"縁"について語ってみました。


"縁"って、とてもおもしろいもので、ワクワクさせてくれて、個人的には「逆らえない何か」を感じています。

"縁"ってすごく、流動的。
流動的とは、ご縁があるからといって、一生の付き合いになるとは限らないということです。

今の私が、"縁"を精一杯言葉にすると、
「その人からもらった何か」が自分の一部になるような出逢い。と、反対に「自分の何か」を一部ごっそり剥ぎ取られるような出逢い。
それは衝撃的な出逢いでなくても、その人と過ごす日々が少しずつ自分の中に新しい色をくれたとか、自分の固定概念のような「私は赤なんだ!」を「いやいや、赤といってもあなたは朱色だよ」と和らげてくれたとか。


その人と疎遠になったとしても、当時のストーリーは、なくてはならない自分の一部のように感じられる。

そして、"縁"には、しがみつくと離れていく特性もある気がしています。
「彼とは縁があるはずだから」と思考が先立った瞬間に逃げてしまう。
"縁"に前のめりになって、重しをかけてしまうと、途端にどこかへ行ってしまう。

いい意味で肩の力が抜けていて、自分自身をナチュラルに生きているとき、五感が澄んでいるとき、"縁"は最大級に味方してくれるのではないかなと思います。

「今がタイミングだ!」という感じで、"縁"を持ってきてくれます。


2022.2.2  ご近所のカフェで挽いていただいたコーヒーを飲みながら。

このカフェは、どんなときも私から「頑張る」を剥ぎ取ってくれる。いつ足を運んでも。

お店の一角に古本コーナーがあり、そこに置いてあるブタの貯金箱にお金をお支払いするスタイルで絵本を購入できるのですが、この空間がまた最高。

どれだけ息子に手を焼いた日も、「これ、喜ぶかな」と手に取りながら本を選ぶ時間は、このうえなく癒やされます。

お店との出逢いに感謝しています。

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