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息子の「赤ちゃんはどこからくるの?」に答えた

小学生のとき、たまたまテレビでやっていた不倫ドラマを見て、母に聞いた。

「このお姉さんは、どうして結婚していないのに赤ちゃんができたの?」

母は言った。

「男の人と女の人は結婚せんでもな、愛し合うと赤ちゃんできるときあるんや」

大人になって考えてみると、ずいぶんうまい言い回しをしたなと、自分の母親ながら感心する。「お茶濁し名人」と呼んで差し支えない。

だけど、大人になったからこそわかる。
「妊娠」にとって「愛」は必要条件でも十分条件でもない。

「赤ちゃんはどこからくるの?」

きた。

息子とふたりでお風呂に入っているとき、何の前触れもなくその瞬間がきた。
あまりに脈絡なく聞くので、彼がどんな思考回路でそれを質問しようと考えたのか、どんな答えが待っていると思っているのかなんてまったくわからない。

だけど、いつか息子にこの質問をされる日がくるとは思っていた。
そして、そのときこそが「チャンス」だとも考えていた。

コウノトリがとか、キャベツ畑でとか、そんな「古典」を話す気は毛頭ない。
わたしはわたしの知る事実を彼に話すだけ。嘘はつかない、誤魔化しもしない。
その決意を自分のなかで、改めて確認する。

彼が「男性」だからこそ、きちんと話してやるべきだ。

赤ちゃんは、お母さんだけがいてできるわけじゃない。お父さんとお母さんがいて、はじめて赤ちゃんができる。

自分の中に宿った命が、自分とは異性だと知ったとき、強く思った。
生涯、子供を産むことのないからだに生まれた彼にこそ、きちんと「赤ちゃんはどこからくるの」かを教えてやりたい。

「赤ちゃんはお母さんのお腹のなかで育つのは知ってるよね。その前はどこにいるか知ってる?」

「お腹のなかで育つのは知ってるの。だけど、その前がわからないの」

「赤ちゃんの種は、お父さんのからだのなかでつくられるんだよ」

「そうなの!?」

びっくりだよね。「赤ちゃんはお母さんのお腹のなかで育ちます」とか「赤ちゃんはお母さんから生まれてきます」なんてことは知っていただろうけれど、まさかそこに隣でキャッキャウフフしてるだけだと思っていた「お父さん」が介入してくるなんて思いもしなかったよね。あいつ、だいぶ重要な役割担ってんだぜ。

入浴中で素っ裸なのをいいことに、息子のからだを指差して、赤ちゃんの種はここでつくられる、それはここを通って出てくる、と教えた。

「じゃあ赤ちゃんの種はどうやってお母さんのお腹に入るの?」

もうほんとうちの息子、ロジカルシンキング。

「お腹って言うかね、女のひとのからだにはこのあたり(自分の下腹部を指して)に赤ちゃんを育てるためのお部屋があって、股の間にある穴がそのお部屋につながってるの。そこから赤ちゃんの種を入れて、赤ちゃんが育ったら、その穴から出てくるんだよ」

「へー、知らなかったー」

抑揚のない言い方で、息子が言う。

わ・か・っ・た・か・な・?

だけど、大切なのはここから。わたしにとっての本題は、むしろここから。

「だからね、男のひとのからだも、女のひとのからだも、股にあるのは赤ちゃんをつくったり育てたりするのにとても大切なところなの。息子は自分のそれを大切にしなきゃいけないし、他のひとのも大切にしなきゃいけない。息子が許していないのに、それを触ったり見たりしようとするひとは悪い人だからね。息子はそういうことがあったとき、絶対に怒らなきゃいけないよ」

「やめてって言っても、やめてくれなかったときは?」

「息子のことを守ってくれる大人に助けを求めるの。そのときすぐじゃなくても、必ずだれか大人に話すんだよ」

「あー、大人のほうが怒ったらこわいからね」

違う、違うけど、そう。
もしそんなことがあったら、お母さんは迷いなく出るとこ出る。


5歳の息子に「性」の話をするのは、想像していたよりずっと簡単だった。

息子はまだ幼児だけれど、幼児だからこそ気軽に話せたと思う。

彼にはまだ余計な知識や先入観がない。わたしの言葉を素直に受け止めて理解しようとするほどに、「性」に対する興味こそあれ、羞恥心が芽生えていない。

きっとあと数年経ったら、こんなに風に気恥ずかしさを感じずに話すことは難しくなると思う。
ひょっとしたら、今日の「赤ちゃんはどこからくるの?」を逃したら、一生、彼にわたしの口からそれを話せる日はこなかったかも知れない。

そんなことになったら、わたしはきっと後悔した。
わたしが産んだ命に、どうやってその命が誕生するのかを話せないなんて、つまらない。学校じゃなく、他人じゃなく、彼を産んだわたしこそ、彼にこの話をしてやりたかった。

お父さんがいて、お母さんがいて、あなたはここにいる。
そしてあなたもいつか「赤ちゃんをつくる」ことに関わる可能性がある。

そのことをだれよりも先に、わたしが息子に話せたことをうれしく思う。

息子もこれから先、いずれいろんな場所で、いろんな人から、いろんな知識を得て、きっと勘違いしてしまうことも、ひそかに思い悩むこともあるかも知れない。

そんなとき、今日のことを思い出してくれるといいなと思う。
それは、話した内容ももちろんそうなのだけれど、息子がわたしのことをカジュアルに「性」の相談ができる相手だと思ってくるといいなと。
すべてに答えてやることはできないかも知れないけれど、わたしは絶対、息子に対して嘘をついたり誤魔化したりしないから。それだけは誓うから。息子が悩んだとき、相談相手として「お母さん」がずっと選択肢にいればいいなと思う。

そんな祈りを込めて、今日、わたしは、息子の「赤ちゃんはどこからくるの?」に答えた。

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