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幸田露伴の小説「二日物語①(此一日)」

二日物語

 此一日

       その一

 観見世間是滅法
 (かんけん・せけん・ぜ・めっぽう)、
 欲求無尽涅槃処
 (よぐむじん・ねはん・しょ)、
 怨親已作平等心
 (おんしん・いさ・びょうどうしん)、
 世間不行慾等事
 (せけん・ふぎょう・よく・とうじ)、
 随依山林及樹下
 (ずいい・さんりん・きゅう・じゅげ)、
 或復塚間露地居
 (わく・ふく・ちょうかん・ろじきょ)、
 捨於一切諸有為
 (しゃお・いっさい・しょ・うい)、
 諦観真如乞食活
 (たいかん・しんにょ・こつじき・かつ)、
 南無阿弥陀仏、
 南無阿弥陀仏。

 実に往時は愚かであった。つくづくと静かに思い返せば、私が憲清(のりきよ)と呼ばれていた頃は、力を文武の道に尽し、命を俗世の巷に懸け、密かに自負して、老病死苦の免れない身にあって貪・瞋・痴の三毒の業(ごう)をつくり、私邸に起臥しては日々を衣食の獄に繋がれ、宮廷に出入しては年月を名利の穴に墜とし、小川の水が流れるように妄想のさざ波は絶える間(ひま)なく、枯野の萱が燃え揺らぐように煩悩の炎は時に閃めき、煩悩は常に眼・耳・鼻・舌・身・意の六境に馳せて、欲情はともすれば十種の大罪に移ろうとして、危くもまた浅ましく、昨日見た人も今日は亡く、世を夢と見る果敢なさにも驚かず、鶯の霞に咽ぶ曙の声は大乗妙典(法法華経)の御名(みな)を呼べども、無知な凡夫の耳は覚(さと)らず、迷いの眠りを破れずに、吹き渡る嵐の音は松にあって、空を彷徨う浮雲に磨かれ出る秋の夜の月の光は哀れを宿す、荒野の裾の群ススキの露の白玉あえなくも、末葉元葉の分け行く風に砕けてハラハラ散るのも真(まこと)に即無常の、貴い教えの偈(げ)の姿ではあるが、暗く見えない盲ロバの何を悟るにも手段なく、いたずらに御祓(みそぎ)済ましてとり流す幣(ぬさ)諸共に夏を送り、窓訪れる初時雨に冬を迎え世を送っていたが、「物に定まった性はなし、人どうして常に悪かろう、縁に遇えば則ち凡愚も道義を希(こいねが)い、教えに順うときは凡夫も聖賢に斉(ひとし)く思う」と弘法大師の宣(のたま)いしも嬉しい。ある年の法勝寺御幸の折に郎等の一人が六条判官の手の者に捕えられたことを、厭離求道の種にして、大治二年の十月十一日、拙(つたな)い和歌を御褒めに預かり、忝(かたじけ)なくも褒美には朝日丸の御佩刀を賜わり、女院の御方からは十五重ねの紅の御衣を賜わり、身に余りある面目を施すのも畏れ多くはあれども心それ等に留まらず、ひたすら俗世を出でて悟りの境地に入り、敷華成果(ふげせいか・虚飾を取り去り内面充実)の暁を望もうと、遂にその月の十五夜の月も西方浄土に傾く頃を、南無仏、南無仏、恩愛永離(おんあいえいり・恩愛との永別)の時が来たと髻(もとどり)斬って持仏堂に投げこみ、愛する妻をも捨て、愛しい幼子をも歯を食いしばって振り捨てて、弦を離れた矢のように嵯峨の奥へと走り着き、