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思い出タクシー

見つけられるのは火曜日だけ。捕まえやすいのは青葉台三丁目のバス停付近。乗り場の目印は「婦人服いとうや」。時間は午前五時からしばらくの間。かえで通りを北上する水色のタクシー。運転手の名前は「中村」。

みゆきが思い出タクシーの見つけ方について持ち合わせている情報はそれだけだった。

あとわかっているのは、「思い出タクシーに乗れば、自分の好きな思い出に会いに行ける」ということ…。
行き先を聞かれたら、「過去があるのは北ですか?」と返すのが合言葉。
そうすれば「中村」さんが思い出まで連れて行ってくれるという。

馬鹿げた話だ。みゆきはこれまでそれを試したことはなかった。
そんな都市伝説を僅かでも信じていると認めるのが嫌だった。

一方で、その「好きな思い出に会いに行ける」という設定が妙にみゆきの心を魅了して離さなかった。
そしてみゆきが思い出タクシー乗車を決行したのは、早朝までの残業を終えたとある火曜日だった。
連日の徹夜、終わらない仕事に忙殺される日々を送っていたみゆきは、どんな種類のものであっても「現実逃避」がしたかった。
次の日の、正確には今日の、仕事のことを考える余裕などないほど、みゆきは現実逃避がしたかった。

オフィスを出てすぐ、みゆきはタクシーを捕まえた。
「青葉台三丁目のバス停までお願いします」

時刻は午前四時を過ぎたところ。こんな時間にバス停に行っても当然バスには乗れない。運転手の怪訝そうな顔は見なかったことにしてみゆきは目を閉じた。
触らぬ神と睡眠不足の OL に祟りなし。運転手は「はい」と短く返事をした以外、黙ってタクシーを走らせた。

「つきましたよ」
気づけば熟睡していたようだ。運転手の声に起こされみゆきはハッと目を覚ます。時刻は午前四時三十八分。みゆきはほとんど眠ったまま反射で支払いを済ますと、見知らぬ土地に下車した。早朝の寒さが徐々にみゆきを目覚めさせる。

乗り場の目印となる「婦人服いとうや」はすぐに見つかった。名前から想像していた通り昔ながらのブティック風の店構えで、道路に面したショーウィンドウのマネキンはのっぺりしたトップスにとろろこんぶのようなストールを身に着けていた。

「みゆき通りを北上する方向、ね」
スマホの地図で進行方向を確認する。うん、こちら側での歩道で間違いないはず。まだ車の通りは多くなく、大型トラックやタクシー、それに交ざって乗用車がまばらに走っている程度だった。これならタクシーを止めるのも難しくなさそうだ。あとはタクシーを見つけさえすれば…。

午前五時までまだ二十分ほどある。みゆきは近くのマクドナルドで時間を潰そうとしたがいとうやから離れた場所にいるのは落ち着かず、結局コーヒーをテイクアウトしていとうやの前で見張ることにした。
午前五時からしばらくの間。水色。運転手は「中村」。
みゆきはそれを、おまじないのように心の中で繰り返す。

何台ものタクシーがみゆきに近寄っては、乗る気がないことを察するとスピードを上げて去っていく。
黒、黒、黄、黒、黄、黒、青緑、黄、黒…。
過ぎ去るタクシーの色を追い続けるのがみゆきはだんだん馬鹿らしくなってきた。

コーヒーをとっくに飲み終え、一所に立ち続けるのにも疲れ、睡魔との戦いは限界を迎えていた。
「やっぱりウソだったかー」
みゆきが大きく開いた口を隠しもせず派手なあくびをしたとき、それはついにやってきた。

水色のタクシーらしき車。タクシーの色としては見たことがないほどの、青緑でも、ブルーグレーでも青でもない、混じりけのない水色。

みゆきは思わずあくびをしていた口を閉じ、車道ギリギリまで駆け寄る。迷っている暇はない。一か八かで手を挙げる。その水色の車はみゆきの目の前に停まる。とりあえずタクシーではあるようだ。

「どうぞ」
タクシーのドアが開く。みゆきは恐る恐る後部座席に乗り込むと、手前の席に浅く腰掛け、バッグを膝の上に置いた。
運転席の背面に書いてあるドライバーの名前は中村。だがタクシーにはその名札以外、というよりそれだって特異なものではなく、これといった特徴がなかった。これが探していた「思い出タクシー」なのだろうか…。
もっと、乗った瞬間にビビッと感じる空気だとか、キャラクターの濃い運転手だとかを想像していたみゆきは、このタクシーが正解なのか確信が持てずにいた。
ただ、車体の色だけは、それが特別な存在であると信じさせるものだった。
あとは「過去があるのは北ですか?」と言うだけ…。

