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続 坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」について

前回の投稿からずいぶん時間が経ってしまいましたが、続きとなります…!
前回を読んでからこの文章をお読みいただけると色々わかりやすいかなと思います。

今回取り扱っている作品も、再度掲示しますね。

目次は以下の通りで、今回は4からになります。

  1. 「私」と「風景」

  2. 「少女」の面影

  3. 崩壊の始まり

  4. 「私」と「姉」

  5. 「別れのみ、にがかった」

  6. 「讃歌」


4.「私」と「姉」

さて、前項にて「何事か、声高く叫びたい心」を感じた「私」は、感情を持つようになったことで風景と同化できなくなったけれど、「私」は風景であることに執着を見せている。もともと疲れによる不可抗力で風景と同化し、「ものを考えない」状態にあったのに…

そんな「私」には姉がいました。黒色肉腫という病気にかかっているとのことだが、まだこの病気が具体的に何なのか、私自身もまだわかっていなない…
調べてみると、「肉腫」と「黒色腫」というものが存在し、前者は上皮以外の部分に発生、後者は皮膚がんの1つらしい。私個人は後者なのかなと思っているが、詳しくご存じの方がいたら是非教えていただきたい。


重い病を患い「年内に死ぬ」とされる姉が近くの病院に入院しているのを知ったにも関わらず、「私」は見舞いに行かない。
すぐにでも行ってやれよ…

なかなか見舞いに行かない「私」だが、「見舞に行くことを毎日見合わせた」ということは、「私」は毎日「姉」のことを考えており、「目を閉じて」しらんぷりしているあたりから、「姉」を気にする「感情」が「私」の中に芽生えていることがわかる。

結局迷った末に見舞いに行くところとか、めちゃくちゃあまのじゃくだなこいつは…と思わせられる。


いざ姉と会った「私」は意外にも献身的だった。空々しいと思いながらも姉と「夢物語」をし、「毎日病院を訪れ」、「子供達の見えない日には、私が病院に泊ることを約束した」。

病院の外でも、「年老いた車夫」との会話で気になる描写がある。車夫との会話において「私」は「よろこばしげに笑った」とあり、「げに」となっているところから、「私」は喜んではいないことがわかる。
その時「私」の中では、「年老いて」も「車夫」の仕事を続けられるほど、心 身ともに「隆盛」である車夫と、「年内に死ぬことを自分でも知ってい」て、既に「死ぬこと を心に決めた」姉が対比されていたのではないだろうか。
日常の何気ない瞬間にも「私」は姉を意識してしまっている…


姉とのやり取りの一方で、「私」は面影を追っていた少女の家に行き、そこにはもう少女はいないことを確認する。わざわざこのタイミングでこの場面を挟んでくるとは、かなり示唆的な…
副題が示すように「夢の総量」つまり「少女」の面影を追うという「風景」は、「空気であ」 り実体のないものであった。

感情を再獲得し、夢から覚めた「私」だけれど、まだ風景への未練があるのか「耳を澄まし」、「忍びやかに通りすぎ」、「窓を仰いだ」 。結局同化できなかったので、海へ飛び込んで物理的に(?)風景と同化しようとしている。あまりに唐突だったので、初読では驚きました。

風景として同化するどころか、生物としての死を間近に感じてむしろ人間に近づく「私」。この体験によって、 「私」と「私の身体」は同じ「死」を感じていること、「今吹き出していい欲望」つまり「生」 への欲望を通して統合される。もはや「風景」が入り込む隙間はなくなったと言えるのではないだろうか。


その後、姉とのやりとりをさらに好ましく思わない「私」。
「私」 は姉もまた「嘘ばかりむしろ騒がしく吐きちらした」と述べているが、それはお互いにそうするしかなかったからではないだろうか。「強調と強制のつくりもの」ではない「真実」は姉の死であり、それを互いに話したとして「真実」を持て余すだけで、姉の死はどうすることもできない。それに反発したって、他にどうしようと言うんだろうか…


しかし、「私」も姉も会う前から「真実」を知っており、「私」は風景である自分への執着よりも、姉に会うという「感情」を優先させた。そして、「空々しい夢物語」だと感じながらも、明るく振る舞った。