在り日に代えて心安き修行僧の身となって以来、花を採り水を掬(むす)んでは聊(いささ)か釈迦牟尼の御前に一念の至誠を捧げ、案を払い香を拈(ひね)っては、謹んで無量義経の中に両眼の熱光を注ぎ、寂寞とした或る夜の兀坐(こつざ)には、灯火の掲げる力も無く消える光を待つ我が身と観じ、徐歩逍遥の或る時は、蜘蛛の糸に貫く露の玉を懸けて飾った人の世と悟り、ますます勤行を怠らず、貪・瞋・癡の三懺(さんざん)の涙に六善の船を浮べて、悟りに行き着く信・精進・念・定・慧の五力の帆を揚げて、悟りを妨げる煩悩・所知の二障の波を凌(しの)ごうとし、山林に身を苦しめて、雲水に魂を憧れさせては、墨染の麻の袂(たもと)に、春霞の吉野の山の花の香を留め、雲の湧き出る那智の高嶺の滝の飛沫(しぶき)に、網代小笠(あじろおがさ)の塵垢(ちりあか)を濯(そそ)ぎ、住吉の松ヶ根洗う浪の音、難波江の芦の枯れ葉を渡る風をも、皆御法説く声だと聞いて、浮世を他所(よそ)に振り捨てて越える鈴鹿や神路山、忝(かたじけな)さに涙こぼれて、行方も知れず消え失せる富士の煙りに思いを他所(よそ)に、鴫立沢の夕暮に杖を停めて一人歎き、一人さまよう武蔵野に千草(ちぐさ)の露を踏みしだき、果ては白河の関を越え、幾干(いくそ)の山河(やまかわ)隔たりし都の方を信夫の里、思案の橋を渡り過ぎ、嵐烈しく雪散る日、辿り着いた平泉、汀(みぎわ)凍る衣川を衣手寒く眺めやり、出羽に出でて、多喜の山に薄紅(うすくれない)の紅花(べにばな)を愛(め)で、象潟(きさかた)の雨に打たれ、木曽の碧空に咽んで、漸く都に帰り来れば、是れは是れは、往時(むかし)住んでた跡なのか、蓬(よもぎ)の露に月の隠れる有為転変の有様は、色即空の道理を示し、亡きあとに面影だけを遺し置いて我が朋友は何地(いづち)に行ったか、無常迅速の有様は水に浮かぶ浮草の譬喩に異(こと)ならず、いよいよ心を励まして、遥かな巌の間(はざま)に独り居て、人目を避けて物思わんと、暫く北山の庵に行い済ました後、飄然と身を起し、加茂明神に御暇(おいとま)を申して仁安三年の秋初め、塩屋の薄煙りは松を縫って緩く靡(なび)き、小舟の白帆は霧に隠れて静に去る面白(おもしろ)の須磨明石を通り過ぎ、行く道々に歌枕を探(さぐ)り見つつ、図らずも讚岐の国の真尾林(まおばやし)に来たけれど、此処は弘法大師の生れ玉える地に近くて何と無く心落着き、このような草庵を結び念仏を唱えては散れ乱る意(おもい)を収め、禅定修業の暇(いとま)には吟咏の想いに耽り、悠々自ら楽しめば、有難や三世諸仏の思し召しにも叶いてか、凡念は日々に薄らいで、心中は淡きこと水を湛えたようで、罪障は刻々と消えて、両肩の軽いこと風を担ぐようなるを覚える。思えば往事は皆非であった、今また更に何をか求めよう。奢りに限りがなければ珍味も美味ではなかろう、足るに任せれば麻で繕った衣も佳衣となる、ましてや蔦の絡(から)む窓をも捨てずに月は我を慰め、松の立つ軒に来ては風は我に戯れる、床しいところのある住居(すまい)である。南無仏、南無仏、あわれよき庵、あわれよき松。

