命綱の会話
自分が、随分と繊細なやつだと気付いたのはいつ頃だったか。小さい頃から泣き虫ではあったけれど、それにしたって今に引きずりすぎていやしないか。
長い間、人の顔色を伺いながらそれに対応した行動をしてきた。多分それは今もそうなのだろう。
「君は基本的に誰に対しても他人行儀だから優しくて、心を開いたひと握りの人だけをものすごく信頼してるんだと思うよ」
と、恋人は言った。間違っていないと思う。だからこそ、理想と現実の違いについていけなかったり、基本的に物事を悪い方向に考えてしまう。見た目からはあまりわからないだろうけど随分と繊細で、社会で生きていけるのか、正直今も不安である。
自分のこともあんまり信頼してないような気がするので、ふとした時に辛くなったり不安になったりする。けれど、そうした時に命綱になるのが信頼している人との会話だったりする。
信頼しているか否かは、そのひととどれだけ長く一緒にいるかで決まるとは限らない。たった数分、たった一瞬、果てには実際には会ったことのないひとでも、私はこの人を信頼していると感じることがある。今日訪れた古書分室ミリバールの店主さんも、こちらから勝手に信頼できる人だと思っている。
尾道の古本屋、弐拾dBとミリバールの店主さんこと藤井さんに会ったのはもう1年半も前になる。それまでもお店に行くのは1年に1回くらいのペースだったけど、顔を覚えていただけていた。今日は引越し作業の一環で読まなくなった本を売りに行ったのだ。値付けをしてもらい、持っていった全ての本が私の手を離れた。
古本屋さんに行かなかった間に、私は就活に失敗した。行きたかった3社全てで最終面接で落ち、なんとか勤め先は確保したもののお給料も少なく、生活していけるかかなり不安だった。なんとなくそのことを話したが、藤井さんは「就活落ちたひとは実は優秀だったりしますよ」と予想外の言葉を述べた。しかも、藤井さんのお友達はほぼ全員新卒1年で会社をやめたという。
「文学やってるひとはちょっと普通から逸れちゃいますよね」
「合わなくて会社辞めたら、ようこそ古物商へって感じで。土日休とか色々捨てたらそれなりに暮らせますよ」
確かに私も本質的には人が休んでるときに働き、人が働いてるときに休みたい人間ではあるし、ここにロールモデルがいるわけだからなんとかなる気もする……
そう思うと少し楽になった。ダメだったらダメなりになんとか生きていけるかもしれない。ダメだったらダメなりになんとか、というのはよく恋人も言ってくれるが、それ以外で信用できるひとからもそういう言葉が出てきたことで、命綱が1本増えたように感じる。
今日来て良かったなと考えながら店を後にする頃、トートバッグいっぱいに収まりきらずリュックにも入れていた本たちは、今の私にとって必要な2冊の本と1枚のCDに変わった。
藤井さんの妹、ふじいむつこさん(私はこの方の作品のファンでもあるのだが)の文章の中で、たくさん傷ついてきた兄が、よくお客さんの人生相談にのっているのを見かけると述べる。私もそうやって救われている1人なのだろう。こうやって今日のことを文章起こしているのも、自分がこの命綱を忘れないようにするためか。
繊細で泣き虫で、社会に適合できるかだいぶ怪しい私だが、めぐり合わせの運は割とある方だと思っている。ひととのめぐり合わせ、そこで生まれた会話で編まれた命綱を握りしめながら這い進んだら、なんとかそれなりには生きていけるかもしれない。
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