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アラン・パーカーを偲んで・・・

この前カール・ライナーやジョエル・シューマッカーが亡くなり、慌ててその追悼を書いたと思ったら、モリコーネもジョン・サクソンも逝ってしまい、素晴らしい映画人が次々と旅立っていく。

それで、この記事を書いている時には『遊星からの物体X』(1982)で、解剖中に両腕が大変なことになるでおなじみのウィルフォード・ブリムリーも亡くなってしまった。合掌。

諸行無常とはこのことなり。そして、アラン・パーカーである。先日、アラン・パーカーもこの世を去った。

パーカーは、やはり70年代から80年代に活躍した監督で、だから90年代以降はあまり芳しくないというか、ゼロ年代以降はほとんど作品に関わっておらず、完全に時代と共に忘れられてしまったような印象を受ける。

だからこそ今、彼の作品を振り返る時だと思う。

彼はイギリスのコピーライター出身でCM上がりのディレクターである。なのでシニカルな視点やスタイリッシュな映像に優れ、アメリカの暗部に焦点を当てる素晴らしい監督だった。

禁酒法時代を舞台に子役たちがパイを銃弾に見立て、抗争を繰り広げるギャング映画『ダウンタウン物語』(1976)やアーティストの卵たちの複雑なドラマを描いた『フェーム』(1980)、南部の差別に満ち土地で殺人事件を捜査する『ミシシッピ・バーニング』(1988)など名作ばかりである。

ブラックでちょっと狂った映画の『ケロッグ博士』(1994)も捨てがたいが、それはまたの機会に紹介するとして、彼の作品の中でも、僕が時に好きな作品が二つある。ひとつは『エンゼル・ハート』(1987)だ。

これがまた、すごいというか変に印象の残る映画で、凄惨すぎる事件の数々やゆで卵を頬張るデニーロ、邪教の儀式と、とにかく強烈な映像が続く刺激的な映画なのだ。そして、ノワール調に進む映画に絶頂期のミッキー・ロークの疲れたカッコ良さが加わり、酩酊するようにわけがわからないまま奈落の底に落ちているという恐ろしく、そしてもの凄くクールな作品でもあって、そこらへんの上手いバランスがやはりパーカーの手腕なのだと思う。

格子状のエレベーターでの影の表現に代表されるような、光と影(特に陰影)の強弱の付けた方が驚くほど美しく、フィルム・ノワールのような(現に本作は55のアメリカが舞台の探偵映画なのである)モノクロに近い映像表現があまりに綺麗だ。カラーの強さを極力排除したその映像は、どれを切り取っても絵画のような痺れる力を秘めており、そこに鮮血が飛び散ると強烈にショッキングな場面に様変わりする。

だからこそ悪夢的なシーンの連続で、主人公の記憶すら危うく、何も信用できなくなるドラマにはこちらも迷路に入り込んだような焦燥感と気持ち悪さがあるのだ。尋問室での換気扇の動きは主人公のおぼろげな記憶を象徴する。真実と彼が書き換えた記憶が上手く介在する迷宮世界に我々は導かれ、そして訪れるまさに“悪魔的”なラストには、心底脱帽する。

そしてもうひとつは『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)だ。これは僕にとって思い出深い作品で、それは初めて自分でレンタルした映画が本作だからである。

中学1年生の秋ぐらいに最初にレンタルビデオ店の会員カードを作った時に借りたのが、これと『ミニミニ大作戦』(1969)で、それは長いこと悩んだ末に選んだ2本で、どちらも面白い映画だったから今でも強く覚えているのだろう。

当時は、『アルカトラズの脱出』(1979)とか『勝利への脱出』(1980)を見たばかりで、脱獄映画にハマっていた。だから、その流れで本作を見たのだろうが、これには強烈にやられた。異質な映画だったのだ。それは、冒頭から引き込まれた。

アメリカ人青年が出来心から、トルコからハシシの密輸を計画する。大量にパックしたブツをダイナマイトのように腹に巻いて出国を企む。汗にまみれた主人公の心臓の鼓動が伝わるように夜の空港を舞台に緊張感高まる場面が続く。が、その計画はもちろん失敗する。警官に囲まれ四面楚歌状態の中、服をたくし上げられ、全ては白日の下に。瞬時にホールドアップでその野望は潰えたまま、異国の刑務所への地獄旅行が始まる。

ジョルジオ・モロダーの怪しいテーマ「Chase」に乗せて地獄の門は開かれる。この音楽がまた最高で、モロダーのシンセ打ち込みのピコピコ音は、馬鹿にされがちなのだが暗雲立ち込める未来のダークさと、心の隅に浮かぶスリリングな高揚感が混じり合う素晴らしいテーマだ(本作で脚本を担当したオリバー・ストーンとモロダーの関係はその後の『スカーフェイス』(1983)でも活かされる)。

