見出し画像

【短編小説】黒に溶けた傍観者

 車通りもない。人の気配もない。
 周囲に並ぶ家並みの灯りもまばらで、街灯だけが煌々と輝いている。
 そんなしんと冷えた空気感をもつ、2月の深夜3時の道路。その真ん中に一人の男が顔を下に向けて立っている。見た目は20代中頃で黒い髪に黒いコート、黒い靴。コートの中の服装まではわからないが、全身黒い。このまま闇に溶けていきそうである。

 男はその場でおもむろに腰をおろした。
「きっとそこにいるんだろう?」
 うつむいたまま、ぼそっと男は声に出す。周囲にはもちろん誰もいない。しかし、男は誰かに話しかけるように言葉を続ける。
「俺は別に死にたくてここにいる訳じゃないんだ。お前に一目会ってみたくてな。そして叶うならば…。」
 そこで男は口を止め顔をあげる。目にはあまり生気が感じられないが、口元にはわずかな笑みが見てとれる。

「俺は誰からも必要とされていない。だからと言って、嫌われている訳でもない。いわば空気なんだよ。居たところで気づかれもしない。」
 また一呼吸おいて続ける。
「それならいっそ、本当に空気になってしまおうかと思った。死ぬ訳じゃない。無になるんだ。お前みたいに。」
 そこまで言うとまた男はうつむいた。
 相も変わらず、周りには誰もおらず、車も人も通りかかる気配はない。静かすぎるがために男の声だけが空気を揺らしている。

「お前はこの街が好きか?俺は好きでも嫌いでもない。まあ、しばらく住んでいるから多少の思い入れくらいはあるかもしれないが…。ただ、お前と一緒になるならこんな場所の方が適してるだろう?」

「お前と一つになって、干渉することもされることもなく、ただ眺めている。そんな風になりたい。」

 男はここでまた一度言葉を切った。再び訪れる静寂。まるで時が止まってしまったかのような錯覚さえしてしまう。
 深呼吸。その後、最後に男は口を開く。
「俺の願いだ。俺を喰ってお前の一部に」

 その瞬間、ふっと男のいる道路の真ん中辺り、その空間だけが揺らぐ。
 気づけば男の姿は無く、ただ、静まり返る2月の深夜の景色が広がっているだけだった。



 …その街でまことしやかに話される噂。
 なあ、知ってるか?この街には大きな百足が住んでいるんだとよ。昼も夜も変わらず、街中の道路に沿って這いまわっているらしい。だからといって何か俺たちの世界に被害があるわけじゃあない。ただ見ているんだとさ。
 見える奴によれば、昼間はそこまで活発じゃない。夜になるにつれて動きが大きくなる。そしてそいつが言うには所謂丑三つ時、だいたい深夜の2時とか3時とかか?そのぐらいに一瞬だけこちら側に干渉できるらしい。
 干渉って言っても俺たちからすれば何か見えた気がする、ぐらいなもんだろうけどな。お前はこの噂、信じるか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?