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今一度「日本半導体凋落の真因を考察」③~日米半導体協定とは・・・あり得ない不平等条約~日米修好通商条約以来?

日米半導体協定とは日米修好通商条約以来と言われた現在ではあり得ない不平等条約


日米半導体協定のポイントは
①ダンピング防止
②外国産半導体の日本市場シェアを20%に」引き上げる

であった。

①はFMV(Fair Market Value)制度と及ばれるアメリカが一貫して推進してきた市場経済では通常考えられない仕組み :日本の半導体デバイスメーカーが四半期ごとに原価を提出し、アメリカ政府が販売の最低価格(FMV)を通知し日本企業はこの価格を下回る販売ができない制度。この期間には並行して急激な円高も進行しており、この制度がない場合と比較してかなり高額の価格が維持されたと思われる。

②は当時世界の半導体の最大市場であった日本市場の海外メーカーへの解放を目的としたもの。当時の家電(テレビ、ビデオ、ウォークマン等のAV機器やIBMを追撃中の大型コンピューター、ワードプロセッサ、NECの98シリーズをはじめとするパーソナルコンピュータ,等)は世界をリードしており半導体の世界市場のおよそ40%を占めていた。さらに前述の製品を製造する電機メーカーはすべて半導体メーカーでもあり、日本の半導体市場の90%が日本製が占めていた。
1986年の協定発効後しばらくして、②の効果が見えないことを理由に悪名高い「アメリカの通商法301条」が発動され、日本のパソコン、カラーテレビ、電動工具等に200%の関税が付加された。日本政府はこの措置に衝撃を受けて、その後日本の電機メーカーに対して海外製半導体を使うことを強力に指導していくこととなった。

日米半導体協定の内容は自由主義経済・市場経済にとって極めて異常な内容

そしてさらに異常なのはこの協定が10年の長きにわたって維持されたということである。その内側にいる企業、そして人(経営者、エンジニア達)に大きな影響を与えたとしても不思議ではない。私もその一人だった・・・

ちなみに江戸時代末期にアメリカの恫喝下で結ばれた日米修好通商条約の不平等のポイントは

ちなみに江戸時代末期にアメリカの恫喝下で結ばれた日米修好通商条約
の不平等のポイントは
①治外法権
②関税自主権の放棄
この江戸時代末期に結ばれた不平等条約を終了させるために
鹿鳴館から日清・日露戦争まで日本は不平等条約解消に全力投球した。


1970年代、80年代当時の電機メーカーにとって半導体とは?その重要性は?

電機メーカーにとってトランジスタ、ICやLSI等の半導体は、それまで真空管、抵抗器、コンデンサ、コイル等を用いて形成していたものを、性能を上げコストを下げ、信頼性を上げ、さらに家電品の進化のもう一つの命である軽薄短小化を実現するカギになる部品であった。それゆえに自社で電気製品設計者と半導体設計者の間で緊密な擦り合わせ開発が行われ、自社製品の他社に対する差別化・競争優位を実現するうえで重要な要素であった。

しかし、日米半導体協定で強制的に外国製半導体を使うということは、すり合わせをせずに使えるようにするために部品:半導体の標準化が進んだ可能性がある。
後に、鴻海やTSMC等の台湾メーカーが大きく成長し、日本企業が衰退する要因となった、標準化の進行による水平分業の第一歩がこの日米半導体協定による外国製半導体の半強制的な使用にあった可能性も否定できないと思われる。(この項は筆者の推測であり検証できていない)

また、①と②の複合モードでの影響として、日本製のAV家電製品のコストは半導体価格の高止まりゆえに、本来実現できていたはずのコスト削減が十分進まなかったのではないかと推測される。この面でも、日本から東アジア諸国へのAV家電品のシェアの移転を促した要因ではないかと考える。
もちろん急激な円高の進行に伴う、日本メーカーの製造拠点の海外。シフトとあわせた効果ではあるが


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