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【#21】ショタイイダハラ:少年よ大志を抱けハラスメント

クラーク先生は特殊な性癖の持ち主ではありません

ツール・ド・コンジョウ4日目
オランダ・ロッテルダムからベルギー・アントワープへ。走行距離は102kmの予定だったけど、乗るつもりだった渡し船が運行していない時間帯で橋まで迂回したので+10kmぐらいだろうか。

9:30に走り始めて17:30に着いたけど、走行時間は8時間もないと思う。というのもベルギーとの国境を越えて(ドイツーオランダ国境もそうでしたがなんの看板もない。私の期待を返して欲しい)すぐにあるレストランで1、2時間休憩したので。

というのも国境を越えたのが14時過ぎで、昼食を取ろうとレストランに入り、奮発して16€もするボロネーゼ・ラザニアを頼み、(しかもつけあわせのパンを断るという奇行を見せ)、食していたところ、顔面が痙攣を始めたので、これはまずいと思い6.2€もするミネラルウォーターの大瓶を頼み、落ち着くまで休憩した。

軽度の熱中症だったのでしょう。おしゃれ目なレストランの日陰になっているテラス席でしたが、スポーツインナーだけになってくつろいだ。それからオランダ語できなくて、英語でオーダーしてすいません。店員さん。

結局、お勘定は26€で(他にも飲み物頼んだ)、日本円で3600円ほどでまた豪勢な昼食をとも思ったが、熱中症でベルギーで倒れることに比べたらやむなしでしょう。

それからベルギー領内を50kmほど走行して、アントワープのホステルにつきました。それから市内をちょこちょこうろついて、スーパーのお惣菜コーナー的なところでインドカレーとケチャップサラダ(ケチャップはケチャップでもオランダ領だったインドネシアの醤油みたいなソースです)を買って港湾地区まで歩きました。

港湾地区の観覧車の向かいに小さな城がある。入り口のスロープは舞浜の駅からディズニーランドへ続く入り口のようだけど、内部の構造はディズニーシーにある砦のようで、ところどころが補修と観光拠点用にヘーベルハウスみたいになっている。そこから展望用のデッキが伸びていてベンチがポツポツと16部休符ごとにならんでいる。

それだと感覚狭すぎるのかな?

もう時刻は19:30を過ぎて運河の水面には沈む夕日が映っていた。通り沿いの軒先、テラス席で他愛もない話に励むおじさんのグラスのハイネケンには、夕日は昇っていた。

100kmという道のりは昔の私なら達成した喜びもひとしおにあっただろうが、昔ほどの感動はない。それはおそらく可能なことと不可能なことが、残念ながら少しずつわかってきてしまったからだろう。1日の走行の限界は平野であれ山間地であれ130kmで、峠越えをするならもう少し低く見積もった方がいい。それ以上は回復に支障をきたすだろう。

大人たちは子どもたちに大きくなったら何になりたいのと聞く。なりたいものではなくなれるものにしかならなかった大人たちに限ってそう聞く。

先生たちは子どもたちに将来の夢につい作文を書かせる。先生にでもなったか、先生にしかなれなかった先生たちは、教員採用試験で志望動機をなんと語ったのだろうか。

親たちは自分の親たちの介護の心配事を頭の片隅に秘めながら、将来の夢について子どもたちに話させようとする。もう子どもたちは親の介護について考えていることなんてつゆも知らずに。

子どもに夢を語らせるハラスメントは至る所で横行している。自分の人生の反省と懺悔のありとあらゆる経験を繰り返して欲しくないという身勝手な思いを乗せて問う。

これらは紛れもない少年よ大志を抱けハラスメントである。略してショタイイダハラである。飯田原という小さい男の子がいるように錯覚してしまう人は重症なので病院へ行くといい。

子どもは無限大の可能性があるとか、夢を見ることができるというけれど、それはウソだ。可能なものと不可能なものの分別が薄弱なだけだ。

できるとできないのあいだに、幾重ものレイヤーが重なっている。知っているけどできない。わかっているけどできない。できるけど毎回できるわけじゃない。できるけど大したことない。できそうでできない。年をとるたびにその境目がくっきりと見えてくる。川面とひとつだったはずに夕日は地平線の上と下で不可逆的に切り裂かれる。

できそうとできるの間には天と地ほどの差がある。彼女がいそうと彼女がいるの間にはどうしようもない溝がある。いくら彼女いそうと褒められても私は今こうしてひとりで旅をしている。

日本の寿司とヨーロッパのSUSHIの間には、かつて魚から陸上に上がりやがて哺乳類となって海に戻ったイルカとずっ海で泳ぎ続けてきたサメとぐらい違う。

『ノルウェイの森』を小説で読むのと映画で見るのでは、“Norwegian wood”を「ノルウェイの森」と訳すぐらいの壁がある。どんなにワタナベくんがクズでともだちがいなくて、でもやたら女にだけモテて、おいしそうな朝ご飯を食べ、世の中を冷ややかな目で眺めていても、私の中のワタナベくんは松山ケンイチの声で鳴かない。

私は将来どうなるのだろうと思いを馳せたりしながら、時々熱中症になって、私は走っている。グラスの中に昇る夕日が白い泡と地平線の境目が消えるファジーな部分の中にまだ残っているできるとできないの曖昧な国境地帯にある、できるをみつけるために。

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