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【#24】チャンス

ある種のアイヒマン実験として


ツール・ド・コンジョウ7日目。
リールからアミアンへ。112km。

ついにドイツを出て1週間。もういい加減疲れました。たくさん言い訳をします。お尻の皮がもうボロボロになってきました。昨年手術をした左膝が軋んできた。南に向かって走っているので、何頭を向いている左腕だけがより日焼けしている。フランスに入ってからだだっ広い農村地帯でスーパーも無くて、水も買えなくて、日陰もなくて、丘陵地帯を心が折れるまで何度も何度もアップダウンさせられる。

バックパックを背負って、足元8段変速の自転車では、山登りも順調に行かない。オマケに大腿四頭筋はだいたいの筋繊維がしばき倒されている。

初日も135kmだったし、雨が降ったし、寒かったし、けどロングライドは楽しかった。日を経るごとに、ホステルにつくたびに「またたどり着いてしまった」と思うようになった。塹壕の中の兵士が、前線で日が暮れるたびに「また生き残ってしまった」と思うのに似ている。ホントに兵士たちがそう思ったのかはわからないが。

兵士たちは何をを持ったのだろうかと考える。アラスにある第一次大戦のイギリス師団の戦没者墓地を見た。白い墓跡が教会の椅子のように整然と並んでいた。

ベルギーの王立陸軍博物館は第一次大戦も第二次世界大戦の展示もあった。フランスで思うのは、第一次大戦の顕彰碑が多い。ノルマンディーやカレーに行けばまた違うのかもしれないが、少なくともベルギーに近いこの地域ではそうだった。地域的な事情はあるにせよ、フランスが真っ向から戦った第一次大戦と、抵抗する間も無く占領されてしまった第二次大戦の違いなのかもしれない。

どちらの大戦でもドイツ軍は、パリまであと100km強のアミアン前面で進撃を停止してしまった。オランダやベルギーのように平地ではなくなだらかな丘陵地帯でかつ農村であり、現地調達での補給も進軍も難しかったのだろう。

誰かにまだ自転車で旅を続けるべきか、もう諦めていいかと尋ねれば、ここまで頑張ったんだし最後まで続けたら、と答える人が多いんじゃないかと思う。それらの回答は多くの場合、私が自転車でパリに走ろうがバリに走ろうがバクーに走ろうがどうでも良くて、答えられているのはもちろん承知である。

それでも続けた方がいいのではと思うのが、ここまで頑張ったのにもったいないと思うのが、人の性なのだろう。

アドルフ・アイヒマン。あの残虐なユダヤ人問題の最終解決の実行者であったSSの小役人。戦後南米に逃げおおせたが、最後にはモサドに捕まりイスラエルで極刑に処された憐れな小心者。少なくともハンナ・アレントはそう描いた。

アイヒマン実験。監督官役の被験者は、壁の向こうにいる見えない電流を受ける役の被験者呻き声が聞こえようとも、指示があれば流す電流を増やしていく。ここまで走ってきた距離も、あと130kmという距離も、結局は電圧の目盛りと変わりないのだろう。

自分に負けたというなら勝ったというのは自分じゃないか、という暴論


私は逃げたのだ。目の前の距離から。しかしそれでいいと思っている。世の人には私が自転車でパリを目指していると聞いて、苦行かなにかをしているのだろうと思うだろうが、別にそうではない。

本心から楽しくて漕いでいる。ケツが痛くても、雨が降ろうとも。でも、楽しくなくなってしまうのなら意味がない。そう言い訳してみる。

年を取るにつれて逃げることが増えた。言い訳ばかりを探し、やらない理由、できない理由ばかりを先に探すようになった。そして、そのことを無謀でなくなったと言い換えるようになった。

私がパリに行こうと、ベルリンへ行こうと、世の人がどうでもいいように、私も目的地はどこでもよかった。走ることに意味があり、その距離や到達点にすら意味はないのだ。

土地の名前に語源があっても意味はない。人がそう呼んだに過ぎない。目的地にも意味はない。どこかゴールを決めなければ、永遠に辿り着かないというだけだ。

だから、とりあえずパリに2泊分のホステルの予約をしてはいたけど、何も観光する予定を立てていなかった。ブリュッセルで同じことをしたら、予約がないので大してどこにも入れなかったので、昨日慌ててルーブル美術館のチケットをとってみた。

といっても未使用のシャツが、埼玉西武ライオンズしかないので、あの有名なルーブルがパ・リーグを受け入れてくれるかに関しては一抹の不安はあるが。

自分に負けた。当初の予定を諦めたのだから、その表現は私に当てはまる。自分に負けたというなら勝ったのは自分という屁理屈を押し通せる自信もない。だからといって、パリにもし自力でついていたとしても、自分に勝ったということにもならない。

ブリュッセルの夜、自転車旅行にいつも行ったA君と日本とベルギーを越えて少しだけ話した。私は音声で彼は文字だけの歪な会話だったけど、とても懐かしかった。だって、彼もまた旅をしていたから。

私たちが最初に旅に出たのは、多分もう8年ぐらい前のことで、ちょうど今ぐらいの夏の日に台風が来て、家が流れるかもしれないから川を見に行こうと私が誘った。

よくよく考えれば、そんな激しい台風が来ているならば川には近づけないはずだし、自転車だって前に進まないはずだろう。結局、川には家なんてひとつも流れていなくて、台風はすぐに通過して空は晴れた。それからBOOKOFF何件か回って物色して、CDと漫画本を買い漁って帰った。

あれから8年経って、今ヨーロッパにいて650kmの道のりを走り、そして諦めて電車で帰るズルい大人になるということを想像できただろうか。川に家は流れていなかったし、パリには届かなかった。ただ、それだけだ。

誰の上にも雨は降るけど、ときどき素知らぬ顔をしてチャンスも降ってくる。私にチャンスは降り、掴み損ね、セーヌ側にチャンスは流れたのだろう。チャンスが過ぎ去ったあとのパリの空は8年前と同じようによく晴れている。





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