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「歌うクジラ/村上龍」エヴァ×進撃×SFのような物語。コロナ禍こそ読みたい小説。

はじめまして。あっさり狸です。
これまで小説なんてまともに読んでこなかった僕がなぜか村上龍にハマっています。(ハマった経緯はまた別の機会にお話しできればと思います。)

今回は「歌うクジラ」を読みました。
これで僕が読んだ村上龍作品は6作目となりますが、なぜかこの作品の感想を真っ先に書きたいと思い、思ったことを書きなぐります。
なお、僕は名前の通り「あっさり」狸なので、考察や感想が浅くてもゴカンベン〜。

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【あらすじ※ネタバレ無し】
2022年(来年やん!)、ザトウクジラの中から人類はついに不老不死遺伝子(SW遺伝子)を発見する。人類悲願の不老不死遺伝子の発見から100年が経った日本では政府によって国民が徹底的に階層化されていた。
階層化とは、ざっくり言うと以下のような感じ。

・上層:ノーベル賞受賞者などの人類への功労者。SW遺伝子の恩恵を与えられ、めちゃめちゃ長生きできる。
・中層:上層のために働く。現在の発展途上国のような暮らし。
・最下層:性犯罪者。流刑地「新出島」に隔離。食事は最低限の栄養が入った棒食しか与えられず、その棒食に含まれる総合精神安定剤により、本来人間に備わっている気力(興奮や性欲など。多分いわゆるパトス全般。)を失っている。突然変異で誕生したクチチュという人種も暮らしている。クチチュは耳の横の穴から毒を出す謎人間。

階層化は驚くほど徹底されている。
他の層の情報は一切遮断され、移動には基本的に体に埋め込まれたICチップが必要。さらに、治安はロボットによって徹底的に管理され、問題行動した場合はロボットが容赦なく攻撃する。(超小型ロボットが虫の大群みたいになって襲ってくる場面がちょこちょこ描かれてて超怖い)
そして、階層化された社会は差別や争いの無い理想社会とされていた。
(自分より上の層の情報が遮断されているから革命を起こそう!とか金持ちになってやる!みたいな欲が湧かないので、争いが起きない。)

主人公タナカアキラは最下層で生きる15歳の少年。
母を幼い頃に失い、父と生きていたが、その父は性犯罪の冤罪を着せられ、テロメア切断という処罰を受けて死ぬ。(最下層の人が問題行動を起こした場合、人間の老化を止める役割である染色体の部位のテロメアを切断される。テロメアを切断された人は急激に老化が始まり、3日ほどで老衰して死ぬ。)

父は死ぬ直前、息子であるアキラにこの管理社会を破壊する鍵となるSW遺伝子の秘密情報が書かれているICチップを埋め込み、最上層の人間である「ヨシマツ」に会うように言い遺す。
アキラは父の遺言を胸に、クチチュであるサブロウと「新出島」を脱出し、その後反乱移民軍のリーダーの娘アンを仲間に加えて最上層の住処を目指す。

【考察と感想※ネタバレあり。進撃とエヴァのネタバレもあり。】
移民の話や日本語の敬語・助詞にまつわる話(文化経済効率化運動)や村上龍らしいエログロ描写も非常に考察しがいがあって面白いと思いますが、あっさり考察に向かないので今回は一旦置いておきま〜す。

僕はエヴァンゲリオンと進撃の巨人が大好きなんですよね。(大好きと言っても人並みの1.1倍ほど好きぐらいです。熱烈なファンの前では恐縮して両手で膝をさすさすしちゃうレベル。)
で、「歌うクジラ」を読み終わった時の最初の感想が、
エヴァ要素と進撃要素めっちゃ感じるじゃん!でした。
ウワァあっさい感想...ってなったそこのあなた!もうちょっと読んでって!

ここで一応このnoteを書いている理由を説明します。僕は似てるじゃん!パクリじゃん!とかそういうことを言いたいわけではないです。僕という人間が社会人1年目のそれもこのコロナ禍というタイミングでエヴァや進撃や村上龍作品に惹かれるのにはきっと何か理由があると思っていて、特に今回の「歌うクジラ」は3作品それぞれに共通する要素を見つけることができて嬉しい!書き残したい!人に伝えたい!っていう気持ちで書いてます。

