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【#18】ツール・ド・コンジョウ

どうして旅に出なかったんだ

ゆるキャラの名付け親、みうらじゅんは、何をやるにしても、自分で企画して、自分で営業をかけ、自分で実行するが故に、自らを「ひとり電通」と呼んでいた。この連載のタイトル「ひとりヴィレッジヴァンガード」のネタ元も、考えるまでもなく「ひとり電通」にインスパイアされたものである。ただ、みうらじゅんが憎いのは、博報堂と仕事をするときは「ひとり博報堂」に名乗り変えることができるのに、私はフライングタイガーから広告案件が来ても「ひとりフライングタイガー」とは名乗れないのだ。「タイガー」なのに「ひとり」なものだから、助数詞と名詞が揃わなくなってしまう。いや、虎は虎でも、そなたは我が友、李徴子ではないか?え、李徴子ではなくひろゆき?人間が虎になるなんて、なんかそういうデータあるんですか?

使い古した山月記ネタを、残り少なくなった歯磨き粉のように絞り出して、歯ブラシの上から勢い余って洗面台に丸ごと落としてしまった。これはイケると思った企画が次々に零れ落ちて行って、記事として仕上がる前にひとりヴィレッジヴァンガードひとり編集部からペケを食らってトボトボと返ってくる。

失われた30年の煽りを受けるがままに流され続けた自営業の父親を見て、いかに一国一城の主だろうとも自営業にはなるまいと決めた。そのはずだったのに、今や同じ状況に陥っている。誰にも相談することも、誰に頼ることもできない孤独な企画兼編集兼ライター見習い。企画書は書けども書けどもつまらない。ドイツに来て早4ヵ月。そろそろ熟練してきて、いい企画が出てくるかと思えば、「ツール・ド・コンジョウ」

ツール・ド・フランスとド根性を掛け合わせてみたものの、ドしか合っていない。語呂合わせだからまだしも、音階の話だったらカタストロフ、それもカラシニコフをぶっ放したような惨状になるところであった。これ以上銃について話すと、全米ライフル協会が来てうるさくなりそうなのでやめるが、クソみたいな企画を自分で出しては、自分でボツにしてうんざりする日々ばかりだけが続いていく。

ちなみに、更新できなかった先週のタイトル案は「同調圧力鍋」。同調圧力で脳まで柔らかくされてしまった日本人が云々と書こうと思ったが、仕込みの段階でショウガ臭いサバの味噌煮みたいになっていたのは自分の方だった。私のセンスというセンスは三枚に下ろして、30%の値引きシールが貼られてスーパーの鮮魚コーナーに並んでる。ちなみに、ドイツに鮮魚コーナーはない。愛おしき鮮魚コーナー。

元の魚がどんな姿だったのかもう誰も知らなくなって久しい、鮮魚コーナーのプラスチックパックに梱包された柵の刺身のように、同調圧力の中で同じような顔をして、同じような服を着て、愛とか幸せとかについて同じような話を意味もなく繰り返している。新鮮そうな見た目かどうかと、パッケージに張られたシールの値段と内容量だけで選ばれるあの魚たちのようになりたくなかった。骨が少なくてトゲっぽくないことなんてなにひとつ褒め言葉だとは思わなかった。

自分よりきっと優秀でないだろうと勝手に虚妄した、想像上の誰かから己を評価されることを受け入れることができずに、日本は同調圧力の国だからと言って逃げてきた。そしてドバイ経由で乗り継いで、日本よりも8時間遅く朝が来るこの国へ、まぁ今はサマータイムで7時間なんだけど、はるばる逃げてきた。一度、同調圧力鍋に入ってしまえば、脳が溶けだして不可逆的な形で、元の姿が想像もつかないような煮汁の一部になるまで蓋を開けることはできないのだからと言い訳してきた。

ウソがさらにウソを呼びスタグフレーションを起こしていた虚飾まみれの生活を送っていたとき、私は睡眠難民だった。何ひとつ目新しくない一日を漠として過ごし、それは漫然と生きているというより、将来はまだ来ないだろうしなんとなくうまくいくだろうという浅はかな夢を食べて生きる獏のように、徒に時を費やした。そして、夜眠りにつく前に己の一日を振り返るまでもなく、何もしなかった一日を取り返すようにして、夜中まで生産的でない何かをする日々を繰り返してきた。さしずめ、人生の可処分時間の過払い金の裁判であり、なんとなく満足のいかない眠りに気絶するようにして落ちて納得のいかない目覚めを迎える。

そんな人生を変えたくてドイツに来たのだけれど、土地が変わって、言語が変わって、文化が変わって、食生活が少し塩分多めになっても、自分自身が変わるわけではない。かつてダウンジャケットを着こんで外に出かけた雪の降る冬の日があったことが同じ惑星の出来事と思えないほど、車のボンネットでステーキが焼ける暑い夏が来る。

