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死ぬまで命を生きる

 1498 文字

 2023年1月1日・元旦の朝、カー子と一緒に初日の出を見た。
 
 桜も葉が生い茂り風にサワサワ揺れる、強風にもて遊ばれズザザーッと葉を裏返して行ったり来たりしながら右往左往、葉が千切れて飛んで行かない木々の葉のたくましさ。
 窓の外を意味もなくチラリ、桜の花びらが一枚二枚クルクル地面に落ちて来た。
 見えない天辺辺りで未だ咲いていたのだろうか ? 上からひらりふわり〜〜と桜の花びらが・・・桜の木をみつめて、もしや未だ花が付いているのではと未練タラタラ探したが、見える筈もなく、イヤイヤ花が咲いている筈などないでしょうと一人がっがりしながら、苺の花の白さに嬉しさかみしめて、今年は甘い苺になるかしら ? 苺ではない草を丹念に排除する事にした。

 実家の近くに差し掛かると必ず私の車を見つけて、二羽の黒い翼を持つカラスが車の前を低空飛行で、誘導しているかの様な日々は過去の事。

 3月、実家に行っても辺りはシーンと静まり返り、私はカー子~と何度も呼んだ、幾度行ってもカー子の姿はなかった。
 カー子の好きだったパンを幾度も寂しく持ち帰り、私の胃の中に収まり、あ~あ~あ~ウエストではなく腹がメタボになるわ、どうしましょう、もう1ヶ月以上も姿を見ていない、どうしたのかしら ? 山の中に美味しい物があってお腹いっぱいなのかしらね〜。
 それにしてもおかしいわ、変だわ。

 遠い思い出は、キムチ鍋の残り物をカー子に食べさせた事があった。
 カー子はヒュウ~と飛んで来てキムチ鍋の残り物にかぶりついた、次の瞬間口に入れた物全部吐き出し、赤い舌を口の中央にして信じられない、酷い~という目で私をジ~ッと見ていた事があった。
 カラスは辛い物は駄目なのね~と新発見した様な気がした。

「ごめんごめん、辛い物はだめだったのね」

 カー子は私を疑いの目で見ている、確か黒糖の蒸しパン(私はこの蒸しパンがお気に入りだった)カー子にやるには忍びなかったが半分ちぎって細かくしてカー子にポンとやった。
 細かくしないとカー子は後ろにいる???夫の分までひとり占めして持ち去ってしまう。
 何時もなら飛び付いて食べるのに・・・(笑) 首を傾げてパンと私を交互に見ながら、物凄く警戒しているのである。
 食欲に負けて小さなパンを恐る恐る口に運び味見をしている、口は完全には閉じる事なく舌の上でコロコロ転がして吟味している事に驚いた。
 その事があってからカー子は常に食べ物を見つめて吟味、少し食べて吟味、そしてようやく食べる。
 
 4月になってもカー子の姿がない、相変わらず私はカー子を呼んでいた。
 そんなある日の事、一羽のカラスが私の足元に降りて来た、カー子なのね、私は嬉しくて持って来たパンを慌ててカー子の方へ、それもマルマル全部細かくしないで、一メートル先のカー子へポンと落とした。

 カー子ではなかった、カー子はハシブトガラス、夫の方はハシボソガラス、そのハシボソガラスだった。

 それっきりこのハシボソガラスは私の前には姿を見せなくなった。

 後にあの夫だったハシボソガラスは私に、もうカー子は居ない事を知らせに来たのだろうと思う様になった。

 実家の近くの山菜採りや山歩きの時はいつもカー子が側にいた、必ず見つけてくれて、こちらが気づいていない事がわかると野太い声で ガァ~ と鳴いて居るよ~と言っていた。

 5月終わり、ようやくカー子の命はもうなくなっている事を疑わずに、電線に止まっているカラス達を見つめている。
 物凄く寂しいものだわ、未だに空を見上げて黒い翼を見つめてはカー子ではないのよね~と深く自分に言い聞かせる毎日が続いている。
 

 

2023年元旦の初日の出を一緒に見たのを幾度も思い出している。
 ハシブトガラスのカー子は、毎年3羽の雛を育て上げていた。
 話しを合わせると30年近く生きていた事になる。
 簡単に計算してカー子の子供達は90羽もいる事になる


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