岸田さんの書いてないことを憶測して勝手にあれこれ言うてみる

岸田奈美さんの「文章」が好きだ。
いつも、ホロホロ泣いたり、にゃははと笑ったりしながら読ませてもらっている。

先日、この記事を読んだ。

岸田さんは言う。
パインバーグを食べようともせずに、ハンバーグにパイナップルなんて合うわけないだろ!と言ってしまうことは、れっきとしたパインバーグ差別だ。と。

至極もっとも。そういう「思い込み」がパインバーグなり、パインバーグを作る人なり、パインバーグを好きな人を傷つける。せめて食べてから「合うわけがない」と言ってくれ、というのはぐうの音もでないほどの正論だ。

だけどさ、現実にはさ。
びっくりドンキーが近所にない人もごまんといるんだよね。

と言うか、それこそがじつは「根っこ」と言うか、びっくりドンキーに行きようのない人は、結局、パインバーグがどんなものかということを自分のこれまでの経験や噂話から想像することしかできない。だからと言って、食べずに語ることが許されないわけじゃないと思うんだよ。それが憶測だとしても、「合わないんじゃないか」というイメージを口に出すことは罪じゃない。

-

わたしには4歳上のダウン症の従兄がいる。
彼は文章で会話することはできない。「ポテチ食べる?」と聞くと、「食べる」と言う。だけど決してわたしに「ポテチ食べる?」とは聞いてくれない。
彼は何十年も同じ音楽を聴き続け、何十年もポテチを食べ続けている。だけど、彼は幼少期からずっと変わらずいつもご機嫌だ。
わたしは彼を見て育ち、彼を「そういう人」だとだけ思っている。ダウン症だからどうだとか、障害があるからどうだとかなんて深く考えたこともないし、これまでの人生でわたしが特別に彼を介助したことなんて一度もない。
従兄は従兄。わたしの、4歳上の、従兄。

小学校の同級生として「文章で会話ができる」ダウン症の子に出会ったとき、とても驚いた。それまで、わたしはダウン症の人は単語でしか会話できないと思い込んでいた。ひとことでダウン症と言ってもそれぞれに「違い」があることをはじめて知った。

もし、わたしにダウン症の従兄がいなかったら、わたしは同級生のことをダウン症の人とはこういうものだ、と思い込んだだろう。そして、この二人ともに出会わなかったら、わたしはだれかの経験の話を読むなり聞くなりして、ダウン症の人とはどういうものかを推し量ることしかできなかっただろう。

出会ったことのない人についてあれこれイメージするのは難しい。そのイメージを手助けしてくれるはずのだれかのイメージが偏見に満ちていることだってある。百聞は一見に如かずで、出会ってみて、会話してみて、はじめて人はその人とどういうコミュニケーションが可能か、そして必要かを理解することができる。

それはそうとして。あまりに「びっくりドンキー」が少ない。

5歳の息子を育てていて、常々感じていたことなのだけれど。
彼の周りには「健常者」しかいない。
健常者だけが働く保育園で、健常者の子供たちとだけ毎日を過ごす。小学校に上がってもそうなのかも知れない。彼の読む絵本にも、彼が見るアニメにもダウン症の子は登場しない。出会う機会があまりにも少ない。

出会ったことのない人について、出会う機会がないために「思い込む」ことしかできない人というのが実際にはとても多いのではないか。

もっと障害のある人もない人も、身近に共生できないものかと思うけれど、そんなことはわたしよりずっと賢い人たちがちゃんと真面目に考えていて、それでもなお実現することが難しいのだろうな、ということはわかる。

だけど、わたしの向かいに座ってポテチを貪りながら音楽に体を揺らしていた従兄が、当たり前にそこにいたように、社会のなかでも当たり前にどこにでもいられればいいのに、と思う。

-

「思い込み」で人を傷つけたくない。
だからたくさん本を読み、いろんな話を聞くように努めるけれど、それもまた新たな「思い込み」を生む作業でしかないのかも知れない。そして、自分は思い込んでいないと思い込んでしまう危険性もある。

人を傷つけずに生きていくというのは簡単なことじゃない。だから、わたしたちはいつもさまざまなことを考えて、思い込んで、思い直して、をくり返すしかない。という、これも、思い込み。

はーもう、思い込みついでに言うと、わたしはびっくりドンキーではチーズバーグこそ至高!と思い込んでいるので、これ以外のメニューは現世では絶対に注文しない!

そう、これも思い込み。
チーズバーグはおいしいと思うことさえ思い込み。自分の未来を想像することさえ思い込み。思い込まずに生きるのは難しい。

思い込んで、思い込まれて。
それでも自分の好きなハンバーグをたらふく食べて生きられたら、それでええじゃないか。おまけに、そのハンバーグおいしいよね!と共感してくれる人がひとりでもいれば、それでええじゃないか。

いろんな人が、いろんなハンバーグを食べて、いろんなことを考えればいい。
世の中は、それでいい。それが、世の中だから。

-

岸田奈美さんの文章は、こんな風にあれこれ考えるための「種」をくれる。
わたしはそれが、とても楽しい。楽しいから、好き。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?