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ひとり旅日記欧州へ19日目後編:ロメオと再会→ライプツィヒで映画観た帰りのお姉さんに助けてもらう

2016年1/8ベルリン→ライプツィヒ。

ベルリンに戻る電車の時間を確認するとあと5分との事で、米が足りなかった分はフライドポテト2ユーロを買って、車内で食べた。行きは快速だったが、帰りは各駅で時間がかかった。ベルリン着17:15。駅でwifi使えればロメオにメール送れたのに、フランクフルトとミュンヘンの駅は飛んでるのにベルリン駅はデカイだけで不便極まりない。

一度宿に戻り、時間を18時集合にした。17:50の電車に乗ったが、ロメオが指定してきた駅は案外遠くて15分遅刻。立ち話をして、チロルチョコ全部を彼に渡して、「次の移動があるから、ここでさよなら」と伝えたら、「ライプツィヒ行きの電車まで送るよ」と言ってくれた。その前に、ロメオのスマホと自分のiPadで写メを撮った。

チロルチョコだけでなく、日本から何か贈ってあげたいと思って誕生日を聞いたら2/2とのこと。「自分の旅があと1週間だから、誕生日には間に合わないけど、プレゼント送るね」と伝えた。「オレ、もしなれるとしたら、DJになりたいな~」って言ってた。ドイツ政府からの支給額40ユーロ/週だと服に回らないって言ってたから、coolな服を送ってあげよう。毎月の支給額から15ユーロ/週でwifi契約もしてるとのこと。たぶん政府の難民対策方面から連絡のやり取りできるように、スマホは持たないといけないのではないかと思う。月に一回はお母さんに電話すると言ってた。

「昨日あなたに会ったことはとても良かった」と言ってくれた。宿まで荷物を取りに行き、それをロメオが駅まで持ってってくれた。嗚呼。荷物を運んでもらう為にロメオにチロルチョコを渡すのに会ったんじゃないのに!またまた借りができてしまった。どうにかこうにか、わりとギリギリでライプツィヒ行きに間に合った。ロメオとハグをして別れた。ロメオ、本当にありがとう。

ライプツィヒまでは1時間ちょっとの移動。通路をはさんだ隣の席の犬、デカかった…。一匹は急に興奮し出して吠え始めたし。

ライプツィヒ。ナメてたら駅がデカくてビックリ。ベルリン駅よりデカくないか?電車一緒だったおばさんはエーゴ分からないからと助けてくれず、インフォメーションは既に閉まってるし。との事で、誰かと待ち合わせしてる青年に聞いてみた。ってか、彼の説明正しかったのに、なんで自分イミなく道を渡ってしまったかね…。

iPad抱えて、典型的な道に迷ってる人になっていた自分。その度合いがよほど酷かったんだろう。心配して声をかけてくれた自転車のお姉さんのMay I help you?の天の声が!Yes! Please!!と思いっきり助けを求めた。「この辺り、wifi飛んでないので、Googleの地図が開けないんです…」と伝えると、「じゃあ、行きましょう!」と。「え?」と聞き返したら、宿まで一緒に行ってくれるとの事。道順だけでなく一緒に行ってくれるとは!「でも、お家は同じ方向なんですか?」と聞いてみたら、「そうよ」と言ってくれたけど、もしかしたらそれは彼女の優しさだったのではないかと思った。

彼女は映画を観た帰りとのことで、「映画はよく観るんですか?」と聞いたら「月1本くらいかな」ってことで、「自分もだいたい同じくらいです」と伝えた。映画より本を読む方が好きとのことで、「自分もよく図書館に行って本を借りて読んでます。本は買うと置き場に困ますよね~」と盛り上がった。彼女は今までに2本日本の映画を見たとのことだったが、タイトルが日本語でも英語でもないからなんの映画を観たのかは謎だった。

ライプツィヒの宿の目印を送ってくださいと言ってメールに添付されてた入り口が見つかったから、彼女とはそこでサヨナラだった。ダンケシェン!今日は何人の人に世話になっただろう。握手をして別れた。彼女は来た道を戻って行った。

