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『グッド・オーメンズ』シーズン2で悪魔に恋してしまった人間の願いごと

悪魔に恋をしてしまった。

天使と悪魔がやいのやいのしながら、時に世界そのものを救ったり優雅にディナーしたりして地上の生活をenjoyするドラマ『グッド・オーメンズ』のシーズン2を配信初日に観終わった。そして、悪魔に恋をしてしまった。こんなかっこよくて愛にまみれた人間くさい悪魔なんて世界中どこを探しても彼しかいない。演じるデイヴィッド・テナントのすらっとした体躯、かっちりスタイリングした赤毛の髪、黒づくめのタイにベストにジャケット、すべてがあまりにもばっちり決まりすぎていて見ているだけで心臓に悪い。おかしいな、シーズン1の時にはあくまで”作品”を観る”いちファン”としての距離を適切に保ちながら、彼と彼の愛する天使・アジラフェルの仲睦まじい様を微笑みながら見守っていたというのに。ガチ恋してしまった。どうすればいいんだ。

そんなこんなで戸惑っているうちに5日が過ぎた。SNSでは同じくドラマを完走した人達が各々の想いを長文でしたためていて、そのどれもが頷けるもので、私は首をブンブンと縦にあかべこのように振りながら見てはリツイートを繰り返していた。でもその間にも悪魔のことが、あの整った横顔が、意地悪そうに見えて実は誰よりもtoo kindな彼のことで頭がいっぱいになってしまっていた。

エピソード1で、怒りを露わにして"smoking"(文字通り、身体から煙を出す)した時のえもいわれぬセクシーさ――この場合のsexyについて、自分で得た体感でのsexyの意味合いが深すぎて(表面的にそうなのではなく、クロウリーだから、彼だからセクシーになるのだという感覚)もはや感動すら覚えた――、「車で送ってほしい?」とさも当たり前のようにアジラフェルに訊くスマートさ(紳士というより彼ピッピに近いニュアンス)、来客をもてなすアジラフェルの座る椅子のひじ掛けに何気なく、本当に自然な流れで座って見せる”距離の消失”と”ニコイチ”感……もう、彼が起こす全てのアクションにハートマークを浮かべてしまっている自分がいた。だめだ。クロウリーが好きだ。どうしようもなく好きだ――

しかしここで言っておきたいのは、そもそも元より叶わないことを承知でこの恋を抱いた、ということである。彼には愛する人がいる。アジラフェルだ。天地創造より出逢い、6000年の時を共にしてきた、巻き毛で本好きの純真な天使。彼に向けるクロウリーの愛は絶対で、揺るがなくて、そんなクロウリーだから私は好きになった。私はどれだけ世界が不明瞭で曖昧なものであっても”揺るがぬ愛を抱きうる人”が好きなのだ、いつまでも、どんな時だって。

そんな私がエピソード6を観た時の衝撃を、既に同じく完走している方は想像してみてほしい。もう、大 完 敗だ。勝ち負けの話ではないのは分かっている。そもそもこの作品を好きで追いかけているファンなら百も承知であろう。クロウリーはアジラフェルのことを愛していて、その想いはおおよそ宇宙レベルであり、誰にも劣ることがないということを。だからこその完敗なのだ。彼の愛の大きさを、本当の意味で理解できていなかった自分を恥じた。こんなにも大きく、たおやかで深く、尊いものであったのか。それを6000年抱き続け、ついに表出してみせた彼の胸中を思うと、胸が張り裂けそうになるどころか空中に爆発霧散して粉々になってしまうほどの痛みと苦しみを覚えたのだった。

“あの行動”に、どれだけの想いが包含されているのか。それを思うたびに、『グッド・オーメンズ』は愛の物語なのだということ、クロウリーは愛の人なのだということを思い知らされる。人間でも、そして今となっては悪魔でも天使でもなくなった、そんな彼がけんめいに叫んでみせた”二人” (字幕でもここではダブルクォ―テーションで強調されている)という言葉を何度も反芻して、それがどんなに尊ぶべきものか、難しいことか、幸せで寂しいことかに思いを馳せては涙を浮かべてしまうのだった。

私は自分が恋した悪魔が幸せになってくれることを切に願っている。願わずにはいられない。ただひたすらに願い、たった1人の天使にだけ向けられた優しさと愛に報いて”彼”の方から抱擁されるのを待つばかりなのだ。

Amazon prime「グッド・オーメンズ」シーズン2


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