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生きる重み、命の重きを描く『竜送りのイサギ』レビュー

「………あのさ 今からでも逃げちゃわない…?」

ああ、なんて瞳(め)をしているんだ、と思った。

竜が棲む、罪人がその命を終わらせるための地、陵獄島。
罪を背負った者たちの首を断つために誂えられた首打役、櫛灘イサギ。首斬りの達人という意味合いを込め「斬聖」と呼ばれる彼はまだ少年で、幼さの拭えない顔立ちにはどこか「諦観」の憂いが滲む。

何を隠そう、私は星野真著『竜送りのイサギ』を読んでから彼、イサギに王道少年漫画の主人公に覚える胸のときめき、燃えるような隆々たる感動を感じざるをえないのである。

まず私が本作に出会った経緯を話すとする。いつものように何気なくSNSを眺めていたらふと目に飛び込んできた漫画の第一話。

「一番うまくて優しい、首の斬り方。」

そんな言葉とともに添えられていたのは、刀を握りしめ、笑っているのに両目から大粒の涙を零し、先のセリフを絞り出す少年のアップ。
少年が「泣き」「笑う」、そこに滲む「悔しさ」「はがゆさ」の、器を越えた感情の発露。どうして少年は「こうなる」に至ったのか?なぜ少年は「誰かを殺すことを躊躇っているのか」?その表情を見た途端、心が強く引っ張られた。私の記憶に、ひとりの少年が浮かんだのだ。

荒川弘が描いた、壮大な世界観でありながら人間の業や優しさをひとつひとつ掬い上げ、たったふたりだけで世界の真理を探した兄弟を追う物語『鋼の錬金術師』。兄である主人公、エドワード・エルリックの人生に触れた小学生時代。彼に心底惚れ、あこがれ、心酔していた頃の自分を思い出した。
そう、イサギの表情にはエドワードと同じ、世界の何もかもを恨もうにも自分には方法も逃げ道もない、ただ訥々と受け入れていくしかない「達観」と「諦観」の入り混じった年齢不相応の重みがあったのだ。

彼は業を背負っている。業を背負った少年は目の前で起きたことを、処理不可能のまま心に留め続ける。決定的な光景が雷光のように脳裏に走ったとき、少年は旅路の始まりを予感する。エドワードがそうであったように、イサギもまた、師・タツナミの首を自ら斬ったときに視た記憶をたよりに、師の生きた道のりを追う決意をする。

「消費される命に例外など在りはしない」
「人間なんだよ たったひとりの女の子さえ助けてやれない、ちっぽけな、人間だ」

罪人にも命がある。命を軽んじた人間にも、平等に命はある。
錬金術師として禁忌である人体錬成を行ったエドワード。斬聖として幾千の罪人の命を断ってきたイサギ。それぞれ命の在り方に相対するときに葛藤を見せているのを見て、命のやり取りに対話を試みる作品が好きだと改めて感じた。
週刊少年ジャンプのヒット作『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心は、暗殺を生業とし、抜刀斎と名乗っていた過去に罪のない人間まで殺め、罪悪感に苛まれていた。少年漫画で描くところの「命」とは、その名の通り「命題」にもなりうる大きなテーマであり、どのような描写をするかによって作品全体の倫理や「正しさ」の規範になる。人を殺めることと、正しさ。命を奪うことへの葛藤と、どこかで諦め進んでいくしかない残酷さ。『竜送りのイサギ』は、命と向き合っている誠実な少年漫画だ。ゆえに、読者も自分の「正しさ」を問われながら物語を追いかけていくことになる。頁をめくるたびに、心に問いかけてくる切実さと真摯さが、まだ見ぬ光景に奮う胸を打つ。

起承転結の「起」にあたる旅の始まりは、いつも小さな問いから始まる。人生への問い。大切な人への問い。『葬送のフリーレン』の主人公であるエルフ族のフリーレンは、共に魔王を倒した仲間たちが自分より先に人生という名の旅を終わらせ、独りになったとき、「人間のことをもっと知りたい」と願い旅を始める。
「問い」に対する「答え」を探すために、外の世界へ足を踏み出す。イサギもまた、師への想いを胸に今まで一度も出たことがなかった島の外へと旅立つ。

イサギはどんな「答え」を得るのか。旅の終わりに、「答え」は得られるのか。自分自身の「正しさ」を見つけることができるのかーーこれからも続く、傷だらけの優しい少年が往く旅先を見守りたい。

『竜送りのイサギ』全2巻発売中
星野真 著/サンデーうぇぶり連載

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