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つくる、つめる、つつむ

というと、何だと思います?

私は、お弁当という言葉にこの3つの言葉を連想します。
お弁当を作ってもらい始めたのは保育園のときだったろうか。母は可愛いことをする人で、小さく丸めた一口大のおにぎりに、わざわざいろんな形の穴あけパンチで型抜いた海苔を張り付けたり、くるくると巻かれた渦巻状のジャムや卵のサンドイッチがカラフルに詰められていたり。

中でも鮮明に覚えているのが、私の顔を模しておにぎりを作っていたことです。海苔で丁寧に私の髪や顔のパーツを作り、中には私の好きな粗ほぐし鮭を入れて、ほっぺたにも少しだけ鮭を乗せていた。しかし、私はそれを食べることが忍びなくて、けれども食べないといけないから泣きながら食べました。
帰宅する車の中で、母に泣きながらおにぎりを食べてしまったことを話す。 
食べたおにぎりは、ちっちゃい○○ちゃんになって、○○ちゃんの中で一生懸命働いてくれるんよ。やからしっかり食べて、元気いっぱいでいようね」
私の食べたおにぎりが私の身体の一部となることを、なんとまあうまく言ったものかと今でも思います。それから私はちゃんとおにぎりを食べられるようになりました。

あれから20年近く経って、自分でお弁当を作ったりするようになりました。母のように可愛いことはあまりできず、強いて言えばタコさんとかカニさんのウインナーを入れたりするくらいでしょうか。


いざ自分でお弁当を作ってみると、なかなか難しい。どうしてもバランスとか彩りとかを気にしてしまう。美味しさやボリュームも大事だけれど、蓋を開けた時の多幸感も大事にしたいのです。トマトやブロッコリーでカラフルにしてみたり、ふりかけの色を考えたり。夏は加えて食中毒に気を遣う。考えることはいっぱいだけど、これが結構楽しい。

もともとお弁当は作っていなかったけれど、恋人がたまにお弁当を持たせてくれるようになって、私も自分と彼の分を作ってみようと思ったのがきっかけでした。ひとり暮らしを始めたころは全く料理できなかった私が、今では誰かのためにお弁当を作っている。愛、なんていうのはこっぱずかしいけれど、紛れもなく、母にも、彼にも、私にも、愛が作用している。

ただ、毎日は作らない。どうしても重荷になってしまうからです。作れるときに、無理なくというのが割と大事だと思っています。つくる、つめる、つつむ行為ひとつひとつを楽しめるくらいが、きっと丁度良い。

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