で、その刑務所というのが劣悪極まりないところで、言葉もろくに通じず、強制労働や拷問が横行する人権無視の無法地帯であった。ポール・スミスの看守役は化け物のような怖さで、拷問を繰り返す最高の役であった。

この作品は、それ以降さらに活躍していく俳優たちの名演が光る。それは、主人公を演じたブラッド・デイヴィスだけではなく、ランディ・クエイドやジョン・ハートがやつれた囚人役で迫真の凛技を繰り広げるのだ。

そして、その演技は監督と脚本家の溢れる野心に引き出されたものだった。パーカーはイギリスからハリウッドにやってきて、雇われ監督として『ダウンタウン物語』を撮った。でも彼はそのキャリアに不満だった。「俺はこんな子供映画を撮りたいわけじゃない」と。それで、まだ新人脚本家時代のオリバー・ストーンと組んでこの映画を作り上げた。だからこそ非常に挑戦的で、息苦しいほど圧が強い作品になっており、原作よりも過剰に、そして絶望的な物語へと話は進んでゆくのだ(だからトルコ政府はこの映画に抗議した)。

彼は4年の刑を科せられ、地獄の中で耐え続けるのだが、再審理によって30年の刑を宣告させられる。本作の有名なシーンは面会の場面だ。絶望的な状況の中で唯一の癒しは彼女との面会だけ。ガラスで仕切られたボックスで対面する2人。そして、彼女は胸をさらけ出し、ガラスに押し当て、主人公は自慰にふける。あまりにみっともないが、彼はそこで生きることを思い出す。彼女の肉体に触れたいという肉欲は、主人公の生への欲求を突き動かす原動力へとなった。衝撃的なこの場面は有名になり、ジム・キャリーが『ケーブル・ガイ』(1996)で脈絡なくパロディをやっていたが、それぐらい一般的に知られていた。

そして、理不尽な仕打ちに我慢を切らした主人公は、夜汽車に乗る(脱獄の隠語)ことを決意する。オリバー・ストーンのシナリオでは、刑務所から刑務所への輸送中に主人公が脱走し。嵐の中、海に飛び込んで逃げる(実際の話及び原作もそうだった)というものだったが予算の都合で、現在のラストに書き換えられた。それでも僕はこのラストが好きで、精神病院のような入り組んでいて閉塞的な建物は迷路のようで、主人公の蝕まれた精神はそこを彷徨い歩く。後半の現実か妄想なのか分からなくてなるトーンはやはりパーカーが得意としたもので、主人公はまさに正気を取り戻すようにそこからの脱出を図る。そして、脱獄中に夜が明けてしまい、陽の光と共に脱出に成功するのだ。

ただし、このシーンは僕のトラウマでもあり、脱獄を発見した看守(ポール・スミス)が彼を捉えようとするのだが、主人公はそれを突き飛ばす。そしてその看守は、服をかけるフックに頭を突き刺して死ぬ。この後味の悪さ。実際にはそんな事件などなかったらしいが、それにしても人があまりに呆気なく死ぬこの場面に当時の自分は内心ビックリし、それ以来フックを見るとこれと『ベリー・バッド・ウエディング』(1998)を思い出し、居心地が悪くなるのだった。

オリバー・ストーンの脚本は、いわゆる脱獄映画や刑務所映画のような力強さを持ちながらも、カフカ的でシュールリアリスティックとでも言えるような側面を兼ね備えていた。なので、そういったショッキングなバイオレンスシーンの連続や、理不尽かつ悪夢のような描写の数々はそれまでの映画にはなかった新しいものだ。

ストーンの脚本を完璧と太鼓判したパーカーは、そのバッドトリップを映像化することに成功した。それは、『エンゼル・ハート』にも『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(1982)にも繋がる彼の得意とする作風で、極めてパーカー的なものでもあった。

だから、『ミッドナイト・エクスプレス』は成功した。パーカーとストーンは出世し、それぞれ数々の名作を残した(オリバー・ストーンも大好きな監督なのでいずれ何かしら書きます)。

パーカーのフィルモグラフィは決して多くはないが、彼はある時期コンスタントに映画を撮り続けた。そして、彼が製作してきた作品の殆どが、ズーンと暗い気持ちにさせられるような重いドラマであり、光と影を強調した演出は、人間の人生になぞらえたようなカッコ良さと深みを持っていた。そして、その映画の殆どが傑作だった。僕は、彼の映画に沢山の衝撃を受けた。こんな表現は誤解を招くかもしれないが、『ミッドナイト・エクスプレス』での、主人公の彼女の乳房と彼の映画は同じだ。それは、人間が生きる楽しみを思い出させてくれる。だから僕は、彼の作品を何度でも見るし、それが、掃き溜めみたいな現実から逃避する夜汽車になるのだ。

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