それではあっさり共通点を挙げていきましょ〜う。

①主人公の年齢・父との関係
シンジは14歳、エレン(少年期)は15歳で、「歌うクジラ」のアキラは15歳。
まぁ要するに少年の物語っていう共通点があります。
そして3人とも父親から物語が始まる、というか父親に支配されているという共通点があります。
エヴァ:シンジは父ゲンドウに認められたくてエヴァに乗り、父のシナリオに振り回され、その度に父と衝突する。
進撃:エレンは父グリシャから巨人を継承し、さらに父にもらった地下室の鍵を使うことで父が書き残した書から世界の真実を知り、世界の破壊に向けて歩み出す。
歌うクジラ:アキラは父に託されたICチップを胸に、世界を管理するシステムを破壊すべく最上層の「ヨシマツ」を目指す。物語の要所要所で父親のような?声(音としての声ではなく脳に直接語りかけられる)に導かれる。(この声は状況によって声が変わるが、最初は父親の声のように聞こえる)
※アキラの父は実の父ではなく、父の行動や意思も全て「ヨシマツ」が計画したものであることが物語の最後に明かされます。エグイテ〜〜!

②主人公と世界
上にも書きましたが、3作品とも少年である主人公が世界変革(破壊)の鍵を握っている点が似ています。エヴァの場合、シンジが意図していないのに結果として世界変革の鍵を握らされている点でちょっと違うけど。
これに関連することで言うと、主人公のキャラは全然違いますね。
シンジは必要とされたいよ!のウジウジ君。エレンは意思強いオラオラ君。それに対してアキラは最下層なので興奮や意思や自分なんてゼロのキョムキョム君。
なので、キャラによって世界変革の鍵への向かい方は全然異なりますね。

③主人公の意思・記憶
これは進撃の巨人と歌うクジラの共通点です。(エヴァは若干)
エレンは自分の意思で行動しているようでしたが、結局誰かに仕組まれた記憶やシナリオ通りに行動していたことが最後にわかります。(少年エレンの行動や世界の動きは全て未来のエレンが描いたシナリオ通りでした。)
歌うクジラでは物語の要所要所で脳に直接誰かが話しかけたり、記憶(リアルなイメージ)を見せたりしてアキラの行動を導きます。声の主はアキラがシナリオ通りに行動するように周りの人も動かします。そして最後にその声の主はこの管理社会を作り上げた「ヨシマツ」であることがわかります。
エレンもアキラも物語の途中までは自由意思で行動を選択しているように見えて、実は誰かのシナリオ通りに行動していたという点において似ています。
(アキラは最下層の人間なので基本的には意思なんて持たないですが、アンを変態から守った場面やアンとのエッチを回避した場面は自由意思による行動のように描かれていますね。これらはヨシマツのシナリオ通りというか、アキラへの試練的な意味合いが強いですが...)
また、アキラが未来の記憶を見る場面があるところも進撃を思わせます。

エヴァもシンジがゼーレやゲンドウのシナリオに振り回されている点では似てますかね。

また、新出島とパラディ島は本土からは隔離された島であり情報統制がされているという点で似ていますね。
確か歌うクジラのどこかに、「箱庭」や「安寧」みたいな言葉が出てきました。

④他者との一体化・「自分とは?」というテーマ
これはエヴァ(特に旧劇)と歌うクジラの共通点です。
エヴァではゼーレが人類補完計画と題して全人類の魂の一体化を企てます。そして最後にシンジが人類補完計画の核となりますが、シンジが他者との一体化を拒むことで人類補完計画は未遂に終わります。シンジは絶望的な状況でもなお自分が自分でありたいと願います。
歌うクジラも最後が非常に似ています。アキラの歩んだ道のりは全て「ヨシマツ」の計画であり、この計画は、試練を耐え抜いて最上層の自分のところに辿り着けた若者の脳と「ヨシマツ」自身の脳を一体化させるための計画でした。(「ヨシマツ」は肉体的な体を持たず脳に機械をつなげて生きており、ほぼ永遠の命があるものの脳細胞は更新が必要であり、若者の新しい脳を必要としている)
「ヨシマツ」に一体化を迫られたアキラは「他人になったら自分を憎むことができない。それは絶対に嫌だ。」と拒絶し、「ヨシマツ」を殺し、脱出ポッドで宇宙を彷徨うことを選択します。

ちなみにシンジくんの有名なセリフ「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」を彷彿とさせるセリフが出てきます。
かつて「ヨシマツ」に一体化させられてしまった若者の脳が「ヨシマツ」の隙を縫ってアキラに訴えかけた言葉

