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【読書メモ】今週読んだ4冊


『レーエンデ国物語』多崎 礼


毛布にくるまって読みふけった
あの頃のあなたへ――
家を抜け出して、少女は銀霧が舞う森へと旅に出た。
こんなファンタジーを待っていた!
ーーー
異なる世界、西ディコンセ大陸の聖イジョルニ帝国。
母を失った領主の娘・ユリアは、結婚と淑やかさのみを求める親族から逃げ出すように冒険の旅に出る。呪われた地・レーエンデで出会ったのは、琥珀の瞳を持つ寡黙な射手・トリスタン。
空を舞う泡虫、琥珀色に天へ伸びる古代樹、湖に建つ孤島城。ユリアはレーエンデに魅了され、森の民と暮らし始める。はじめての友達をつくり、はじめて仕事をし、はじめての恋を経て、親族の駒でしかなかった少女は、やがて帰るべき場所を得た。
時を同じくして、建国の始祖の予言書が争乱を引き起こす。レーエンデを守るため、ユリアは帝国の存立を揺るがす戦いの渦中へと足を踏み入れる。

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・(異性愛)恋愛要素もある大長編ファンタジー小説。
・「王道ファンタジー!」「こんなファンタジーを待っていた!」みたいな宣伝文句が踊っていて目についた。・・・めちゃくちゃひん曲がった邪推をすると、「本作は王道ファンタジーですよ! 近頃あふれている転生日本人や悪役令嬢なる存在は出てきませんよ!」ということを言いたいのかもしれない。と、思ったり。
・「自分の人生は自分で決める」が物語のテーマの一つ。本作の時代設定は私たちの世界に当てはめるなら中世〜近世あたり。名家に生まれた自分は親に結婚相手を決められるのが当たり前だと思っていた主人公の少女が、新天地で生活するなかで新しい価値観を身に着け、人生の自己決定権を知る話。
 たまに「ファンタジー世界に現代的価値観を持ち込むな!」というケッタイな思想の持ち主がいるけど、そういう人には向いていない作品かも。
・本作がどのくらいのレベルでファンタジーかというと、剣はあるけど魔法は無い、という感じ。「光る虫を入れたランプ」や「化石化した古代樹をくりぬいた内部で生活する民族」は出てくるけれど、魔法やドラゴンは出てこない。原理不明の超常現象は一つの例外を除いて出てこない。
 その一つの例外というのが、突如として発生する「幻の海」という現象。レーエンデ国において満月の夜に局地的に発生する銀色の霧であり、霧の中には幻魚と呼ばれる実体の無い幽霊のような魚が泳ぐ。幻の海に飲み込まれた者は「銀呪病(ぎんしゅびょう)」という不治の病に冒されるため、レーエンデの民から恐れられている。これは原理がまったくの不明であり「なぜ幻の海が発生するのか」といった説明はなされない。ファンタジー世界でもリアリティがあるものと、リアリティを超越したファンタジー度の高いものを区別しているのが世界観の作り方が巧いな~と。
・主人公たちの目的は「レーエンデ国と外部の国を繋ぐ交易路を確保する」ということ。舞台となるレーエンデ国は外部から孤立しており、交易や学術的交流に乏しい。そのため交易路を築けば学者がレーエンデ国を訪れることにもなり、いまは不治の病とされている銀呪病の治療法も発見できる。
 一般的に、小説における主人公の目的は「敵を倒す」「恋を実らせる」などの読者たち一般人にもイメージしやすいものが多いので、「交易路の確保」は自分に引き寄せてのイメージがしにくいんじゃない? と思っていた。けれど物語が進むにつれて、舞台となるレーエンデにいかに交易路が必要なのか、それが開通することでどれだけの人が助かるのか、ということが分かってくる。国は栄えるし、銀呪病で苦しむ人々を救うことだってできる。中盤あたりになると読者である私も「交易路、一刻も早く開通してくれ~!」と思うようになったので、物語の構成がとても巧い。
・主人公はレーエンデ国の外から来た名家の少女と、レーエンデ国で暮らす弓使いの青年のダブル主人公。ふたりの視点から物語が紡がれる。少女が主人公となるパートではレーエンデのいち集落での日常生活の営みと、青年への淡い恋心を描く。青年が主人公の時は交易路確保に向けた活動と世界情勢の描写が主となる。主人公を分けることでレーエンデ国という舞台の描き方をミクロな視点とマクロな視点に分ける手法もなかなかに巧い。
・男性キャラ同士や男女間の繋がりだけでなく、友情だけど女性キャラ同士の繋がりもしっかり描かれているのも良い。


