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小さなわたしを癒す

最近気になっていること。

幼い頃の自分を、無意識に娘に重ねてしまっているのではないか?ということだ。


わたしが2歳になる少し前、弟が生まれた。
私はあまり母に甘えた記憶がない。
いつも弟を抱っこしているからだ。

小学生になると夕食後に洗い物をする母に、お手伝いしようかとよく聞いていた。その度に優しく「ありがとう、大丈夫よ」と家族とテレビを見ているように促された。
まぁ今なら分かる、自分で洗ってしまった方が早いことを(笑)

正直、手伝いたかったのは少しでも母と一緒に居たかったから。夕食後のテレビの時間はいつも母だけがいない。それが寂しくて、洗い物が早く終われば母と一緒にテレビが見られる。そう思っていた。
今でも実家に帰ると母は、「洗い物が好きだから手伝わなくていい」という。もしかすると、7人家族の母にとって洗い物をする時間は貴重なひとり時間だったのかもしれない。

おそらくわたしはもっと甘えたかったのだ。
だけど甘えるのが下手だった。
たぶん2歳の時から。…なんて、覚えていない。

弟が生まれてからどんな風に過ごしていたのか覗けたらいいのにな。ちなみに母は当時のことをよく覚えていないらしい。それだけ無我夢中の子育てだったんだろう。
意外とわたしもたっぷり甘えていたりして。
昔の記憶は、事実と違っていることもあるから。
そうなると親の出来ることなんてない。
同じ出来事でも、受け取り手次第で変わってしまうのだ。

私は小さなわたしがして欲しかったと思われることを、娘に対してやってきたのかも。
幼少期から大好きよと口に出して伝えること、何かをしている時には目を合わせて、ちゃんとあなたを見ているよと伝えることなど。
それも本当は私がしてもらっていた事だったりして…

あっという間に小学生になり、現実的には四六時中、娘を見ているわけにいかない。成長と共に今後ますますそうなっていくのだろう。
私も家事の合間にスマホや本で息抜きもする。
きっと娘には娘の不満があって、それを将来へもっていくんだろう。
それは仕方がないのかもしれない、感じ方はその子次第。残念ながら、親が100%望みを叶えてあげることは不可能に近いだろう。

ただ「愛されている自信」それだけは心の奥底に持たせてあげたい。
それがあれば多少の上手くいかないことや不満は、なんとか自分の力で乗り越えて、自分の子供へとは言わずとも、未来の誰かへ繋ぐことができるんではないかと思っている。 


大きくなりすぎた私は、人に頼る(甘える)ことが少し出来るようになり、最近苦手な洗い物を夫に担当してもらうことになった。感謝しかない。
頼ることは相手を信頼しているということでもある。少なくとも私は大切な人に頼られたら、嬉しくて張り切る。夫よ、今後もぜひ張り切ってお願いしたい。

一人っ子の娘には、将来私達がいなくなった時の事を考えると、たくましく育ってもらいたいと常々思ってきた。しかしこのnoteを書きながら、時には「誰かに頼ること」を選択する勇気をもつことも大切なんだと気づく。
まだまだ伝えたいことはいっぱいだ。


「席替えで好きな子と近くになったの!」と
憂鬱代表・月曜日の朝をウキウキと登校して行った娘。

親離れも順調に始まっていると実感し、私も少し嬉しくなった朝だった。




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