「どちらまで?」
あっけなくその時はきた。
「か、かこが…」
「はい?」
もしも間違っていたら、不審な客だと思われたら、という不安から合言葉がうまく言えない。
「えっと、かこがわ、あ、じゃなくって…」
「かこがわって、地下鉄の加古川駅でよかったですか?」

ああ、もうやめてしまおうか。恥ずかしさと絶望がじわじわとこみあげてくるのを感じながら、みゆきがフロントミラーをそっと見ると中村は意外にも微笑んでいた。

このひと、わかっているな。みゆきはそう確信すると今度ははっきりと言い直した。
「過去があるのは北ですか?」

みゆきとフロントミラー越しに目が合った中村は満足そうにうなずきながら笑みを返した。
「ようこそ、思い出タクシーへ。運転手の中村です」

いつの間にか緊張していたようだ。みゆきはふっと自分の肩の力が抜けるのを感じた。

***

「あっ、じゃあこれが…」
思い出タクシー、と言いかけるも、あまりの驚きにみゆきは言葉が続かなかった。
そんなものがこの世に存在していること自体未だに…
「信じられないのに、あんな子供騙しな情報だけで見つけられたなんて、って思っていますね?」
黙ってしまったみゆきの脳内をそっくり読み上げるように、中村がハンドルを握りながら声をかけてくる。タクシーは北上を続けている。

「大丈夫、これは本当に『思い出タクシー』ですよ。ご存知と思いますが、あなたの好きな『過去』に行くことができます。あなたの過去のうちのどこにいきたいのか教えてください。ちょうどタクシーで行き先を伝えるようにね。
ただ違うのは、時間の指定も必要ってこと。何年何月何日何時何分の、どこに行きたいのか教えてくださいね」
みゆきがその説明を一言も受け止めきれずにいることを知ってか知らずか、中村が飄々と話を続ける。
「いくつかルールの説明を。
ひとつ、目的地は『自分が登場する過去』だけです。自分と無関係な過去に行くことはできません。目的地に着いてから移動するのは自由ですよ。
ふたつ、過去はあくまでみるだけ、変えることはできません。それが目的だったのなら、残念ですがここで諦めてくださいね。ちなみに過去の人たちはあなたの姿を見れません。そうじゃなきゃ過去が変わっちゃいますからね。
みっつ、過去にいられるのは4時間だけ。4時間後にわたしがお迎えにあがりますので、乗車くださいね」

ちょうど赤信号で停止すると、中村は後部座席を振り返った。そして笑顔でひとこと、「なにか質問は?」

みゆきは、質問だらけよ!と言いたい気持ちを抑え、まずは最大の謎をひとつ尋ねることにした。
「いや、そもそも、本当に過去にいけるんですか…?」

わかりやすく顔をしかめながら中村が答える。
「もちろん!でなければ、いまの私の説明はなんだったんですか?もしかして、それが気になって説明は頭に入ってこなかったですか?」
バックミラー越しにみゆきの表情を確認して、中村は肩をすくめた。

「まあいいんです、みなさんそうなので。そのためにそのタブレットがありますしね」
中村がそう言うと、コマーシャルを流し続けていたタクシー備付のタブレット端末の画面が切り替わり、先ほど中村が説明したルールが表示された。

1.目的地は『自分が登場する過去』だけ
2.過去を変えることはできない
3.過去にいられるのは4時間だけ

「そういうルールですので、どうぞお気をつけくださいね。質問はありますか?」
「えっと…。タクシーってことは、一応お金かかるんですよね?いくらですか?」
なるほど、ひとは受け入れられない事態に直面するとなんとか正常に戻ろうとそのきっかけを探すのだな、などと考えながらみゆきは平静を取り繕おうとする。
「いえ、料金はかかりませんよ。その代わりと言ってはなんですが、過去で4時間過ごすために消費するのは、お金ではなく『あなたの4時間』です。なので、そのぶん寿命が4時間短くなります」
「あっ、それだけ」
「はい、たった4時間です。たいしたことないでしょう?」
寿命が縮むのが「たいしたことない」のかどうかをその時間の長短で判断するのは違うと思い直し、みゆきは返事をしなかった。

「ほかに質問は?」
「戻りたい過去が、何月何日何時何分かなんてわかりません。季節くらいは覚えているかもしれませんが」
「行き先は、そのタブレットから指定いただきます。ちょっと見ててもらっていいですか、たとえばですね」

