見出し画像

幸田露伴の随筆「鮫の袴」

鮫の袴

 東京は本所の外れの路地の中である。あまりいい場所でもない上に、人家のゴミゴミと立て込んでいるその中に一寸した仕舞屋(しもたや)造りの家がある。まァ誰かの隠居所とでもいったような家で、そこへ入って見ると、通された座敷は床の間もあれば一寸した装飾物もあるといった工合で、特に篆書(てんしょ)で書いた聯(れん)などが掛かっている。見るとそれは主人がまだ若い時分に篆刻を余技として遊びにしていたことから生じた、まァ云わば器用から生じたものに違いないが、それにしても人にも家にも不似合いに思われたのは、主人の細君と思われる人が次の間で何かゴトゴトしていたことであった。遠慮のない自分だから構わずに見ると、かなり大きいバット(平容器)の中に何か薬液が入っている。その中へコウモリ傘の先ず上等と思われる骨を浸して、程合いを見計らっては順々と引き上げているので、出来上がったと思われるものを見ると、それは婦人用のコウモリ傘に見られる、あの白いエナメルのようなものを被された傘の骨であった。主人の言葉によると、「僕が碌な稼ぎもないので、僕の工夫した方法を家内が実行して、こういう白い骨を拵えて、そして傘の製造業者に渡して、それで家計を助けているという始末なんです。まことに良妻賢母の妻で亭主は大いにお蔭を蒙っているという訳です。」と、若い感情にも意気にも満ちた洒脱な笑いを発した。細君も共に笑ったが、まァまァというので、仕事の手を休めて座敷に私を通し、茶だの煙草だのをあしらってくれた。
その日その家を訪れたのは、或る紹介者に勧められ、その主人を面白い人だと思ったからで、主人は高等工業かの出身で、その時三十代ぐらいの眉目も秀麗で、物分かりのいい、意気もある人であった。
この人は魚類の皮が無駄に棄てられて行くことに注目して、最初はウツボの皮を製皮して何かの用に立てようと、京橋に住んでいた時に千葉から沢山捕獲されたウツボを取り寄せて製皮をした。ところがウツボという奴はなかなか気の強いもので、捕獲されたもの同士が互いに咬みあったりするので、皮に多くの傷が出来て製造は思うようにいったが製品は役に立つものが少なくて、大量捕獲を企てたことや何やらで長い時間とかなりの資金を無駄にした。そして、おまけに変な臭いをさせたというので、近所から警察へ訴えられて警察がやって来るという始末で、しかも始末書を取られた。警察署では、思い付きも国益を起こそうということであるし、学術上でもそのようなことをするというので、大層同情してくれたけれども、しかしながら人家密集の所で人のに迷惑になる臭気などを発散させては困るということで、禁止させられてしまった。ほうほうの体(てい)で今の場所に移って来た。その後、ウツボはそう沢山居るものでもないし、小さいものでもあるし、同じするならモット働き甲斐の有るものに力を入れようと、着眼を大きくして、今は鮫の皮を鹿皮や牛皮の代用にしようと熱心に研究しているのである。
で、その出来上がった標本の幾ツかを出して見せてくれた。その中には殆んど鹿皮同様に柔らかで、感じも悪くないものもあったし、またそれらを染めて染皮にして外観を美しくしたものもあった。「古代の鹿皮の燻(いぶ)し染めなどのようなものがこれで出来たら、その時は僕は袴にして穿きたい。あの昔の皮を巻くか絞るかのようにして、そしてそれに茶色の燻し色のような美観を与えたものは、実に何とも云えない味があるものだ。ある日本画家がそういう袴をこしらえて穿いていて、そのため或るしたたか者の老妓にチヤホヤ言われたという一ツ話さえある位で、何も自分は衣装道楽では無いが、柔らかい皮の袴というのは古風で面白いと思うので、どうです一ツ、僕にこしらえて呉れませんか」というと、「イヤ、何れこしらえてあげましょう」という話であった。
