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【思考(おもかん)】創作を通して、自分の気持ちと向き合う

こんにちは。おおかみの人です。

今回のトップ画像は、何やら書いているわたし。



⚠ATTENTION⚠

この記事には、拙作の小説『いとぐるま』のネタバレが多少なりとも含まれます。まだ物語を読んでいない方でももちろんお楽しみいただける内容ですが、まったくの予備知識なしで物語を楽しみたい方は、まず小説を読んでからこの記事をお読みください。小説に興味がない方は、いつもの【おもかん】の記事のひとつとしてお読みください。



昨年、100日超に及ぶ入院をもうすぐ終えようとしていたある日。さくら先生はわたしにこう言った。

「自分の気持ちとしっかり向き合いましょう」


………

退院して、もう半年以上が経ったいま。
わたしは未だに、「自分の気持ちと向き合う」ということがどういうことなのか、よく分からずにいる。

入院中に分かったわたしの悪い癖がある。それは、自分の「ほんとうのきもち」を無視して逆方向に突っ走り、自分も周囲も混乱させてしまうという厄介な癖だ。
自分の人生で初めてその悪癖に気付かされ、いままで自分の気持ちと向き合ってこなかったという事実に気づいたはいいものの、果たして自分はいったい、そのココロの内側でほんとうは何を思っているのか、長年の悪癖が仇となってなかなか掴むことができずにいる。

自分の気持ちと向き合うという大きな目標は頭の片隅に置いておきつつ、わたしは小説を1本執筆した。それは『いとぐるま』というタイトルのファンタジー小説だ。
ファンタジーだが、ストーリーのベースになっているのは働いていたときのわたしの経験で、主人公のモデルはわたし自身である。


4月からとある介護施設で働き始めた主人公の「わたし」こと原田まゆは、働き始めて1ヶ月半ほどが経ち、仕事も趣味も何もかもがうまくいかず完全に五月病気味。そんなとき、たまに通う手芸店からのメールマガジンで、糸車が商品として売り出されているのを目にする。
その不思議な魅力に惹きつけられたまゆは、実際に手芸店を訪れ、思い切って糸車を購入。ミニチュアサイズのそれは、まゆが以前羊毛フェルトで作った羊の人形にぴったりのサイズで、彼女は羊と糸車を一緒に飾っておくことにする。
その晩仕事にまつわる悪夢を見たまゆは、翌朝目覚めてみると、糸車の周囲に紡がれた糸が巻かれたボビンが大量に落ちているのを見て驚く。どうやらこの糸車には、何か不思議な力が宿っているようで…?


まゆに関する細かい設定は現実のわたしのバックグラウンドとはまた少し違うけれど、出来事に対して当時のわたしが感じ、思い、考えたことは、概ねそのまま綴っている。
いや、過去形ではないかもしれない。その出来事の記憶を想起して、いまのわたしが感じ、思い、考えたことも、この作品には織り込まれている。
たとえば、風邪をこじらせてしまったまゆの元に、職場に誘ってくれた川上さんという人物が見舞いにやってきたシーンでは、川上さんにかけられた「よく頑張ってきたやん」の言葉に対して、まゆはこんなことを考えている。

そうだ、わたしはがんばっている…いや、これは嘘。いろいろやってはいるけど、なかなか思い通りに動けなくて何度も失敗して、時には叱られて…。
どんなに自分なりに力を尽くしても、なかなかうまくいかないわたし。それってつまり、なんにもがんばってないことの裏返しなんじゃないか…と、思うようになっていた。だからわたしは、ほんとうはがんばってなんかない。

おおかみの人『いとぐるま』第5話より抜粋


作中のまゆと同じように、思うように働けず、そのモヤモヤが溜まりに溜まって体調を崩してしまったわたしは、職場に誘ってくれた旧知の仲の人物に「よく頑張っているよね」と言われても、それを理解し受け容れ、受け止めることができなかった。そのときの気持ちを思い出しつつ書き綴ったのが、上記の引用部分だ。

しかし、糸車に紡がれた糸を見たまゆの気持ちは、次第に変わっていく。

この糸には、働いている上でのわたしの色んな気持ちが詰まっている。
見た目は黒っぽい灰色で地味だけど、よく見ると色んな色が混じっているのは、きっとそういう理由だろう。それだけ、色んなことを考え、感じながら、仕事をしてきたんだ。だから、決して…決して、がんばってこなかったわけじゃない。やり方は下手くそかもしれないけど、この1ヶ月半、自分なりにがんばってきたんだ。

おおかみの人『いとぐるま』第6話より抜粋


自分ががんばっていたことをなかなか肯定できずにいたまゆが、出来上がった糸を通して、自分はがんばっているということを認め、ほんとうの自分の気持ちに気づいていく。
昔のわたしができなかったことを、いまのわたしがやって、昔のわたしをフォローする…そんな気持ちで、上記の引用部分を綴った。