ルール説明から再びタブレットの画面が変わり、今度はドラマか映画を見ているような画面になった。
みゆきははじめこそ映された場所がどこなのかわからずにいたが、すぐに「婦人服いとうや」、とろろこんぶを首に巻いたマネキン、そしてその店前に立つ女性に気づき小さな悲鳴をあげた。

「わたしだ…!」
それはほんの数十分前のみゆきの様子だった。ちびちびとコーヒーを飲みながら、不安げな表情で道行く車を目で追っている。監視カメラに映る自分の映像を見ているようでもあり少々気持ちが悪い。

「そこであなたの過去を見ることができます。巻き戻しや早送りもできますよ」
Youtube などの動画再生アプリのように画面下部にバーがあるのに気づき、そのバー上の白丸をおそるおそる左にずらす。画面には昨晩のみゆきがうつっていた。就寝前のくらい部屋でベッドに寝そべり、なんの目的もなくスマホを見ている。早く寝ればいいのに、とみゆきは思った。
さらに左にスライドさせる。今度は駆け込み乗車をするみゆきだ。いま思えば急いでその電車に乗る理由はなかったのだが、他人の小走りにつられてみゆきも走り出していたのだ。みゆきは必死な表情で行き急ぐ自分がなんだか馬鹿らしく思えた。
さらに白丸を左に動かす。次は職場で上司に怒られるみゆき。みゆきの責任ではなかったが何も言えなかった。
その次はオフィスで無表情でパソコンに向かうみゆき。その目は死んでいる。
何度巻き戻しても似たようなシーンばかりが映し出される。時折楽しい時間を過ごしていても、その表情はなんだか疲れている。

気がづくとみゆきは白丸を動かして自分を観察する作業を繰り返していた。
大事ではないことの連続によって自分の思い出が形成されていることをひたすら自分に見せつける様子は、ほとんど憑りつかれているようだった。

「それじゃあ、行き先を教えてもらえますか」
ようやく口を開いた中村の声でみゆきは我に返った。

「あの、もう大丈夫です」
戻りたい過去はない。それがみゆきの結論だった。

「大丈夫というのは…?」
「過去には、戻りません」
それに対して、中村は何も言わなかった。

「せっかくいろいろ見せていただいたのに、なんだかすみません」
「いえ、いいんですよ。戻りたくなったらまたいつでもお迎えにきますから」
みゆきは笑顔でうなずいた。

「では今回は行き先なしということで、再生画面は戻してしまいますね」
中村がそういうと、タブレットには再びルールが表示された。

1.目的地は『自分が登場する過去』だけ
2.過去を変えることはできない
3.過去にいられるのは4時間だけ

「これも必要なし、と…」
中村のつぶやきと共に画面は再度変わり、元の CM を流し続けるタブレットに戻った。

「あらためまして、どちらまで行きましょうか?」
みゆきの自宅マンションに向けてタクシーは走り出す。

もうひとつ、みゆきは気になっていたことがあった。
「ところで、どんな目的で使う方が多いんですか?」
「目的はみなさん様々ですが、お話しできるようなものですと落とし物が見つからないから無くした時に戻りたい、ですとか。誰かが目立つところに動かしてくれたのか、交番に届けてくれたのか、もしくは盗られてしまったのか確認しに行くみたいですね。そんなような目的で10回以上乗車された方もいますよ。何がそんなに大事なものなのだか知りませんけど」
代償は40時間分の未来…。たった「4時間」だからと繰り返す気持ちもわからなくはないがみゆきは少しぞっとしてしまった。
「ほかの目的は?」
「まああとはベタですが、もうこの世にはいない大事な人に会いに行ったりですね。私はおすすめしませんがね。時間によってしか解決できないことってあるでしょう?過去にとらわれず、現在や未来を向いていたほうがいいんです、たいていは」
「そうかもしれないですね」
「実際そういう方って、これが最後だって言いながら何度も行かれるんです。いつまで経っても気持ちの整理がつかないから」
つまらなさそうな顔で中村が淡々と語っている。なぜ中村は、このタクシーを走らせ続けているのかみゆきは不思議に思った。

「はい、つきましたよ」
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、これがタクシーの仕事ですから。1780円です」
あっ、料金がかかるのか、とみゆきはつい思ってしまった。その表情に気づき中村が少し笑う。
「お金、お願いしますよ」
「わかっています」
みゆきも笑い返す。

みゆきがその水色のタクシーを降りるとき、乗る前とは随分と変わって前向きな気持ちになっていた。

未来を輝かせたい。この先の一瞬一瞬を、有意義なものにしたい。
変えられるのは、未来だけだから。

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