息子は、星を集めて歩く。

わたしはこどもの頃、自由に雲を操ることができた。

だれかに話すとその「ちから」が失くなってしまうから、
それはずっとわたしだけの秘密だった。

空に向かって指を伸ばす。
雲はわたしの指に吸いつくように集まって、
わたしの思うままに、あちらへこちらへ、流れてゆく。

わたしはいつしかその「ちから」を失ってしまった。
どこへ消えてしまったのだろう。
だれにも話していないのに。


息子は、星を集めて歩く。

わたしには見えないけれど、
息子の目には確かにそれが映っているようで。

あ!あった!ここにもあった!と言いながら、
行く先々で、息子は抱え切れないほどの星を集める。

息子が星をつかまえるとき、「ピュン」と息子の口が鳴る。
ピュン、ピュン、ピュン、ピュン。
その「音」がするたび、この街が星であふれていることに気づく。
わたしの目には見えない星が、いくつもいくつも。


読み書きができるようになったとか、
お絵かきや工作が上手にできたとか、
自転車に乗れるようになったとか。
もちろん、そういうのも大切なんだけれど。

大人になったわたしはいつも目に見えるものばかり評価する。
それを息子の成長を見るときの「ものさし」にさえしてしまう。
ずいぶんつまらない人間になってしまったなと思う。

だれもがいつかはできるようになることをできるより、
雲を操ったり、星をつかまえたりできることのほうが、
ずっとずっと、かっこいいのに。


わたしの目には見えない星を、
息子はいつまで集めることができるだろう。

いつか息子の目に、星が映らなくなったとしても、
わたしは息子がその「ちから」を持っていたことを、きっと忘れない。

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