『世界と私のAtоZ』竹田 ダニエル


Z世代って何を考えてるの? 
SNS、音楽、映画、食、ファッション
Z世代当事者がアメリカと日本のカルチャーからいまを読み解く画期的エッセイ!
Z世代が起こす優しい革命に、私も参加したい。
    斎藤幸平(経済思想家)
世代論の本懐は「世代」というステレオタイプの境界を解消することに
あるんだと気づいた。
    後藤正文(ミュージシャン)
未来を作る作業は、
Z世代の多様で切実な声に耳を傾けるところから始まる。
    佐久間裕美子(文筆家)
◯「弱さ」を受け入れる ◯「推し」は敬意で決める ◯「文化の盗用」って? 
◯買い物は投票 ◯「インスタ映え」より「自分ウケ」 ◯恋愛カルチャーの「今」
◯すべての世代が連帯し、未来を向くには
<Z世代とは?>
1990年代後半から2010年頃までに生まれた世代。デジタルネイティブで、社会的不平等、人種差別、ジェンダー、環境問題に対して関心が高く、変革への意識が強いとされる。

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・ノンフィクション。
・大人のみんなはZ世代にいろいろ期待しすぎだし、何かしら背負わせすぎじゃない? と思っている自分が読んでみた。
・一冊の本として内容に一本の筋が通っているというよりは、各章でZ世代の置かれた状況や彼ら彼女らの考え方について、それぞれ異なる視点から説明して考察している構成となっている。雑誌で連載していたコラムをまとめた本なので、一冊の本としての一本柱が薄いのも仕方なしかな。
・Z世代以外にもアメリカには色んな世代の区分けがある。1928年~1945年ごろに生まれた「沈黙の世代」、1946年~1964年の「ブーマー世代」、1965年~1980年の「X世代」、1981年~1996年の「ミレニアル世代」。そして1990年代半ば~2010年序盤に生まれた「Z世代」。
・ミレニアル世代は日本でいうところの「ゆとり世代」。大人たちからいろいろヤなことを言われてきて、自分でもときどき自虐ネタをかます、などの共通点がある。
・Z世代の間では仕事との向き合い方が注目されている。人生のなかで多くの時間を捧げることになるのが仕事というもの。選ぶのに慎重にならざるを得ないのは当然であり、また、仕事のあり方自体も見直す動きが広まっている。
・反資本主義的な考えがZ世代で広まっている。大人たちは資本主義に迎合して醜態を晒し、環境を破壊してきた。それにより若者の未来を脅かす彼らを見ていたら、資本主義そのものに疑問を抱くのも当然と言える。冷戦を経験していない世代なので共産主義への忌避感もなく、資本主義に異を唱えるハードルが低いのも理由の一つ。冷戦時にそんなことを言ったら問答無用で「アカ」認定されたもんね。あと、TikTokではマルクスやエンゲルスの読書が流行っているらしい。マジか。
・「Z世代の働き方」のようなハウツーはまだ確立されていない。いまはZ世代の年長者がようやく就職したばかりの頃なので。
・「Z世代はラディカルだ」というよりも、ラディカルにならざるを得ない、と言ったほうが正確である。自分たちがこれから働いて生きていく未来をより良くするために行動しなければならないから。これまで「普通」とされてきた資本主義における労働搾取の構図に異を唱える必要がある。
・環境問題もラディカルにならざるを得ない理由のひとつ。2050年には地球上で人類が生活するのが困難になると示す研究もある。2050年といえばZ世代はまだ40代~50代。そのころにはとっくに死んでいる大人たちがこれまで好き勝手してきたせいで、自分たちの未来が奪われる。黙って見ているわけにはいかない。
・Z世代は収入よりも自身のメンタルヘルスを重要視する傾向にある。自分のメンタルを犠牲にしてまで資本主義に迎合する意味はないと。そりゃそうだ。
・スピリチュアリティを生活に導入するZ世代が増えている。それと反比例するように、日曜礼拝などのキリスト教行事に参加する割合は減っているとのこと。従来の宗教から距離を置いて、YouTubeで星占い動画を見るなどのもっとライトでポップなスピリチュアルを求める傾向にある。デジタルネイティブで子どもの頃からネットで動画を見て育ち、そのなかには将来への不安を煽るようなものも少なからずある。そんな不安を抱えたZ世代にとって、自分にゆるく寄り添ってくれるスピリチュアルなものを信じることは心の支えとなる。コロナ禍で青春を過ごした不安定な心なら、なおさら。星占いは星の配置という「すでに決まっていること」を元に占うので、流動的な激変の時代を生きる若者にとっては「ずっと動かずにいてくれる運命」として救いに感じるのだろう。
 なお、キリスト教は「宗教保守」という言葉があるほどに保守的な考えが強いので、Z世代にとっては距離を置きたい存在となっていると考えられる。
・などなど、さまざまな視点からZ世代について語る本なので、Z世代の人も、上の世代の人も、はたまたZ世代より若い人でも、「Z世代」という概念に関心がある人は読んでみると吉。
 余談だけど、Z世代より後の世代はこれからなんて呼ばれるんだろう。


