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CGと虚構の世界『ルッカー』

実験的なコンピュータ・アニメーションの先駆者ジョン・ホイットニー・シニア。コンピュータの演算処理による彼の幾何学グラフィック作品は、どれも目がくらくらするほどサイケでイカしたものだ。それにいち早く目を付けたのはサスペンスの神様ヒッチコックで、ヒッチコックはホイットニー・シニアを新作のタイトルバックの演出に起用した。それが、有名な『めまい』(1958)のオープニングだ。

『めまい』のタイトルを担当したのはこちらも伝説的なグラフィックデザイナーのソウル・バスだが、アップで映された瞳の渦に被さるように現れる、グルグルと回り続ける光の螺旋はホイットニー・シニアがコンピュータを駆使して製作したものだった。そこで使用されたのは、極めて原初的なCG技術であるが、催眠状態に陥りそうな無意識にも惹きつけられるこのタイトルバックは今見ても非常に洗練されている。ホイットニー・シニアの作る目眩を引き起こすアニメと混沌とした作劇が上手く呼応した名シーンである。

ホイットニー・シニアのアニメーション作品群はこれまた天才ダグラス・トランブルの目にも止まった。『2001年宇宙の旅』(1968)で主人公が乗る木星探査船がスターゲートを潜る幻想的なシークエンスの特殊効果を担ったトランブルは、彼のアニメを大いにインスピレーション元にしていることが明かしている。

そんなウィットニー・シニアが1972年に製作したグラフィック・アニメーション『Matrix Ⅲ』にイマジネーションの活路を見出した男がいた。

ハーバード大学の医学部を卒業し、小説『アンドロメダ病原体』(1968)を発表したマイケル・クライトンの人生は絶好調だった。小説は名匠ロバート・ワイズによって1971年に映画化され(『アンドロメダ・・・』)、クライトンは一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たす。1972年には『暗殺・サンディエゴの熱い日』で自身の原作を元にTVMで監督デビューし、1973年にはMGMスタジオに自ら監督することを条件にオリジナル脚本を売り込む。『ウエストワールド』(1973)と題されたその映画では、急激な成長をみせるテクノロジーへの疑念を最先端の科学技術を用いて映像化するという試みがなされたのだった。

クライトンは『ウエストワールド』において、暴走して人殺しを始める人型ガンマンロボットの演出に主観ショットを盛り込もうとした。赤外線で物体を判別するというロボットのアイデアを実現するためにクライトンは奔走し、NASAのJPL(ジェット推進研究所)に依頼を出すが、低予算映画の予算には収まり切らずに断念することになってしまう。そこで困り果てたクライトンの光明となったのがCG画像で、そのためにはウィットニー・シニアの『Matrix Ⅲ』が必要になったのだ。

クライトンがその映像を借りにウィットニー・シニアが経営するモーション・グラフィック社に来て話を持ち込むと、そこで働くかたわら自身の作品製作に勤しんでいた彼の息子ウィットニー・ジュニアが、ロボットの主観映像を担当することを申し出たのだ。

ここでウィットニー・ジュニアとクライトンが出会うことになった。ウィットニー・ジュニアは『Matrix Ⅲ』の制作に協力したトリプルアイ社に掛け合い深夜のみのコンピュータの使用をこぎつけ、そこで夜な夜な僅か1分間の映像に4ヶ月間の時間を割いて制作作業を行った。ここでの経験でCGの未来を見据えたウィットニー・ジュニアは映画とCGのビジネスについて思いつくことになる。

『ウエストワールド』の続編『未来世界』(1977)を経て(これにはクライトンは関わっていないが、彼はVFXの演出にトリプルアイを推薦した)、CGを用いた映画制作を行う部門を立ち上げたトリプルアイの飛躍的な技術革新を目の当たりにして、ウィットニー・ジュニアは後10〜20年の間に人間と全く見分けのつかないシュミレーション俳優が登場するだろうと考えた。それをクライトンに話すと彼は早速これを脚本にして、自ら監督する『ルッカー』(1981)という映画に生まれ変わらせた。

一流整形外科医のラリーは彼が担当する患者のスーパーモデルたちが次々と謎の自殺を遂げ、ラリー自身が警察に犯人として疑われていることに気付く。真犯人を究明するべくラリーが調査を開始すると、CM界の大物レストンとデジタル・マトリックス社の陰謀が浮かび上がり、「ルッカー」という名の新技術が明かされる。彼らは、テレビのCMモデルたちをCGにすり替え、そのモデルたちの目から放たれる催眠光線で、視聴者たちをコントロールするというシステムを開発していたのだった・・・。

いわゆるハイテクスリラー及びテックノワールとも表すことができる本作だが、はっきり言って完成度が高い作品では決してない。無理のある設定とよくあるストーリー展開、現在の目からするとチープ極まりない当時のテクノロジーによる演出、そしてギラギラとした80S的な広告業界と安っぽい水着やスケスケの服を着てウロウロするスーパーモデルたちの迷宮は妙にパステル調に統一され、最高にダサい(このダサさも多分に面白い部分ではあるが)。

それでもクライトンは力で押し切ろうと映画に物凄い推進力を与えている。オープニングのショッキングな自殺場面のリアリティは凄まじい。ネガポジ反転の変な演出に戸惑わされたと思ったら、いきなり女性が下着姿のままマンションのベランダから身を投げ、たちまち車のボンネットに激突する。衝撃で車のガラスが粉々に割れ、身体が押し潰されて両足が180度曲がってしまうこの演出は凄惨極まりない事故に出会ってしまったという気持ちになる印象的な場面だ。

