下町のメンタリスト 行儀の悪い寿司屋
『カンパチか、よっしゃ!』
私の注文を聞き終えた大将は、タバコを消した、その手も洗わず
ネタケースからカンパチのサクを取り出した。
私は余計なことは言わない・聞かない主義だが、
この行為はいくら何でも目に余る。一言、口を挟もうとすると、
『あんたみたいに、酒もタバコも飲む人が、ホンマの味が分かるんや』
タバコについては他の客にもよく指摘されるのか、
大将は私の機先を制しにきた。
大将と私では、同じ昭和生まれでも、
その年齢差には隔世の感があるが、
確かに我々昭和世代にとっては、
酒とタバコを嗜まない男は軽蔑の対象でしか無かった。
さらに大将は続けて、
『天然モンで、カンパチとハマチを食べ比べするか?』
と聞いてきた。
これは興味深い。
カンパチとハマチは形こそよく似てはいるが
別の種類の魚で、お互いその成長の過程で
呼び名が変わる出世魚だ。
それらの味が具体的にどう違うのか?!
未経験の事柄に、私の心は踊った。
刺身を盛る器を拭く布きんが茶色く変色していたが、
私にとって、それは最早些細なことであった。
カンパチの歯応えの良さとハマチの旨味の濃さを
堪能し終えた私の耳にある異音が響いた。
『プゥ~!』
あろうことか、この親父は客の目の前で屁を・・・
顔色が変わった私に大将は、
『天然モンのトロと養殖モンのトロも食べ比べてみるか?』
と聞いてきた。
トロの脂っこさが好きでない私は思案した。
大将は間髪入れずに、こう続けた。
『鯛の松皮造りでいくか?旨いでぇ』
松皮造り?!
贅沢にも、鯛のサク1本に熱湯を掛けた後に、氷水で締める調理法と聞く。
私の頭の中から、又しても先ほどの大将の粗相は消えて無くなった。
熱を加えることで活性化された鯛皮の旨味が堪らない。
鯛が何故、魚の王様なのか、余す事無く教えてくれる逸品であった。
至福の時間を過ごしていた私の耳に、
又しても耳障りな異音が聞こえてきた。
『ブブゥーッ!!』
明らかに先程とは半音下がったその音色は、
別の危険性をも感じさせるものであった。
せっかくの旨い料理が台無しだ!
私が強い口調で注意を促そうとしたその時、
『ワシみたいに屁ぇこく日本酒あるで、飲むか?』
怪訝そうな顔をする私を無視して、大将は冷蔵庫から
薄紙で包まれた一升瓶を仰々しく取り出した。
『酵母がまだ生きてるんや、聞いてみぃや』
耳を澄ましてみると確かに「ポコッ・ポコッ」という
発酵音が一升瓶から聞こえてきた。
桐製の枡に小さなグラスを入れ、そこに溢れんばかりに
日本酒を注ぐと辺りにフルーティな香りが充満した。
そっとグラスに口を付け一口啜ると、それは
驚くほど滑らかに喉を伝って胃に流れ込む。
大将の手作り卵豆腐が松皮造りの横に並び、
それらをアテに私は2杯3杯と日本酒を痛飲した。
『親の意見とヒヤ酒はなぁ、後になってから効いてくるんやでぇ』
酩酊していく私を見ながら大将は、こう言ってニヤリと笑った。
法外とはギリギリで言えないが、
安くない料金を支払って私は店を後にした。
何の物的証拠も無いが
私は今日、大将の掌の中で見事に転がされた挙句、
無事には家に辿り着けないことを確信していた。
真っすぐ歩けない足に戸惑いながら、私は大将のセリフを思い出していた。
本当に後になってから効いてくる...
私の両親は既に他界している。
大将は会話の何処かで、それに気づいたのだろう。
全ては憶測でしかないが。
ご支援賜れば、とても喜びます。 そして、どんどん創作するでしょう。たぶn