見出し画像

幸田露伴のおとぎ話「善牙獅子と善搏虎と両舌狐との話」

善牙獅子と善搏虎と両舌狐との話

 昔、雪山という山のほとりに獅子と虎が棲んでいました。獅子はその名を善牙(ぜんが)といって、力が強く牙が鋭く、特に獣の中の王の系統なので自然と威厳があって、立派な、この野山では肩を並べる者もない豪傑でした。虎はその名を善搏(ぜんぱく)といって、これも大力持ちで、手足の爪は鎌のようで、眼は冬の夜の星より輝き、一声叫べば天の月をも落とすばかりの勇者でした。それだけでなく、善搏の身に着けた衣(ころも)は黄金の光を放ち、そして、その中に美しい斑(まだら)模様があるので、獣達はこれを敬い恐れて、獅子と共に尊き者として待遇していました。善牙と善搏は互いに争うことなく、友達として仲良く交際し、善搏に獲物が無いときは、善牙は我が食事を分け与え、善牙が運悪く何も獲物が獲れない時は、善搏は我が獲物の鹿を半分与えるなどして仲良く暮らしていました。その善搏の棲処(すみか)から遠くないところに両舌(りょうぜつ)という狐がいました。もともと力も徳(善いところ)も無い者だが、その代わり少し狡い知恵があって、隠れて鶏のヒナを騙して喰べたり、小川の魚などを獲って、何んとか生きていましが、善牙と善搏の様子を見て羨ましくなり、「どうか私もあなた達の仲間に入れて下さい。出来るだけのことはしますから」と頼みました。善牙も善搏も心の大きな者達なので、「よし、それならば仲間にしよう。これからはお互いに助け合おう」といって両舌の頼みを許しました。それからは両舌は毎日毎日善牙と善搏の食い残した肉を貰って、自分は何もしないで満腹する楽な暮らしを送っていましたが、ある時フト思ったのは「力は有るが智恵の無い善牙や善搏を口先で騙して、このように毎日毎日彼等の働きで得たものを食べているのは好いが、もしも善牙と善搏の両方に獲物が無い時は、俺を食おうとするかも知れない。危ない!危ない!これは何とかしなければいけない。アアうまいことを思い付いた。獅子と虎の仲を悪くして互に別れ別れになるようにしよう。そして俺が善牙に向って、善搏の奴がこんなことを云っていますと善搏の悪口を言って、善牙に見方のように見せて、善搏には善牙のことを言って俺が善搏の見方のように見せかければ、善牙も善搏も俺を味方と思って、食い殺しなどはしないだろう。これは面白い、よい考えだ。殺される心配がなくなる上に善牙にも善搏にも味方のように思われ愛されることになるし、また今まで以上に肉も多く呉れるようになるだろう。アア俺は智恵者だ!両舌は軍師だ!と独りで喜んで、ある時獅子の居るところで本当らしく、「大王、私は実に口惜しくて悲しくてなりません。貴方は御存知ないでしょうが、善搏はけしからん者でございます。貴方の前ではおとなしくしていますが、貴方の居ないところでは無礼なことを言っています。先ほども私に向って善搏の奴は、我は善牙よりも生まれた所も良い、系統も勝っている、力も強い、形も良い、何もかも善牙に勝っている、我は毎日美食を得るが、善牙という奴は何時も我の食い残しを食って生きている、と云って散々と大王を罵って威張っていました。実に大王のお名前を辱める無礼な奴でございます。私は実に大王のために口惜しくてなりません。悲しくてなりません。善搏は憎い奴でございます。」と訴えると、善牙は少し怒って、「よしよし、よく知らせて呉れた。しかし、本当に善搏はそのような無礼なことを言ったのか」と念を押すと、両舌は「善搏の奴は確かにそう言いました。私は嘘は云いません。その証拠には善搏にお会いになる時に、よく奴の様子をご覧になればよく分るでしょう。」とうまいことを言ってその場をごまかしました。狐はそれから直ぐに虎の処に行って本当らしい顔付で、「大将軍、私は実に口惜しくて悲しくてなりません。貴方は御存知ないけれども、善牙は失敬な奴でございます。貴方に対して蔭で無礼なことを言っています。先ほども私に向って善牙の奴は、我は善搏よりも生まれた所も良い、系統も勝っている、力も強い、形も良い、何もかも善搏に勝っている、我は毎日美食を得るが、善搏という奴は何時も我の食い残しを食って生きている、と云って散々に大王を罵って威張っていました。私は日頃から大将軍の特別なお陰で生きている者ですから、実に口惜しくて口惜しくてなりません」、と云えば善搏も不快になって、「その事に間違い無いか、本当にそのようなことを言ったのか、憎い奴、よく教えてくれた。そのうち褒美をやろう」。と云うのに、両舌狐はシメタと心の中で喜んで、「大将軍、もしも善牙に逢われて奴の様子を見れば、私の申したことが嘘でないとお分かりになるでしょう」、と云って自分の棲処に帰って、「アア、俺の計画は素晴らしい、そのうち獅子と虎の仲は悪くなるだろう。全て俺の思うようになるだろう。と大いに自慢していました。
 善牙と善搏は両舌に騙されたとも知らないので、互に怒りを持っていましたが、ある日、山の谷間で思いかけずに出会いました。善牙は怒りを隠して善搏の顔を見守ると、善搏もまた怨みを抱みながら善牙の顔を伺うと、共に心が何時もと違って穏やかでないので、善牙は善搏が眼を怒らすのを見て益々怒って、善搏は善牙が歯を噛みしめるのを見ていよいよ怨んで、だんだんと互いに近づいて、此方は高い崖を平気で飛び降りる性格、彼方も千里を駆ける性格なので、どちらも後へ引かず、あわや争おうとしたその時、善牙が気がついて、一応確認してからでも遅くないと、「どうして善搏、汝は我を罵って、生まれた所も、系統も、形も、力も、何もかも劣っていると言ったのか、なぜこの我をば汝の食い残しを食って生きていると辱めたのだ、我は両舌から聞いて詳しく知ったぞ」と責めれば、善搏は忽ちこれは両舌が嘘をついたのだと気が付いて、「善牙しばらく待て、我にも汝と同じことを両舌が知らせたが、我はもともと力も形も全て汝に及ばないのに、何で汝を罵ろう、まして我等は友達ではないか、汝の言葉によって考えれば、汝も我を罵りはしないだろう。もし両舌に騙されてしまえば我等は共に怨み合うことになろう。我は真実に気付いた。汝も両舌に騙されないで怒りを収めたまえ。以前のように我等は仲良く共に暮らそう。と言えば、善牙も尤もであると同意し、猶いろいろ話し合ううちに、全て両舌の嘘と分かれば、善牙も善搏も共に大いに怒り、すぐに狐を探し出して、「汝の半身は我の味方だったが、半身は善搏の所で我を罵ったので我は食う」と善牙罵り、「汝の半分は我の味方だったが、半分は善牙の所で我を罵ったので我は食う」と善搏も罵り、遂に知恵者の両舌狐を二つに引き裂き殺して食ってしまったそうです。
(明治二十五年七月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?