このような「私」の姉への対応自体に、「私」の、姉に対する弟としての愛があったのではないか。

姉は元々「私」を「信じて」おり、姉として弟を思う気持ちがあった。一方、「私」 の姉への愛は、直接的には語られない。だが、もはや風景ではない「私」は「感情」 を持つひとりの人間であり、言い訳染みた表現もむしろ姉への思いを強調しているように感じられる。

また、姉への愛が最も見られる場面として、最終場面を挙げたい。
汽車に乗り込んだ「私」が「夢中に帽子を振った」とあるが、これは停車場にいる姉に対しての行動だろう。

実はこの行動、意識的にやらないとできない行動なのです。
汽車に乗った「私」は、窓か何かから身を乗り出して姉に見えるように帽子を振る。無意識の行動だとは思えない。これは東京への出発の興奮だけでなく、姉への愛が体外へわかりやすく放出されているのだと読めるのではないだろうか。


5.「別れのみ、にがかった」

この最後の1文が問題なのです。この1文をどう読むかで物語の解釈がガラッと変わってしまうほど…!!

「別れのみ、にがかつた」とはいささか解釈に苦しむ一行だが、思うにこれは反語ないしは逆説的な表現なのではないか。「のみ」の一語に目を向けたい。「ふるさとに帰りついた」「私」の心に、郷里の町は、また「私」を迎えいれた只一人の姉は何を与えてくれたか。ただ「別れ」の時のにがさだけで、ほかにはなにひとつ与えてはくれなかったではないかと、作者は語っているように思われる。「はじめからむなしさを確認するためだけの帰郷」(『坂口安吾』)とは、奥野健男氏の評言だが、「私」はその「確認」の目的を、最後の一行によって明瞭にはたしているのだといっていい。

遠藤裕「短編小説への招待坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」」104 ~107 頁
(至文堂『国文学解釈と鑑賞』第43巻4号1978年4月1日)

先行研究ではこのようなことが述べられ、内容的には結構この路線の解釈が多かった。

いやいや、ちょっと深読みしすぎでは…??

と思ってしまったために、私はこの研究を始めた。
そもそも「私」は「少女」 の面影を追い求めることで自己を再生しようと故郷に帰ってきたのであり、それ以外に何かを与えられるために帰郷したわけではない。「私」は故郷で数日過ごすうちに様々な苦しみがあったものの、振り返ってみれば、本当に「にがい」 のは故郷、そして「姉」との「別れ」のみだったと感じているのでは…というのが私の現在の考えだ。
ちなみにこの文の「苦い」だけ平仮名になっていて、ここから「私」がふと「別れのみ、にがかった」と感じたんじゃないかと思う。ふと感じることに、引用のような切実な語りがこめられるものなのか??


6. 「讃歌」

ここまで色々と分析したりしてきたけれど、私自身はこの小説の主人公が人格のできた人間だとは微塵も思っていない。死に際の「姉」と別れて東京へ戻ってしまう場面など、もう少し姉と一緒に居たら良いのにと思う。

けれど、これも彼なりの姉との別れの受け止め方なのかもしれない。
「私」は「嘘の感情に泪を流し」、その後東京で「生き生きと悲しもう」と決意する。姉と共にいる限り、 「私」は「嘘の感情」を共有することでしか姉の死を悲しめない。悲しみを一人で受け止めて、初めて「私」は姉の死を直視するのだろう。
また、東京への帰還を決めた「私」 は「訣別の食卓」においても東京への思いが先走り「イライラしてい」るが、いざ別れとなると別れの興奮、姉への思いが表出する。物語冒頭の「私」は自己を「風景」とみなすほど疲れ果てていたが、最終的には感情を持ち直し、彼なりに他者と関わりを持っている。

「私」は、傷つきにがい思いをしながらも、故郷での滞在、「姉」との関わりによって再生した。本作そのものが、東京に帰還した「私」による、自身に再生の契機を与えてくれた故郷を讃美、祝福する「讃歌」なのではないだろうか。



長々と書いてきましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。自分の研究内容を載せるというのは初めての試みだったけれど、結構楽しかったな。

皆さんは「ふるさとに寄する讃歌」をどうお読みになりましたか?
作品について、もしくは今回の投稿について感想などありましたら、教えていただけると嬉しいです!

これからも安吾研究に精進してまいります!!


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