咲いている。花たちは、風を受け入れてなんだか楽しそう。ゆらゆらゆらゆら。少し心が落ち着いた。

主人公に拍手をおくりたいと思うような物語とはどんなものなんでしょうかと考える。

そうして、抱きしめる。マーブル模様がさらに溶けあっていく。顔が見えなければ、あの人だ、あの人だ、あの人とわたしは今、抱き合っているんだ、と念じる。


言葉のひとつひとつが、羽を持ったようにページからぺりぺりと離れて宙に飛びたち、いくつかがまとまってダンスをすると、次第に言葉はかたちを失って、あるときは海へ、あるときは失恋の闇のなかへ、そうしてあるときは絶望の深淵へと、わたしの目の前の光景をがらりと変えてしまう。

彼はまるで小説のようなひとだった。

食べかけのどろどろとしたプリンの溝にカラメルが入りこんで、色が混ざりあっていくように。

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