【短編連載・不純情小説】リバーサイドマルシェ③
「珍しいね。今日はひとり?」
まるでお互いが以前からの知り合いでもあったかのような口ぶりを意識した。
「こんばんは。今日はじゃなくて、今日もひとりよ。それがどうかした?」
多香美は初めの「こんばんは」だけを、俺の馴れ馴れしさを皮肉るかのように丁寧に告げ、そのあとは関心のなさそうな口調で返した。俺とは反対の方向にやや顔を向け、うつむき加減に煙を吹いた。
「ほら、いつもよく友達と来ていたからさ」
「ああ、あの子。もう、一緒に来ることはないと思うけど。引っ越しちゃったから」
その答えになんとなく違和感を感じたが、詮索はやめようと思った。
少し気まずさを感じた。俺は向こうの三人組と話しているマスターに声をかけ、オリーブの塩漬けを頼んだ。視線を窓の外に移して、酒の味に意識をむけた。
ほどなくして、カクテルグラスに盛られたオリーブが目の前に置かれた。白いナプキンと色違いの2本のスティックが添えられている。俺はそのセットを多香美の手が届く位置に滑らせた。
「ありがとう」
多香美は意外にも素直に手を伸ばした。
「隣に寄っていいか?」
「……」
「あっちの三人組のお喋りが耳障りなんだ」
俺は耳打ちするように多香美の方に体を傾けて言った。
多香美は無言のまま、隣のスツールに置いていたハンドバッグを自分の膝に移した。気がついたマスターが彼女のカーディガンを預かった。カーディガンをハンガーにかけながら、マスターが俺の方にちらっと視線を向けた。
初めて知り合う女性と話すとき、政治や経済などのかたい話を独り言のように持ち出すという、変な癖が俺にはあった。声をかけた側が相手を楽しませるべきだとはわかっていた。しかし映画や食べ物や人気歌手などの、女性が乗ってきそうな話題を出すことが自分には似合わなくて恥ずかしいという意識があったし、そもそも俺にはそれらの知識が足りなかった。その結果として仲良くなれる女性はかなり限られていたが、それでも付き合える相手の方が俺には楽だった。
その夜俺は、発足したばかりの連立政権を批判した。急進的な新興勢力に対抗するためにこれまで対立してきた既成の与野党が連立を組んだのだ。長続きはせず、政局は混乱するだろうと予測した。
「政局のことはよくわからないわ。経済はどうなるのかしら?最近円が安いでしょ」
後で知ったことだが、その頃多香美はアメリカ製の家具や生活用品を直輸入する会社に勤め、経理を受け持っていた。インテリアの専門家である代表者が現地で品物を買い付ける。それらの仕入れ値に諸経費を割り付けて価格設定の手伝いをするのも、多香美の仕事のひとつだった。為替レートの動きは多香美が得る賞与にも影響を及ぼした。多香美はその話を俺にした時、会社を辞めるかもしれないと言っていたが、やがて本当に辞めてしまった。
その他には、お互いの旅の経験の話や別のバーの話などを俺が差し向けて、多香美はそれに対して自分に思い当たることを語った。二人の会話は他人から見れば決して盛り上がっているようには見えなかっただろうが、俺は最初の気まずさを感じなくなっていた。
つづく 3/7
©️2024九竜なな也
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