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父として、人として

先日、父が誕生日を迎えた。
LINEでおめでとうと送ると、ありがとうと返ってきた。父と他愛もない話をすることは前からあったけれど、それが増えたのは大学に入り、ひとり暮らしを始めてからだ。

そもそも私は父が苦手だ。
世の中には娘を叱ったりしたことがない父親も少なからずいるというが、そういう話を聞くとやっぱり少し驚いてしまう。
父が怖い。彼は割と気分屋で気が短いタイプなのか、昔から小さなことでガツンと怒られることが多かった。手が出ることもあった。私は、彼が何故そんなに怒るのかわからなかった。言い返しても火に油を注ぐだけである。普通に話している時も、どこかで父を恐れている。積み重ねていくうちに、人の顔色を伺いながら喋ることを覚え、威圧的な人や言動を前にすると萎縮してしまうようにもなった。

ただ、こういうことは世間によくあることだと知っている。子が大きくなるに連れて口答えするようになることも、よくあることだ。歳を取ってから、何か父に言われると目を見て言い返すことができるようになった。萎縮してしまいそうになっても自分の考えを述べることができるようになったのは、それはそれでありがたいかもしれない。


彼は良い父親だと思う。私がやりたいと言ったことはなんだかんだ挑戦させてくれる。実際、浪人だって元々は許されていなかったのだけど、2週間の説得の末に首を縦に振ってくれた。それがなければ、今の私は無いだろう。
釣りにも、キャンプにも、県外へのお出かけにもよく連れて行ってもらった。良い父親なのだ。

ただ、私にとって父親としては良かったけれど、人間としてそりが合わなかった。


例え家族であっても別の人間であり、合う合わないがちゃんとあることを、離れてから知った。家族なのにそう感じてしまうことは、別にいけないことではなかった。気分屋でせっかちな父と、家内でもかなりマイペースな私とでは、合わないのは当たり前だった。

私は既にひとり暮らしを始めてから3年が経ち、弟もひとり暮らしを始めた。家には父母と、犬が1匹。
父からはよく自作料理の写真が送られてくる。弟が出てからは頻度が増えた。きっと娘の心配もしているであろうし、寂しさもあるのだろう。私も父と連絡を取り合う関係になれたのは嬉しいし、写真が送られてくると楽しそうで何よりだと思う。
けれど、以前のように同じ屋根の下でずっと一緒にいても、良好な関係を築けるとは思えない。
せいぜい3日一緒にいるのが良いところ。きっと父は私のマイペースさに怒りたくなるし、私はそれを見て萎縮してしまう。

近くにいるだけが家族ではないのだ、と思う。離れているから思い合える家族の形もきっとあるのだ。
母は私が父を苦手にしていることも、離れてから仲が良くなったことも知っている。父母には申し訳ないけど、私は2人とあまり長く一緒にいるべきではない。

小さい頃から母に似ていると言われてきた私の顔は、最近父に似てきた。父は歳を取って、性格も体型も丸くなってきた。いつか父に対して恐れもなく、素直に話せる日が来るのだろうか。

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