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まったく育児のアドバイスをくれない母

里帰り出産のために帰省したとき、母がこんなことを言った。

「つわりってどんな感じなん?」

えええ、それ、娘が母親に聞くやつじゃないの?逆、逆!!
もちろん妊娠・出産の経験がある母だけれど、「つわり」はまったくなかったらしく、わたしがひどいつわりで会社を休んだりしていたのを聞いて、どんなものなのか気になっていたらしい。

うちの母は、つわりの経験もなければ、安産オブ安産、そして「すべての育児は保育園任せだった」と豪語する女だ。

離乳食ってどうやって作ればいいの?
トイレトレーニングってどんな風に進めた?

わたしからの質問に、母はいつも同じ言葉を返す。

「忘れた!知らん!保育園がやってくれた!」

そりゃそうかも知れんけど。

わたしのときはどんな風だったの?と聞くたび、母は威勢よく「忘れた!」と言い、しまいには「勝手に育った!」と言いだす。

本当に忘れてしまったのか、思い出す気がないのかわからないけれど、母がわたしに「育児アドバイス」をするつもりがまったくないことだけはよくわかる。

だけど、わたしはわたしなりに、かわいい孫を眺めながら「あんたが小さいときにはなあ…」なんて、わたしの幼少期を懐かしんで何か語り出してくれるのじゃないかと。そういう「母親と、母親になった娘の楽しみ」みたいなものにすこし憧れがあったので、残念な気持ちもある。

何を聞いても「忘れた!」をくり返す母だけれど、それでも毎回、わたしの話それ自体はちゃんと聞いてくれる。

息子の様子を「大丈夫かなあ」「こんなものなのかなあ」と話すたび、母は「そうなんやなあ。忘れたなあ。忘れたけど、そんなこともあるんやなあ」と相槌を打ってくれる。

わたしは母に話すことで、すこし安心する。

目からウロコ!な解決策を授けてくれるわけではないけれど、母はいつもわたしの息子への思いを理解してくれて、わたしの気持ちに寄り添ってくれる。

母は、わたしを否定も肯定もしない。

ああ、それってとてもありがたいことだ。

そして、これって簡単なようで、とても難しいことじゃないだろうか。

相談をされれば、何か「答え」を与えなければいけないと思ってしまう。きっとそれはとても自然なことだけれど、母は、決してそれをしない。
母に「答え」を与えられたら、たとえわたしはそれが気に入っても気に入らなくても、その言葉に揺さぶられるだろう。

わたしが自分自身で悩み、考え、選択すること。母はそれをさせてくれる。
わたしがすっかり大人になり、わたし自身が母親になっても、わたしの母はずっと、わたしを「見守る」ことに徹してくれる。

何を言われても「忘れた!」と返せる母は、すごい。

もちろん本当に忘れているだけで、それ以上何も考える気がないのかも知れないけれど。急ごしらえのアドバイスさえする気がない、という潔さがすごい。

ついつい息子に余計な口や手を出してしまいがちなわたしは、母の姿を見て大いに反省する。わたしはどれだけ息子の気持ちをありのままで受け止めることができているだろうか。

どれだけ大人になろうが、たとえ親になろうが、母から学ぶことがある。
まったく育児のアドバイスをくれない母は、わたしにとって最高の育児アドバイザーだ。

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