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"ユニーク"

「お前から○○を取ったら何も残らないぞ!」
って言葉がありますね。
もしくは、「お前から何をとっても××は残る!」とも言いますね。
この言葉には、ある種の他者への自己同一感の認定が含まれていると私は思います。


アイデンティティの喪失。
昨今どこでも見られるようになった現象です。
朝早い時間の都内の電車には、同じ服装で、同じような顔をして、同じポーズで携帯を触って職場へ「出荷」されていく人々がいます。
大学の休み時間や休暇にどこかへ出かけ、インスタ映えする写真を撮ってアップロードすることに腐心する若者がいます。
小学校でかけ算の順番にこだわって、途中式に模範解答との1mmのズレも認めないような教育を受け、中学校では内申点の確保に躍起になり、高校ではなんとなく大学受験をする。結果として「レールに沿って歩く」人間が、今日もたくさん生産されています。


馬鹿げてるなぁ、と思います。
なんてつまんない人生を歩んでるんだろう、と。
なんでみんなそんなつまんない顔して生きてんだろう、と。
ただ、そんな人々も皆、「お前に○○では敵わないわ」、と他人に言わしめる何かを持っているんです。
あなたの友達を一人浮かべてみてください。その方にも、あなたの知り合いたちと束になっても敵わない何か、ってないですか?


なんだっていいです。仕事の速さ、頭脳の回転といった堅いところから、ゲームの上手さ、しょうもない話をする能力、といった一見「くだらない」ことまで。
そこまで広げれば、きっと何かあるはずです。大きな声で言えなくても、その人の凄いところってきっとあるんです。


けれど社会に受認されるのは、先にあげたもののうち、「堅いところ」だけ。ふざけてんのかと思います。
ゲームのうまさだって天賦の才、もしくは努力の賜物じゃないですか。しょうもない話だって出来ない人何人いるんですか。

自分にとってくだらないものだって、もっと認められていいと思うんです。
ゲームが好きなら、その道のプロであるEスポーツ選手、ゲームの開発者側に回るのもいいですね。しょうもない話だったら芸人とか役者、講演者だっていいと思います。
どうしてみんな、こんな素敵な能力を「くだらない」と一蹴してしまうんでしょうか。
そんな社会だから、どの国にも負けないようなユニークなものが生まれなくなったんじゃないでしょうか。


画一化は、いったい誰の得になるんでしょうか。
もっともっと言ってあげましょうよ。「お前にだけは敵わないな」って。その言葉一つで、その人は自分を自分として認められるようになるかもしれないんだから。


もっと、他人の中にある「自分が敵わないところ」を認めて、受け入れて、みんなが笑って仕事ができる社会になってほしいなぁと思います。

ここまで読んでくれたあなたはすごいです。こんな誰でもない人の話を、自分の糧にしようと読んでくださっているんですから。


私のユニークなところですか?
そうですねー…
「物事の曲解」が上手ですね。笑

では!

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