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息子のはじめての乳歯が抜けて、思ったことと、思い出せなかったこと

抜けた。息子のファースト乳歯。

その日、保育園のおやつに出たクッキーをかじった瞬間、まるで起き上がりこぼしみたいにぐわんぐわんになったという息子の乳歯。それでもまだファイティングポーズをとり続けたまま帰宅。

息子とおしゃべりをしていると、彼の呼吸に合わせて乳歯が前後にゆらゆら揺れる。

ええ、これもう生えてないよね。ちょうどいいサイズの穴に刺さってるだけだよね。こんなのもうアンビルト建築じゃん。ザハ・ハディドのやつじゃん。

しぶとく息子の歯茎に居座っていた乳歯も、夕食のとき、いよいよ耐えきれなくなったようで、ポロリと、簡単に抜け落ちた。

生まれてはじめて「歯が抜けること」をとにかく怖がっていた息子は、抜けた歯を見つめてひとこと言った。

「あー!スッキリした!!」

痛くなかったでしょ?と聞いたら、息子は笑顔で「痛くなかった!」と言った。

夜、布団の中で息子がこんなことを言い出した。

「ねえ、お母さん。お母さん、子どもの頃、とうもろこし食べて前の歯が抜けたって言ってたでしょ?そのほかの歯は、どうやって抜けたの?」

そう。わたしには小学1年生だった頃、友達の家でおやつにと出してもらったとうもろこしをひとかじりした瞬間、上の前歯が抜けたという記憶がある。
息子の乳歯がグラグラと揺れはじめた頃、息子にその話をしてやった。全然痛くなかったよ。ポロって落ちたんだよ。そう言って、安心させてやるために。

だけど、わたしの、わたし自身の「乳歯が抜けた」記憶はそれだけだ。

残りの19本がいつどうやって抜けたのか、覚えていない。

だけど、思うんだ。覚えていないけれど、それは「なかった」わけじゃない。

きっと、こわいとかつらいとか、悲しいとか、さみしいとか。
いまのわたしにはひとつも思い出すことができないけれど、あのときのわたしにはきっと、そういう感情を抱いた瞬間があったはずだ。

だからこそ思う。息子の「いま」の感情がすべてで、何よりも大切。

彼がそれをいつか忘れてしまうとしても、いまのわたしにそれが理解できなくても。

「ほかの歯がどうやって抜けたか思い出せないなあ。忘れちゃった」

そう言ったら、息子はとても穏やかな声でこう言った。

「思い出したくない?思い出したくないなら、いいよ」

「思い出したいけど、思い出せないんだよ」

息子にはきっとわからない。「歯が抜ける」なんていうセンセーショナルな出来事の記憶を、まるごとどこかに置いてくることが可能だなんて、息子にはまだきっとわからない。

忘れたよ、忘れるんだよ、そういうの。

「思い出しても思い出さなくても、お母さんの好きにするといいよ」

息子の言葉に、笑った。
この子はなんてやさしいんだろう。どれだけのやさしさに包まれて生きてきたんだろう。彼の生きる世界は、なんてやさしいんだろう。

記憶からいなくなってしまった、ちいさなわたし。
だけど、きっとそれにそっくりな息子がここにいる。

息子を守ってやりたい。
わたしがいつかだれかにそうしてもらったように。乳歯が抜けることなんてなんでもなかったといつか思えるように、わたしのあのときの気持ちにだれかが寄り添ってくれたように。


息子の乳歯が抜けた。

わたしも息子も、またひとつ成長した。
いつか忘れてしまうかもしれない1日が、またひとつ増えた。

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