それ以外にも鋭いアイデアが次々と登場し、人間の全身をデータ化する3次元スキャナーやCGと舞台をリアルタイムで合成するヴァーチャルセット、瞳孔追跡によるマーケティング分析などは、今では現実に実用化されており、そうしたクライトンの閃きは突飛なだけの陳腐なものではないことが裏打ちされている。

この映画の白眉のひとつが今あげた人間のデータ化の場面だ。女優スーザン・デイの一糸纏わぬ裸体をスキャンしていく過程はファンタジックで、闇に包まれた裸体を光が駆け巡り、PC画面にヴァーチャルの肉体が形成されてゆく様は仮想と現実という対比がよく表現されている。トリプルアイは、『未来世界』でピーター・フォンダをコピーしてロボットが作られる場面で使用した3DCG技術と同じ方法で、スーザン・デイの全身のデータを実際に取った。デジタル化されてゆく彼女の姿や眼球だけが動くカットなど当時としてはこれらは驚異的なテクノロジーだった。長編映画で陰影のある3DCGIを初めて使用したのが本作だったのだ。

『ルッカー』の映像はCGの可能性を人々に実感させることとなった。ウィットニー・ジュニアは雑誌のインタビューで、亡くなった俳優やエイリアン、動物、大群衆、ロングショットにおける俳優の代役としてのCGの応用を思索していることを述べている。また、彼とクライトンの対談では恐竜をCGで蘇らせることについても語られている。彼らは、未来のCGの技術的な活躍を殆ど正確に予言していたのだ。

ただし、あくまで『ルッカー』は高尚なSFとしてではなく、ジャンル的な映画として作られている。それがこの作品を良くも悪くも軽くて馬鹿にし易いイメージに囚われさせる原因となっているのだろう。クライトンの小説と同じく、知性とペーパバックの世界が混ざり合った変な映画は正当な評価を受けなかった。カーチェイスや銃撃戦はどれも奇妙かつバイオレントで素晴らしいのに。ラストのヴァーチャルセットで行われる銃撃戦には感嘆させられる。記憶を飛ばす(撃たれると意識が遠のいて、ぼぉーっと突っ立ってしまう)光線銃が用いられる狂ったこのシークエンスでは、楽天的なCMの中に死体がヴァーチャルとして次々と映り込む。シリアルのCMで団欒とした一家の朝食の食卓に脳天を撃ち抜かれた男の死体が登場するなどブラックなギャグの炸裂と妙なガジェット、合成のために緑のマス目で区切られたおかしなセットなどポップでダークな魅力満載だ。そして、そんな世界に多少戸惑いつつも飄々と入っていくラリー役のアルバート・フィニーは良い意味でアクを消した職人的な演技で、観客のサロゲートとして「ルッカー」を探訪する。

クライトンは「テレビのコマーシャルはすでに操られている。コマーシャルは人を操るのだ。私はそれを悪だとは思いませんが、もう少し科学的な知識を持った人がCMに手を加え始めたらどうなるだろうか?」と、この映画について述べている。

意識を飛ばす=時間を停滞させる奇怪な銃は明らかにテレビコマーシャルのメタファーだ。何も考えることなく、だらだらと消費を促されることに浸る視聴者たちは銃に撃たれて意識が麻痺した人間と同じだ。それは、テレビからネットへとメディアの姿を変えても基本的に同様のことだろう。

当時は一般的に注目されていなかった整形手術を取り入れ、肉体的な美しさへの誇張された焦点とそれを売り物にする広告やメディアへの風刺をモチーフにした『ルッカー』は、3DCGという最先端テクノロジーを導入しながらも、それを悪用する人間たちという科学の発展の功罪を炙りだしている。それはAIロボットが反乱する『ウエストワールド』や脳に埋め込んだ電極で暴力衝動を強制的に押さえ込んだ挙句、殺人マシーンへと人間を変えてしまう『電子頭脳人間』(1974)、ロボットが日常的に使用される近未来にそれを悪用する凶悪犯と警察の闘いを描く『未来警察』(1985)など常にクライトンはそのスタンスをとってきた。それは、神のように全能の技術を手に入れた(と思っている)人間たちへの誇りと軽蔑の目線が介在した不思議な視点なのだ。

1980年代初頭、映画プロデューサーのドナルド・クーシュナーと監督のスティーブン・リズバーガーはコンピュータゲームの世界を舞台にした映画の企画に取り掛かる。その世界の再現にはCG技術の完成が不可欠だった。2人は1979年からウィットニー・ジュニアとコンタクトをとりつつ、リサーチを続けた。そして、『ルッカー』を見てついに技術が成熟したと確信し、すぐにトリプルアイに試作品の制作を依頼した。彼らが4年間思い描き、やっとのことで映像化の軌道に乗ったそのシナリオは『トロン』(1982)といった。それは、CG時代の幕開けだった。

クライトンがスピルバーグと共にかつてウィットニー・ジュニアと語ったあの話を実現させ、コスタリカの沖に浮かぶヌブラ島(架空)に恐竜たちが蘇えり、サム・ニールが子供の様に狂喜乱舞するのはそう遠くない未来であった。

※「コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション」を参考にしました。
 

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