『夜に星を放つ』窪 美澄


かけがえのない人間関係を失い傷ついた者たちが、再び誰かと心を通わせることができるのかを問いかける短編集。
コロナ禍のさなか、婚活アプリで出会った恋人との関係、30歳を前に早世した双子の妹の彼氏との交流を通して、人が人と別れることの哀しみを描く「真夜中のアボカド」。学校でいじめを受けている女子中学生と亡くなった母親の幽霊との奇妙な同居生活を描く「真珠星スピカ」、父の再婚相手との微妙な溝を埋められない小学生の寄る辺なさを描く「星の随に」など、人の心の揺らぎが輝きを放つ五編。

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・寂しさを抱えて婚活アプリにいそしむ女性、人妻に恋した男子高校生、母親を亡くした女子中学生、妻子に逃げられた男性、再婚した親と暮らす男子小学生。「完璧」ではない家族や恋の形を描いた異性愛短編集。
・収録されている話は、大きく分けて「大人の恋の話」と「小学生~高校生が抱える懊悩の話」となる。ちなみに前者は主人公が全員30代であり、20代のまだ若さを残した明るい恋愛バナシは無い。人生に疲れが滲みはじめた年頃の、独特の熟した味わいがある。
・全5話のなかで3つの話に「子供を持って疲れ果てた母親の話」が出てくる。共通のテーマと言えばそうだし、クドいといえばクドい。
・タイトルの通り、ほとんどの話に星がキーワードとして登場する。それぞれの話は独立している短編集だけど、このように共通のキーワードやテーマを入れて一冊の本としての背骨を通す、という手法はよく使われる。きっと有効なのね。