 久(ひさ)に経(へ)てわが後(のち)の世をとえよ松

あとしのぶべき人も無き身ぞ

       その二

真清水の世に出(い)ずべしとも思わねば、見る眼も寒げに住む我を、慰め顔の一ツ松よ。汝は初・仲・晩の三冬にもその色を変えなければ、我も一条(ひとすじ)のこの心を移すことは無い。なまじ嵐に揺らいで翠光を机上の黄巻に飛ばせば、我もまた風に托して香烟を木末の幽花に棚引かせる。ソモソモ我と汝とは往時どのような契りがあったのか、このようにお互い睦み合うのも是れも他生の縁であろうか。草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ・草や木や国土のような非情のものも皆ことごとく成仏する)と聞けば猶(なお)行く末にも頼みはあるが、我は汝を友としよう。釈迦の昔は知らないが、腕を組み言葉を交わすことはできないが、松よ心あらば汝も我を友と見よ。僧が青松の蔭に睡れば、松は老僧の頂きを擦る、僧と松とはふさわしい。我は汝を捨てはしない。

此所(ここ)をまた我すみ憂(う)くてうかれなば松はひとりにならんとすらん

 ただ無心に軒端の松を寂しい庵の友として眺め居て、憶い出す松山の浪の景色はどうでもよいが、亡くなられた新院(崇徳院)の御事が胸に浮び来て、僧形になられて仁和寺の北の院に御坐(おわ)す時、密かに参上し畏れ多くも御髪(みぐし)落された御姿を、泣く泣く朧気ながらに拝し奉ったその夜の月の大層明るく、影も変わらずに空に澄む無情の風情さえ、今も眼前に見えるようである。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。実に人界は不定の習い、是非も無い御事とは申せども、想い奉(たてまつ)るも大層畏れ多いことである。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏阿弥陀仏。思えば不思議、長寛二年の秋八月廿四日は、果敢なくも志渡(しと)に於いて崩(かく)れさせ玉いし日と承(うけたまわ)れば、月こそ異(か)われど明日は恰(あたか)もその日である。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。イザ御陵の在ると聞く白峯に明日は着いて、御墓の草をも払い、心の及ぶほどの御手向をも奉りて、いささか後世御安楽の御祈りをも仕るべきか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

       その三

 頃は十月の末、ところは荒凉とした地であれば、見渡す限りの景色は大層物淋しく、冬枯れの野辺を吹き荒(すさ)む風は蕭々と衣裾(もすそ)にあたり、落葉は辿る道を埋めて踏む足ごとにカサコソと、ささやくような声する中を昂然と歩む西行。衆聖中尊、世間之父、一切衆生、皆是吾子、深着世楽、無有慧心などと譬喩品(ひゆぼん)の偈(げ)を口の中に沸々(ふつふつ)と唱え唱えて、従う影を友にして次第に山にさしかかり、次第次第に分け登れば、力無い日は何時しか光り薄れて、時雨空の雲の往き来の定めなく、後山晴れるかと見れば前山忽ちに曇り、嵐に駆られ霧に遮えぎられて、つづら折りの岨路(そまみち)をたどり、過ぎ来し方(かた)を見失う頃、前途(ゆくて)の路も覚束ない黒みわたる森に入り、樅や柏の大樹は枝を交わし葉を重ね、杖持つ我が手を青めるばかりに茂り合い、梢に懸るサルオガセは鬖々(さんさん)と静かに垂れて、雨の降ることは無いが聳え立つ樹々は凝って葉末から滴る露は冷ややかに、衣(ころも)の袖も立ち迷える水気に湿って濡れたようになる。音に聞いた稚児ヶ岳は、今白雲に蝕まれて居るあの峨々(がが)と聳える峯であろう、サテは此の辺りにこそ御墓は在るハズと、密かに注意を配る折りも折り、見る見る千仭の谷底から霧は漠々と湧き上り、風に乱れて渦巻き立って崩れる雲と応じ合い、忽ち大地に白布を引き広げたように立籠めれば、呼吸(いき)するのも苦しくて、四方を視れば霧の隔ての天地はただ白いだけで、我が足すらも定かには見えない。何時とも無く雲霧は自然と消えて、岩角の苔や樹の姿は在りし侭に眼を遮るものもなく、ただ冬の日は暮れやすく彼方の峯に既に入って、フクロウは羽搏きを始め空は暗くなるばかりである。わずかな木立の間の明るさを頼りに御陵を訪ねる心は忙しく、荊棘(いばら)の路を厭わずに且つ進めば、そもそも之が清凉紫宸の玉台に天下の君と傅(かしず)かれ御坐(おわ)された帝(みかど)の御墓とは、仮初(かりそめ)にも申せようか、僅かに土を盛り上げた上に粗末な石を三重に重ねたものがある。それさえ狐や兎の踰(こ)えるのに任せ、雑草が埋めるのに任せている事の、勿体ないとも悲しいとも申すも恐れ多いことと、心は忽ち掻き暗(くら)まされて、夢とも現(うつつ)とも、此処(ここ)を何処(どこ)とも今を何時(いつ)とも、分からなくなって、御墓の前に平伏し坊主頭を地に埋めて、声も立てられずに咽び入る。

