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再出発

抱いていた期待の姿と実際の様子が何だか違うというのはよくあることだと思う。けれど、その期待が長年の夢だったとき、失望をどうやって受け止めて、その後を生きていけばよいのだろうか。


私は、小さい頃から将来の夢というものが二転三転していた。最初は何だったか、確かお嫁さんだったような?どうしてそれなのか、というのはあまり覚えていないけれど、お花屋さん、CAさん、体硬いしやったこともないのにフィギュアスケート選手だったこともあったか。周りの影響だったり、多分、当時の夢見がちな性格も影響している。
 
ずっと夢の定まらない時期を過ごしたけれど、中学校から高校にかけてはただ1つ、中高の国語の先生になりたかった。あれだけころころ変わっていたのに急に定まってしまったものだから、熱の入り方はすさまじかった。
何より国語が大好きだった。1番点数が取れていたのもあるし、新しい文章を読むこと、様々な時代の人々の生き方に寄り添うこと、その営みが好きだったのだと思う。
放課後は国語の先生とよく過ごした。そういえば、夏目漱石「こころ」でKが自刃した際の倒れ方、部屋の様子などを文章を手掛かりに一緒に図示してみたこともあった。テスト期間となると、理系の友人に頼まれ国語を教えた。成績が上がったと喜んでくれた時は自分のことのように嬉しかった。


国語の先生になりたかった。それしかないと思っていた。けれど、そんなことはなかった。私は、自分からその夢を遠ざけた。

教育学も良いけれど、せっかくだから好きな文学も学びたいと文学部に入った。それがまだ救いだったのかもしれない。
教職課程のために履修した教育学の授業はとことん肌に合わなかった。私のいる大学は比較的教育学部が有名な大学だけれど、大学のブランドを作ろうとする姿勢や今の教育それ自身のやりがい搾取が気に入らなかった。
教育系の授業から学んだことも大きかったけれど、それは違うだろと教授陣に2、3回噛みついたこともあった。

それでも先生になる可能性を考えていたから履修を続け、教育実習にも行ってみた。しかし結局、文学部の人間が教員になる意義というものがわからなくなってしまった。教科書から文学が消えつつある今、あえて我々文学部の人間が学校教育に出向く意義はどこにあるのだろう。

遅めの反抗期が来たんじゃないかとばかりに、私は反発していた。同時に、ひたすら大事にしていた夢を徐々に失ってしまった。一緒に教育実習に行った文学部の友人は今、教員になるべく採用試験を受けている。私は彼女のように、一途に教育に対して心を向けることができなかった。


教育実習に行ったことも受けて、夏の企業インターンに参加することもできず、就活は冬からのスタートだった。とりあえず少しでも興味のある所は受けるようにしたものの、かなり魅力を感じていた会社は最終面接で落ちてしまった。とりあえず内定をもらえた会社に入社することになるだろう。

不採用通知を受け取ったとき、ままならないなということを痛感した。思い描いていたレールから逸れることが怖かった。割り切って、食い扶持のために働かねばならない。

このまま終わるのは悔しいし、何かを追いかけて生きていきたい。まだ若さはある、どうせやるなら、今までよりちょっとだけ大それたことが良い。

文章を書くこと、それをたくさんの人に見てもらうこと、それが何かのきっかけになって欲しい。おこがましいかもしれないし、険しい道にはなると思うけれど、今、私がやりたいことはこれなのだと最近思うようになった。それを夢にしようと決めた。

焦らず地道に腰を据えて、情熱を片手にままならぬ荒野へ。
もう1度夢を追う。





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