宿をたぶんhotels.comで予約したと思うけど、目の前の建物は思いっきし一般のアパートじゃね?地図上では駅近だったけど、道に迷ってしまって21時到着予告が21:20になってた。共同玄関はもちろんオートロック。ガチャガチャやってみても開かない。メールくれた人の名前も覚えてなくて、呼び出しチャイムを無差別に押すことにした。まずは、シューベルトさん。しーん。応答なし。次、この人は?応答してくれたから、「こんばんは。助けてくれませんか?」とやり取りしてる最中にメールくれたブールさんが下りて来た。もう夜遅くてみんな寝てるから静かに。みたいなボディランゲージ。3階までエレベーターで行き、部屋に入った。本当にアパートだった。

wifiの繋ぎ方を教わり、支払いをしてチェックアウト時に鍵は部屋に置くようにと言われた。ここまでほぼボディランゲージ…。ブールさん。エーゴ話せないでよく外人に部屋貸すよね…。

ワルシャワ以来のバスタブ♪早速お湯を張ったがなかなかお湯は溜まらず。自分の尻で栓を押さえないとダメらしい。顔汗を思い切りかいた。今日は1日長かったな…。ロメオに「良いことをしたら、なんらかの形で自分に返ってくるよ!」とメールした。


※ロメオとのその後※

帰国後、幸い自分が住んでる場所は古着屋が多いから、ロメオの話をして古着の1着2着を譲ってもらえると思って、休みの日に訪ねては話をしたり、難民に援助物資を送ってるNPOにメールしたりしたが、どこも協力的ではない。会社のセンター長や同僚になんかツテ無いか話してみても、ラチが空かない。そうこうしてるうちにロメオの誕生日は過ぎてしまった。ロメオの話に共感しづらいだろうし、ここは身近な人の協力云々ではなく、第一便は自腹でなんとかしようと思い直した。

何軒か巡った古着屋のお兄さんにはロメオの話をせずに冬物を選んでたら、「安くしますよ!」と言ってくれた。いざお会計時に「3着2000円で良いですか?」と聞いたら、笑いながら「それはちょっと~」となったから、ここで初めてロメオの話をしてみた。「お姉さん、それひとりでやってるの?」「はい…」「わかった。じゃあその金額でイイよ!」有難かった。

送る前にネットで箱の大きさと重さを確認した。箱はクリアしてる。中身はあともう少し入れられそう。おかんが「じゃあ、お菓子を入れてあげましょう」と2キロピッタリ。SAL便で送った。西安は届かなかったけどドイツは着くだろう。

半月後。ロメオからメールが来た。良かった無事に着いて。

その後もメールのやり取りをしていたが、5月頃に今までとは様子が違うメールが来た。

ベルリンで彼と別れた後、ロメオはこのまま変わらないでいて欲しい。でも、友達次第では悪い方向に行きやすいかも知れない年頃…。なんとか流されないで頑張って欲しいと願ってた。

お母さんが血液の病気なんだ。助けて!

助けて=お金?

自分からの返信は、まずは身近な語学学校の先生や亡くなったお父さんの兄弟、その他親戚を当たるべきで、自分に助けを求めるべきではない。

ロメオからは親戚はいない。との返信あり。

日本に来てる外国人が何かを求める時、街頭に立って自ら支援を求めてるが、ロメオはその位の事をしてどうにもならずに自分に助けを求めてるのか?とメールした。

この返信の後しばらくロメオからメールは来なかった。

ひと月後位に、最初の頃の様なやり取りのメールが来た。

自分はわざと、お母さんのその後の具合はどう?と返信した所、お母さんの件がどうなったかなんてはぐらかした返信が来た。決定的。ベルリンで話してくれた通りであれば今頃高校に行けるはずで、そうしたらノートやら文具やらを送ってあげようと思ってたが、もうマイミー。

ロメオには自分という友人を失ってもらう事にした。そうすることで彼がこの件から何かを学んで欲しいと思う。後悔して欲しいとまでは思わないけど、ここで甘やかして日本人をナメてもらっても困るから、彼との連絡はそれ以来絶った。

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