       その四

 実に頼りない世の果敢なさ、時の運は宮廷をも犯し宿業は帝にも及び奉ること、真(まこと)に免れない道理とは申せ、九重の雲深く金殿玉楼の中に傅(かしず)かれて御坐(おわ)されて居られた御身が、一坏の土あさましい草むらの岩石の下に神隠れされ玉いて、飛鳥が音を遺し獣が痕を印す他は誰一人訪れ参らせる者も無いこのような辺地の山間に、物淋しく眠り御坐(おわ)せられる御傷(おんいたわ)しさ。在りし往時の玉の御座で大政を厳かに御聞き入れになり玉いし頃は、三公九卿は首を俛(た)れ、百官諸司は袂(たもと)を連らねて恐れ畏(かしこ)み、弓箭(きゅうぜん)の武夫(つわもの)や伎能の士は争って君のため心を傾け操(みさお)を励まし、幸(さいわい)に慈民の御眦(おんまなじり)にもかかって、いささか勧賞の御言葉にも預かれば、火をも踏み、水にも入り、生命を塵芥よりも軽く捨てようと競い合ったことも、今このように成り玉いては、皆(みな)対岸の人、異舟の客となって、半巻の経を誦し一句の偈(げ)をすすめ奉る者も無い。世情は常に目先のことに走り、天理は多く背後に現れ来るものであれば、多くの褒賞も遷化(せんげ・御逝去)の後では、匹夫も情を示すこと無く狗馬(くば・犬や馬)も忽ち恩を忘れるといえども、もとより憎むに足りず、初・仲・晩の三春の花も凋落の夕べに、かぐわしい香りは早くも失せて、立羽蝶の情が次第に途絶えるのを恨んでも仕方ない。恐れ多けれども、一天万乗の君であっても欲界の網羅を脱し玉得ねば、このように成り玉うことも有るべき筈もあり、憎むべき世も無く恨むべき天も有る筈はない。思い見れば赫々とした大日輪は、蟻の穴にも光を惜しまず、美女の面にも熱を減じず、永遠の時は茅屋からも笑声を奪わず、天子の眼中にも紅涙を餽(おく)る、全世界の苦に全世界の楽に、絶え間なく劫風は尽きることも無い、何を取り出して歎き喞(かこ)とう。しかしながら、現世での無上の尊き御身を以て、つまらぬ事を思い立たれし一念の御迷いにより、多くの罪業(つみ)を作り玉いし上、浪煙る海原(うなばら)越えて浜千鳥の迹は都へ通えども、身は松山に音(ね)をのみぞ、泣く泣く孤灯に夜雨(やう)を聴き、寒い衾(ふすま)に旧時を夢みつつ、遂にむなしくなり玉いし御事(おんこと)、余りと申せば御傷(おんいたわ)しく、後の世のほども思い奉れば大層恐ろしい。イザ終夜(よもすがら)供養し奉らんと、御墓より少し引き下がった処の平めなる石の上に端然と座を占めて、ごく静かに誦し出す妙法蓮華経提婆達多品第十二。
 爾時仏告諸菩薩及天人四衆
 (にじ・ぶつこう・しょぼさつ・きゅう・てんにん・ししゅう)、
 吾於過去無量劫中
 (ごお・かこ・むりょう・ごうちゅう)、
 求法華経無有懈倦
 (ぐ・ほけきょう・むう・げけん)、
 於多劫中常作国王
 (おた・ごうちゅう・じょうさ・こくおう)、
 発願求於無上菩提
 (ほつがん・ぐお・むじょう・ぼだい)、
 心不退転
 (しん・ふたいてん)、
 為欲満足六波羅密
 (いよく・まんぞく・ろくはらみつ)、
 勤行布施
 (ごんぎょう・ふせ)、
 心無悋惜
 (しんむりんじゃく)、
 象馬七珍国城妻子奴婢僕従
 (ぞうめ・しっちん・こくじょう・さいし・ぬひ・ぼくじゅう)、
 頭目身肉手足不惜躯命
 (ずもく・しんにく・しゅそく・ふじゃく・くみょう)、……