『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』椎名 美智


「させていただく」は正しい敬語? 意識調査とコーパス調査で違和感の正体が明らかに。現代人は相手を敬うためでなく、自分を丁寧に見せるために使っていた。明治期、戦後、SNS時代、社会環境が変わるときには新しい敬語表現が生まれる。言語学者が身近な例でわかりやすく解説!
「させていただく」の研究書で異例のヒットを記録した言語学者が、身近な例でわかりやすく解説
相手への敬意より自分のために敬語を使っていた
・使われるうちに敬意がすり減る「敬意漸減の法則」
・「敬意のインフレーション」で敬語がてんこ盛りに
・「上下関係」よりも「距離感」を重視している
「させていただく」の〈使用拡大〉と〈慇懃無礼な印象〉という矛盾した両面の謎を語用論のアプローチで解き明かす。
【目次】
第一章 新しい敬語表現――街中の言語学的観察
-「免除させていただきます」
-愛されるタメ語キャラと毒舌キャラ
-サザエさんは「させていただい」てない
第二章 ブームの到来――「させていただく」の勢力図
-新しい敬語のお仕事
-敬意漸減の法則
-遅れてきた「させていただく」
第三章 違和感の正体――七〇〇人の意識調査
-敬語の「乱れ」は変化の兆し
-違和感を左右する三つの要素
-最大の要因は「聞き手の存在」
第四章 拡がる守備範囲――新旧コーパス比較調査
-距離感が二極化している
-政治家は「させていただく」をよく使うのか
-合理化か貧困化か
第五章 日本語コミュニケーションのゆくえ――自己愛的な敬語
-「させていただく」は関西発祥なのか
-「表敬」から「品行」へ
-そして他者はいらなくなった
おわりに
-「させていただく」はコミュニケーションの変化を示す指標 ほか

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・新書。日本語における「~させていただく」の使われ方の変化を観察し、日本社会における他者とのコミュニケーションのあり方を探る。
・誤解されそうだけど、本書は「~させていただく」の増加を「日本語の乱れ」と断罪して「正しい日本語」を押しつけるような内容ではない。言語学はむしろ、そうした言葉使いの取り締まりとは対極に位置する。言葉の使われ方の変化を研究して、そこから人々の意識の変化などを読み解くのが言語学の分野のひとつだから。
 なのでWordやGoogleドキュメントのスペルチェック(文字の下に出る青や赤の波線)も、言語学的には大きなお世話なんだよね、と私は思っている。
・現在における「させていただく」の用途はいくつかある。たとえば話す相手との上下関係の調整。
 コロナ禍においてマスクを寄付した人が「マスクを寄付させていただく」と言ったことがある。寄付は相手の許可を得て行なうものではないので「させていただく」を付ける必要は本来ないと思われる。しかし、誰かに何かを与える場合は「与える側」と「与えられる側」の上下関係が否応なしに発生する。日本人は他人の上に立つことが特に苦手と思われるため、その上下関係のイメージを少しでも払拭するために、丁寧さや謙虚さを演出する「させていただく」が使われた、と著者は考察する。要するに、偉そうに思われないようにするため。
・「敬意漸減」という概念がある。最初は相手への敬意の気持ちをたっぷり込めて使う言葉だったのに、時を経るうちに言葉に込められた敬意が減っていく現象を指す。その最たるものが「貴様」。最初は書簡などで目上の人を敬うために使われる言葉だったが、今ではケンカで相手を罵る時ぐらいにしか使われない。
 「させていただく」も同様に、言葉に込められた敬意が減っている。では、敬意が減った代わりに何が増えたのか。「させていただく」を使う自分の丁寧さのアピールである。
・日本社会は近年になって、他者との距離感や社会との繋がりが変化した。若者は誰かを傷つけることを今まで以上に恐れるようになり、より丁寧な、カドの立たない言い回しをするようになった。またSNSの発達により失言が炎上することも増えたため、メディアの出演者もカドが立たない「させていただく」を多用するようになる。「させていただく」は他者に敬意を表すためではなく、自分のために使われるようになった。
・著者がいま最も注目している「させていただく」の最先端の使われ方は、タレントのおのののかさんが使用した「サウナで整えさせていただく」である。意味は「サウナでくつろいだ」といったところであり、そこに他者はまったく存在しない。「させていただく」はもはや他者を必要としなくなったのである。
・同じ著者が同じテーマで書いた本に『「させていただく」の語用論—人はなぜ使いたくなるのか』があるが、こちらはバリバリの学術書であり言語学の素人にとってはハードルが高い。新書である本書はだいぶ読みやすくなっているので、「させていただく」が気になっている人はまず本書を読むと吉。


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