ところが、当時主人はそれに没頭するには何やかやと研究に金が要るし、収入を他から得られるというのでもないので、差し当たり何かをしなければならない、勤めていたのでは思うようにならないし、頑丈な体つきでもない我儘者なので、それで頼まれてワニ皮だのトカゲ皮だのと皮でないものを材料にして模造する事をしていた。それで出来たものを見ると、なかなか上手によく出来ているが、一体が信念のある人なので、ワニ皮ならワニ皮、トカゲ皮ならトカゲ皮で本物の一枚だけの大きさに作り上げ、本物なら目の粗いところもあるし細かい所もあるし、まことにそれで面白いのであるが、商人にとってはそんな本物そっくりなものより、それぞれの似かよっている部分だけのものの方が欲しいので、一寸そういうところも技術者気質の人と商売の人との間には違うところが有って、どうも主人にとっては注文者の注文が気に食わず、商人にとっては主人のすることが本筋過ぎて利益に疎いというような事があり、双方思うようにシックリ行かないのでお互いに不満があった。それでもその出来ているものを見るとなかなか面白く出来ている。が、商人はもっと多く拵えて出してくれというし、一方はなるたけ良く拵えようというので、互にブツブツは除かれない訳である。
それで、そんな話を聞き、そんな品物を見、主人の意気合い、現状の生活ぶりなどを考えているうちに、多才な主人が考えた方法を、忠実な細君が傘の白い骨を拵えて家計の足しにしているという事に思いが至って、何だか涙ぐましいような心持になった。
三陸でとれる大きな鮫は多量なものがあって、その肉は蒲鉾屋さんの材料になり、また鮫によっては直接魚屋さんの商品にもなるもので、その種類も多く、なかなか以て一ト通りのものではない。その皮の面積もなかなか大きいものであるから、これを役立つものに換えて行けば、その効果も利益も少ないものではない。日本は水産国であり、大陸のように牛や羊などを大量に生産する国ではない。このムダに棄てられて行く鮫の皮をうまく製造して、陸上動物の皮に代えるということが成功すれば、国家にとって少ない利益ではない。主人の思い付きは誠に良い事で、それ以前にすでに農商務省でも水産動物の製皮という事に気が付いて、多少の製品を世に出したが、大きな成果を得るには至らなかった。そこでこの人が最初ウツボを試験して、それから鮫に移って、遂に十二分に完全と云うのではないが、見るべき製品を得るに至ったのである。
余技に篆刻をするというような趣味をもっている若い人が、当座の娯楽を投げうって、こういう事に貧苦を忍びつつ苦心しているという事は面白い事だと思う。その時会ったきりでその後は遂に会わずじまいになった。が、伝聞すると、その後の話は実に世の中に有り勝ちな、そして悲しいロマンチック事になってしまった。才はあり、知識もあり、男振りも好いし、応対も拙くなく、何をさせても器用なこの主人も、それ以後はどうも、何をしても思うように行かない。心中に不平はある。仕事を助けようとするいわゆる資本階級なる者は、何時でも主人の真の希望には添おうとしないで、先ずは当座の自己の利益を収めるのに急である。それがどういう機縁を以て主人に迫ったか知らないが、よくある例で、不平を抱く人の常で、タマタマの事情から紅灯緑酒に親しむように成り勝ちなものである。ところが叉そういう社会の才力ある女に、ともすれば、そういう人に同情するものがあるものである。で、その忠実な細君があるに拘わらず、他の女との間にも悪縁的な愛情が成り立って、そして主人は段々と宜しくない運命の道をたどったらしい。その細君に偶然大震災の時に巡り合ったが、それもその後は杳として音沙汰を聞かない。
その人は亡くなったがその志はある。皮の袴は貰わなかったけれども貰ったと同じように感じられている。誰かが今に必ずこの事を成就して鮫の皮を鹿の皮にするだろう。
(昭和六年一月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?