どれほど故郷から遠くとも、——沈むように、溶けていくように——私たちはその土地に順応し始める。地球の片隅で生まれた人類が、テトリスのように国旗の色と国境だけを書き換えながら、地上に足の踏み場もないほど隙間なく生きている現在に至るまで、流浪を繰り返した種族なのだと教えてくれる。

私たちはいつしか慣れていく。それは、——騒がしい日々——ではなく、むしろ質問できても質問されたら慌てふためくしかないドイツ語と、間の悪い返ししかできずに頷いていることばかりの英語に、ときどきの妥協と諦念で話す日本語だけで構成された日々が、ドイツに来たばかりのときに感じた新鮮さを連鎖的に消しながら侵食していく。

時間は貴重だ。ドイツ語の授業で、時間に関する慣用表現を勉強した後、それぞれの母語の時に関する表現を教えてくれと言われた。大抵、どこの国でも時はすぐ過ぎるとか、時は金なりに似た意味の慣用句ばかりだった。

私が一番に思い出したのは、奥の細道の冒頭。「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」ドイツ語に訳せる気が微塵もしなくて発言しなかった。時間を旅人に喩えられるほど、実は李白の引用なんだよと言えるほど、というか日本人全員が高校で習うんだよとまでつけ足せるほど、十分なドイツ語の能力がなかった。

時間が旅をしているという感覚は古典なのに新鮮、いや未だ新鮮に感じるから古典は生き残っているのかもしれない。だけど、人生を旅に例えるやつは最低だ。世の中に存在するありとあらゆるものは、旅で例えることができる。アクロバットなフォローができてしまうのだ。

例えば、ケバブ。ときどきケバプなんではないかと不安になるケバブ。欧米人が飲み会のしめで食うケバブ。飲み会後にラーメンを食して中性脂肪を蓄える島国の民族には、とてもしまった感じがしないしめのケバブ。

そんなケバブだって元々は中東の料理なのに、移民と共に欧米に流入し飲み会のしめの代名詞になるまでに市民権を得た。遊牧民の料理に端を発するこの料理が、ドイツを代表するファストフードになったその旅路は感慨深いものがある。みたいにかけてしまう。

人生とは旅のようである?当たり前であろう。人類は定住よりも移動を繰り返して地球の隅々までに広がったのだから。それゆえなのか、私はどうも週末は出かけないとなんだか時間を無駄にした気がする。どうして旅に出なかったんだ、ともうひとりの自分が問いかけてくる。問いかけてくるのはその名もズバリ、どうして旅に出なかったんだという曲だった。私には残念ながらイマジナリーフレンドはいません。

なんだか慣れてきてしまったハイデルベルクを飛び出していこう。ヒッピーのようなノリで決めた。ドイツからフランスの花の都・パリを目指す。たいていの留学はパリに電車か夜行バスで行く。ハイデルベルクから電車なら3時間、バスなら6時間前後で圧倒的に安い。

私の天邪鬼は大いに今回も発動した。よし、自転車で行こう。ツール・ド・コンジョウ。今まで自転車旅を一緒に行っていたともだちは、日本でもう正社員として働いている。パリに行くから一緒に行こうぜなんて言えない。

ひとり旅。ともだちがいない人間の宿命。

でも、意外と走り出してみると走る方に集中しているから、意外と気にならなかった。まだ初日だからかもしれないけど。

初日の報告。朝、電車に自転車を積んで、ドイツーオランダの国境に近い街、ヴェセルへ。そこからオランダに入って、135km先のユトレヒトを目指した。

もう、脚、パンパン。結局初日から9時間漕いでました。やっぱ100kmの大台を越えると違うねぇ。しかも向かい風だし、雨には降られるし、ちょこちょこ道は間違えるし。

それでも旅は楽しい。

以前、どこかで読んだ論考なのだけれど、旅の本質は何かを観光してみることではなくて、そこに辿り着くまでの移動時間に何かを考えることにあるという。

なんだかコロナ禍で、グーグルアースなんかを使って世界旅行みたいなのが流行ったけど、あれは移動の時間がないから意味がない。

旅行を意味するツアーの由来のひとつに、聖地巡礼があるらしい。信者たちは聖地に何があるのかを知っている。なんなら事細かに知っている。だけど、彼らは行く。それはそこで拝んだりなんだりすることよりも、そこに辿り着くまでの間の時間、強制的に自分の人生に思いを巡らせる必要が、己の信仰に目を向けるひつようがある必要があるからこそ聖地巡礼に価値があるのだろう。

自転車で旅をすると強制的に携帯を触らないで、自分の思考と向き合う時間ができる。自分の身体と向き合う時間できる。それがなんだか楽しいというよりも心地よいのだ。

ホステルについたとき、もう帰りたいとは微塵も思わなくて、明日も楽しみだとそう思った。

ただ、ホステルの同部屋のルーマニア人。疲れてる私にマリファナを勧めないでほしい。ちょっと怖いから。

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