長い散歩

 「明日は雪が降りますよ」。ところどころでそんな話を聞き、めずらしく天気予報をたしかめた。三月の終わりの週末、桜はすっかりほころんでいるというのに、東京都から外出自粛の要請が出て、それぞれがそれぞれの部屋でじっと過ごすはじめての日曜日。わたしはひとり家に籠って、パソコンの前にいた。
 どうしてますか?とメールをくれたのは、遠方の友人。東京の状況を聞いてメールをくれたらしい。二年ぶりのことだった。

 彼女とわたしは、東京で出会っていた。とある講座でいっしょになって、それからはよくお茶をしたり、公園を散歩したり、ちいさな画廊をめぐったりした。初めて出会ったとき、彼女はなんだかふわふわと地に足のついていないような印象があったのをわたしは不思議に思っていた。それが、彼女がおおきな喪失を得たあとだったからーーとわたしが知ったのは、彼女自身が語ってくれたことでもあったけれど、彼女の肌に残る傷がまだ痂とはいえないほどあたらしかったせいも、ある。

 どれだけ話をしても、話が終わることがなかったのはなぜだったんだろう。歩き疲れて1日の終わりに夕飯を食べたあとも、その離れがたさに終電ぎりぎりまで話をした。もう七年も前の冬のことだ。改札の外で、寒さにふるえながら。思えば、いつも心をそこに残してわかれていたような気がする。
 そうやってふたりで話をしながら、わたしたちは目の前にやってくるものに手をのばしてみては、その感触からなにかをと掴もうとしていた。わたしも、彼女も、あたらしいなにかをみつける途中にいて、彼女がわたしという話し相手を必要としていたように、あのときのわたしもまた、その隣に彼女の頼りなさげなまなざしが必要だったんだろう。元の道にもどらなくていい、というのが彼女とわたしがその冬の夜の駅でたしかめあったことだった。一度こわれた体は、その記憶から知っている道に戻ろうとするけれど、そうではない、歩いたことのない道をわたしたちは選ぼうとしていた。



 それから何年も経ってそれぞれがようやく自分の足でよちよちと歩きはじめた頃、「見せたいものがあるから」と彼女が家に誘ってくれた。その年にとれた梅のシロップ煮を寒天ゼリーにして持っていった覚えがあるから、たぶん六月。蒸し暑い部屋で、汗をにじませて話をした。話が一息つくと、ベランダから見える背の高い欅の木を指差して、あの木を見せたかったんだ、と彼女は言った。それから、あたらしいいのちを産むこと、東京を離れて家族をつくることを決めたのだ、と教えてくれた。

 彼女はよく泣いた。いや、最後にわかれたときがそうだっただけで、それはわたしの勝手な思い込みなのだろう。仕事は順調なの、いいひとはいないの、ひとりでやっていけてるの。自ら「おせっかいおばさん」と称して散々わたしの心配をしたあと、わかれ際、ひとすじの涙をこぼした。とうめいな雫が紅い頬のふくらみをつたい、それがあまりにきれいだったので、わたしは息を止めて、頬を動いてゆく雫をじいっとみつめていた。



 ひさしぶりのメールは「東京が封鎖されると噂で聞いて心配で」と相変わらず。わたしは毎日いろいろあるけれど、うつくしいものを見て、おいしいものを食べて、たっぷり眠っているよ、と返事をする。あたらしい家族はどう、と尋ねると、ふたりめが生まれたという。

 窓の外では朝から大粒の雪が降っていた。家の前の満開の桜には白雪が積もっている。雪道にはまだだれの足跡もついていない。その景色が、自分がどこにいるのかをすこしのあいだ忘れさせてくれたけれど、窓を閉めれば、冷たくなった部屋と初めてのことだらけで、わたしの心はひどく慌てていた。それでも、この世界にはやわらかな魂が集う陽あたりのいい場所があって、そこから届いた彼女の息に、わたしの頬はほころぶ。そうだった、わたしは彼女がときどきみせる、おばちゃんみたいな根拠のない明るさが大好きだったんだ。たくさん泣いて、それからたくさん笑ったんだった。きっと、今、彼女はふたりのこどもにその明るさを振りまいている。
「こどもの魂はいつも揺れていてよく笑うね。たいへんだけどかわいいです。」

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