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逃げる資格

辛いことがあるなら、そんなところから逃げてしまえばいい。
この言葉ほど、人間を救ったり殺したりする言葉はないと、私は思います。
がんじがらめになって、どうしようもなくなって、泣く心すら失った人がいたとしたら、この言葉でその人を解放してあげることができるでしょう。


けど。
もしその人が、どう抗っても逃げられない環境にいるとしたら、どうでしょうか。
その人は、この言葉に救われるでしょうか。

答えは、おそらくNOです。
それどころか、その人にとって、この言葉は心を切り裂くナイフになってしまいます。
だってその人は、「逃げられないから」その場にいるんですからね。
自転車に乗れない人に「乗れ」って、もはやいじめですよね。
それと同じでしょう。



逃げるにも資格が必要だと、私は思います。
それは、何も守るものがなく、何もしなくても人間としての『最低限度』の環境が送れる環境にいる、ということです。
ここでの『最低限度』とは、衣食住ではありません。違うんです。
人間が人間らしく生きるのに必要なもの、それは「休暇と娯楽」です。
アニメでも、音楽でもいい。なんでもいいから、その人の好きなものと、ゆっくりする時間を享受できない限り、逃げても廃人になるだけです。

だってそうですよ、この人は「逃げられない」環境にいたのです。それだけ追い詰められる状況で、満足に娯楽を楽しめたでしょうか。
いいえ、もっというなら、過去に娯楽に没頭できる瞬間があったでしょうか。
満足に、休めたことがあったでしょうか。

きっと、休んでいても娯楽に浸っていても、何かを守ろうと必死だったはずです。


そう考えると、逃げるのって本当に限られた人しかできないはずです。
それゆえに、逃げたことのある人はすごいと思います。本当に尊敬します。だから、逃げる必要もなかった人が辛くて逃げられない人に「逃げろ」と告げるのは私は絶対に許せません。
そして、だからこそ、逃げたことのある人が逃げられない人に「逃げろ」と言うのも酷だと、そう思ってしまいます。
…言われた側はどうしても逃げられないことだってあるんですよ?


それでも逃げろと、そう言うのであれば、どうか、どうかお願いです。
逃げろと言ってくれるあなたが、彼ら彼女らの逃げ場所を、作ってあげてください。
どうか、彼ら彼女らをゆっくり休ませてあげてください。守るべきものも忘れさせてあげてください。
そして、その人の好きなことを満足するまでさせてあげてください。

そこまで徹底してあげないと、彼ら彼女らは何度でも無理をします。命すらかなぐり捨ててでも、頑張ってしまいますから。


世界はあまりにも理不尽だと、本当に感じます。
家族や自分自身を守るために、逃げたくても逃げられない環境に身を投じている人がいる一方で、自分の思い描いたルートを進み、逃げる必要すらない人、逃げることのできる環境にある人だっている。

逃げることにだって資格がいるんです。
その資格すらない人が世の中に存在していること、読んでくれたあなたには気に留めておいて欲しいのです。

こんな不条理、どうにかなってほしいなあ、と、そう思う今日この頃でした。

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