「逃げられない、おぉなんて美しい言葉だ。逃げられない、響きが綺麗だ。逃げられない、まるで音楽だ。逃げられない、いつでも何度でもつぶやきたくなってくる。」


やっぱりここのあたりはめちゃめちゃ似てますね。

ざっとこんな感じです。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございます。
やっぱしょうもないやんけ!って思いました?
でも実は、エヴァと村上龍作品の繋がりはあながち嘘じゃなかったりします。
有名な話ですが、エヴァの庵野監督は村上龍の「愛と幻想のファシズム」のファンであり、相田ケンスケや鈴原トウジという名前をこの小説からそのままとっていることを公表しています。なので、村上龍作品とエヴァのつながりはマジですね。
まぁ歌うクジラはエヴァ(旧劇)の約10年後なのでアレではありますが、逆に「歌うクジラ」を書くにあたって村上龍がエヴァの影響を受けている可能性はあり得るのではないかなぁと思ったりします。

ちなみに「歌うクジラ」の最後のメッセージはこんな感じ。
最後のメッセージはエヴァや進撃とはあまり共通点はないようですが、コロナ禍の今、アキラが最後にたどり着いたこの考えは強く強く刺さります。

「生きる上で意味を持つのは他人との出会いだけだ。そして移動しなければ出会いはない。移動が、全てを生み出すのだ。」

そしてアキラがこれに気がついた時、アキラにもう一つの気持ちが芽生えます。

「せっかく気づいたのに、それらを生かすことなくぼくはこれから死を迎えるのだろうか。だが、人間の一生とはこんなものかも知れない。誰もがいろいろなことに気づき、だがそれを人生に活かすことができないという怒りを覚えながら消えていく。(中略)移動について気づいたことをアンやサブロウさんやサツキという女に伝えたい、そう思った。(中略)ぼくは生まれてはじめて祈った。生きていたい、光に向かってつぶやく。生きていたい、ぼくは生きていたい、そうつぶやき続ける。」


アキラは長い旅を終えて、人間が生きる意味は「移動することで人と出会い、そしてその人に自分の気づきや思いを伝えること」であると定義付けました。語弊があるかも知れないですが、村上龍作品には珍しく?わかりやすくて普通に生きている僕たちにも刺さるメッセージだなぁと思いました。
そしてこのメッセージは「移動が出来ない」「人と出会えない」今、非常に刺さるメッセージです。
コロナ禍での閉塞感が人生への虚無感をひしひしと大きくさせる理由はここにあるのかも知れないですね。(僕自身、人生の虚無感からこれまで目も触れなかった哲学の本や小説を読むようになりました。まぁコロナのせいではなくて遊びまくった大学生活から一転会社員になったっていう虚無感の方が大きいかもしれないですけれども!)
そして今回僕がnoteを書こうと思ったのも、このメッセージから。自分が自分であるために自分が気づいたことを人に伝えたい、そう思いました。

あっさり考察は以上になりますが、最後に一つ。
なぜか宇多田ヒカルの「道」を聞くと、「歌うクジラ」の物語が想起されます。
(エヴァとの共通点のせいかも知れないけど!)
以下に歌詞の一部を掲載しておきます。

道/宇多田ヒカル

黒い波の向こうに朝の気配がする
消えない星が私の胸に輝き出す

▶︎海を渡って新出島から脱出しようとするアキラが思い出されます。

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった

▶︎アキラの父親に埋め込まれたICチップを胸に父親の悲願である管理システムの破壊を目指す様って感じ。

目に見えるものだけを
信じてはいけないよ
人生の岐路に立つ標識は
在りゃせぬ

▶︎情報統制され、階層化された社会へのメッセージのような感じがしますね。

まぁ宇多田ヒカルの道は宇多田ヒカルさんの母親を歌った歌で有名なので、「歌うクジラ」とは関係ないですが。
「歌うクジラ」のテーマが『移動』であることを踏まえると「道」というタイトル、やはり合ってますね。(もちろん進撃にもジャストミートしますね。個人的には曲調が進撃ぽくないので歌うクジラの方が合ってる感じですが、)
もし「歌うクジラ」がアニメ化されたらエンディングは宇多田ヒカルの「道」でお願いします!(エログロシーンはカットだろうなぁ)

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
こんな感じのあっさり狸ですが、ちょこちょこnote掲載していこうと思いますので、今後もよろしくお願いいたします。(特に「愛と幻想のファシズム」と「コインロッカーベイビーズ」はまたあっさり考察書きたい!)
それではまた!


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