作中、まゆは掴みどころのない自分の【ココロ】と【気持ち】というものについて考える。

ココロというものには、形がない。ココロから生まれる気持ちにも、形はない。そして、わたしのココロには、いつもモヤモヤした気持ちがたくさん詰まっている。モヤモヤしているから、どこがどんな風になっていて、どこでどうねじれて絡まっているのかが、自分ではよく分からない。
でも、出来上がったこの糸を見てみると、凝り固まった自分の気持ちが、するするとほどけていくような…そんな気がした。

おおかみの人『いとぐるま』第7話より抜粋


わたしと同じく、目に見えない自分の気持ちというものに翻弄されている様子のまゆだが、羊のムームーと糸車、そしてそこから紡ぎ出される糸を通して、自分の気持ちと向き合うことになり、自分のココロに潜む【気持ちの多様性】に気づくようになる。


正直、もともと自分と向き合うことを目指してこの小説の執筆を始めたわけではなかった。たまたま物語のタネとなるアイテムが揃ったから、ひとつ物語を作ってみようと、最初はただそう思っていただけだった。
でも、いざ物語を書くとなると、自分の経験したこと以外を書くのは難しい。過去の自分に取材をしながら、小説にその時々の想いをつづり、そしてそれを読み返しながら、そこに【いま】の想いも重ねていく。

この小説の中で糸が紡がれていくことは、つまりこの物語を言葉で紡いでいくということに他ならず、それはつまり、まゆ=物語の中のわたしを通して、自分の気持ちと向き合うことに他ならない…と、わたしは勝手に思っている。

この小説を書きながら、自分が働いていた頃のつらく苦しかったことを何度も思い返し、書きながら涙が止まらなくなることも多かった。そして涙が流れることで、あのときのわたしは悲しかったんだ、がんばっていたのに報われなくてもどかしくて、やりきれない気持ちを抱えていたのだと知った。そして、そんな過去の自分に、いまの自分が声をかけて、少しずつ立ち直っていく。

物語の中のまゆは【いま】を生き、【いま】の自分をケアしているけれど、わたしはまゆとその周りの世界を描くことで、【過去も含めたいま】の自分をケアして…ムームーがまゆにするように「よしよし」をしているんだと思う。だってわたしは、たくさんがんばってきたから。


正直、これがさくら先生の言う【自分の気持ちと向き合う】ことになっているのかは分からない。ほんとうはこの重大な課題についてもっと能動的に取り組むべきはずなのに、きっかけは先述の通りとても受動的というか…そもそもこの小説を書き始めていなかったら、ここまでのことはやっていなかったと思う。だから、ある意味この小説を書いてよかったな、と思っているけど、やっぱり主体的にできなかったことに関してモヤモヤしたものは残っている。

仮にこれが自分の気持ちと向き合っているということになるとして、きっとこのやり方は正攻法ではないだろう。でも、正攻法では自分の気持ちというこんがらがったものにとっつけないわたしみたいな人間にとっては、もしかすると創作することそれ自体に、自分の気持ちと向き合うヒントが隠されているのかもしれない。


きっと、この記事を読んでくださっている読者のあなたには、わたしが言いたいこと、伝えたいことの半分…いや、3分の1も伝わらないんだろうな、と思う。それは、自分が上手に伝える術を持たないことも原因だし、そもそも人の話は思ったように伝わらないものだという原理そのものにも原因がある。だから、仕方のないことだとは思う。

でも…それでも。
わたしは自分の頭とココロの中にあるものを、なんとか表現したい。表現することで自分をもっと知りたいし、表現したものを読んだ、わたしとは立場も抱えている過去も違うあなたのココロのどこかに、何か触れるものがあったなら、それはとてもラッキーで、幸せなことだと思う。


普通に生きているだけでも傷つくような、息苦しく生きづらい世界の中で、自分で自分をがんじがらめにしてしまいがちのわたし。わたしはまゆにそんな自分を重ねたけれど、果たしてまゆは自分でどういう結論を出すのだろう。それは物語を読んでのお楽しみだが、現実の、過去のわたしがたどった道とは違っていて、わたしが「こうなっていたらよかったな」というルートを、まゆにはたどらせている。


まゆとたどる自分(の気持ち)と向き合う旅は、決して楽なものではなく、つらく苦しい瞬間もたくさんあった。でも…【あのときの自分】を【いまの自分】が助けられることを知って、編み物のように自分の人生も、ほつれたところまでほどいてまた編み直せるんだ、と実感した。

こうして、わたしは少しずつ立ち直っていくのだろう。たくさんの、周りの人たちの支えを借りながら。
でも、自分のことは、自分にしか救えない。
後悔の気持ちや過去へのわだかまりが残っている限り、わたしの創作は続く。そうして、自分と向き合うことが、わたしなりのやり方だと、いまではそう思う。


今回の記事はここでおしまい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

この記事は、自作小説『いとぐるま』の裏話として書きました。
もう小説を読んだ方も、まだ読んでいない方も、わたしがどういう気持ちでこの物語を書いたかを知っていただき、物語のスパイスとして頂ければ幸いに思います。

また、書きたいことが溜まってきたら戻ってきます。

それでは。

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