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【夢を与え続ける仕事!】総合プロデューサーになるまでの道のりとは?

こんにちは。

住谷知厚です。


昨日の記事でコミュニティの話をさせていただいたので、今日は僕が今所属しているコミュニティと、そこに至るまでの経緯についてご紹介します。

以前の記事でも書かせていただきましたが、僕は今ソーシャルビジネスコミュニティ”ワクセル”の総合プロデューサーとして活動を行っています。

ありがたいことに先日テレビにも出演させていただき、YouTubeでもインタビュー動画をアップしたりと、僕たちの活動を広める機会がありました。
ご協力いただいた関係者の皆様には本当に感謝申し上げます。

今日はその先日アップしたYouTubeの内容を中心についてお話しさせていただきます。


学生時代

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写真ACより出典


中学・高校ぐらいまでは、部活にも励んでいましたが、なぜか周りからはやんちゃしていたと言われます。
大学受験の前にお金持ちになるには頭が良くならないと思い、数学を一から猛勉強しました。

その甲斐もあってか、無事都内の有名大学にも受かることができました。

今思えば、僕の夢中になると楽しくてずっとやってしまう性格が出ていましたね。
ほんとに自分でもびっくりするほどの没頭力だなと思ってます。

大学に入ってからは、勉強やサークル、飲み会を行う、よくイメージされる大学生活を送っていたかと思います。
その頃からキャプテンや代表を務めるようにもなり、友達も多かったと思います。


大学時代の挑戦

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写真ACより出典


大学生活を送っていく内に、このまま普通に卒業して就職しても金持ちになれないと思うようになりました。
さらに2008年のリーマンショックを機に株や不動産に挑戦するようになりました。

株の上り幅で言うなら、1億弱ほどいっていたと思います。
そのお金で不動産も買ってアパート経営も父親と行っていました。

そして理工学部の研究室で教授のもと、会社を興してを金融ソフトを販売したところ、見事に大失敗しました。

今思えば、僕も教授も経営に関してはド素人だったので、当たり前ですね。
株で稼いだことを良いことにちゃんと調子に乗ってしまいました。

学ぶ人の存在って本当に大事ですね。


証券会社に就職

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写真ACより出典


起業には失敗しましたが、株やっていた経験もあって大手の証券会社に就職しました。

営業として、1年目からテレアポや飛び込みでバリバリ数をこなしました。
2年目からは仕事も落ち着き、営業で出会ったお客様の影響もあり、自分の将来について考えるようになりました。

特に経営者の方々は、本当に楽しそうに仕事をしている姿が印象的で、会社員以外の道を考え出したのもこの時です。

その中でも、今もお世話になっいる嶋村社長との出会いから、1度きりの人生で自分を変えてみたいと思い、経営や事業について学び始めました。
今の僕があるのも、この出会いが全てのきっかけだと断言できます。

そのアグレッシブな姿が今まであった中で、1番格好いい大人だと感じました。

僕は年々歳を重ねるごとに、夢を語る人は少なくなっていくものだと思っていましたが、嶋村社長は「歳を重なるごとに楽しくなっていく」とというお言葉を聞いてファンになりました。


総合プロデューサーとして

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写真ACより出典


嶋村社長の経営塾で学ぶ中でに、ワクセルのビジョンを聞いたときに、自分も参画したい、そしてそのビジョンをもっと広めたいと思い、自分から志願しました。


1番最初に関わらせていただいた企画は、途上国支援の一環で現地のコラボレーターの方と連携して、ネパールに学校を建てたり、サッカーボールを贈呈しました。

残念ながら、はやり病の関係でネパールには行けませんでしたが、落ち着いたらぜひネパールにも行きたいですね。


今取り組んでいる事業

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今はドローン事業やそこから派生したプログラミング事業、宇宙事業などにも取り組んでいます。

様々な事業に取り組めば取り組むほど、夢が広まっていきますし、世界中の人と関わりながら仕事をできているのが本当に楽しいです。

これからも様々な方と関わって学んでいきたいと思いますし、これからも自分の夢を追いかける人たちが輝ける土壌を創っていきたいと、より強く思う機会になりました。

このインタビューの後半は8月27日に公開されるので、ぜひご覧いただけたら幸いです。


《参考》
ワクセル公式HP


ワクセル公式YouTube


住谷知厚(すみたにともひろ)


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