 日は全く没して山深い夜の状態(さま)は昼とは違い、空を隠すように茂る森の間に微かに風が渡れば、梢の小枝は音もせずに動いて、暗い中に見え隠れする星が、時折りキラキラと鋭い光りを落すだけで、月は未だ出ない。更け行くままに霜は冴えて、石床はいよいよ冷やかに、すべての物音は死んで落葉さえ動かなければ、自然(おのず)と神経は清(す)み魂魄も氷るような心地がして、何とはなしに物凄まじく、尚も御経を細々と誦し続ければ、声は暗黒の闇に迷って消えるように在(あ)るように、空に隠れて再び空から幽かに出で来るように、吾が声とも他人(ひと)の声とも分からずに聴きつつ、

 濁劫悪世中
 (じょくごう・あくせ・ちゅう)、
 多有諸恐怖
 (たう・しょ・きょうふ)、
 悪鬼入其身
 (あくき・にゅう・ごしん)、
 罵詈毀辱我
 (ばり・きじょく・が)、

と今しも勧持品(かんじぼん)の偈(げ)を唱えるえる時に、夢でも無く我が声の響きでも無く、正しく「円位(えんい)、円位」と呼ぶ声がある。

       その五

 西行が微かに眼を移して声がする方の闇を覗えば、ぬば玉の闇の中に朽木のような光りを有(も)つ、霧とも雲とも分からないものが仄白く立ちただよう上に、異様な様子の丈高い痩せ衰えて凄まじく骨立った人が、こちらを向いて蕭然と佇んでいる。もとより生死の際(きわ)に工夫修行を積んだ僧であれば恐ろしいとも思わずに、「円位と呼ばれたのはソモどなたでございます。」と尋ねれば、「嬉しくも詣(もう)で来たるものよ、我を誰とは尋ねずともよい、末葉吹く嵐の風のはげしさに、園生(そのう)の竹の露こぼれたる露の身である、よく訪いてくれたことよ」と聞こえ玉う。「アラ情無い勿体ない、サテは院(崇徳院)の御霊がこの世をば捨てさせ玉わずに、妄執の闇に漂泊されて、ここに現れ玉いしか、アラ悲しや」と地に伏して西行は涙を止めることが出来ない。
「ではありますが、何故に迷わせ玉われますか、汚れた世をば厭い捨て玉われることを尊くも有難く覚えて、いささか縁に随い法施を仕奉りましたものを、六慾の巷に再び御身を現わし玉うとは、いと畏れ多くも口惜しい御心でございます。汚れた世では御心も安らかでない節もありましょうもの、かよわい御身を現世に返され玉われた上に、迷われ玉わる御心で世の平安を騒がせ玉わずに、前世を忘れ玉いいて、清浄無垢の浄土に返り玉われることこそ願わしくございます、やがては私も肉壊れ骨散る暁には、菩薩の仏願を頼りに彼岸に渡りつき、楽しく御傍に参り仕え奉りますほどに、迷わせ玉うな、迷わせ玉うな、ただ何事も夢まぼろし、世に時めいて栄えても虚空に躍る水玉が日光で七彩を暫く放つようなもの、身を狭められて悶えるのも闇夜を辿る稚児(おさなご)が樹影に怯えて、百鬼が来ると急に叫ぶようなもの、であれば、得意も無く失意も無く、歓ぶことも空ならば、どこに実在(まこと)があろうかと承っております、敵味方と想うこと無く、諸々の悪趣を永く脱して、つまりは御心を刹那に翻し、常に満ち足りた心で生きて、無窮の楽を受け、法味を永遠に楽しまれ玉え」と思いを籠めて諫(いさ)め奉れば、院の御霊は雲間に響く御声にてカラカラと異様に笑い玉い、「愚かなり、解脱の法を説いても今は仏も朕の敵なり、解脱の境地も清浄な境地も認めない、往時(むかし)は人が朕の光明(ひかり)を奪いて朕を奈落の闇に陥した、今は朕が人を涙に沈ませて、朕の冷笑(あざわらい)の一ト声の響きの下(もと)に葬らん、思っても観よ汝、次第に見える世の乱れは誰が為すことと汝は思う、沢の蛍は天に舞ひ、闇の念(おもい)は世に燃えている、朕は闇に動いて闇に行い、闇に笑って闇に憩う下津岩根の常闇の国の大王なり、正法の水の有る限りは魔道の波も絶えることはない、仏に五百の弟子あれば朕にも六天八部の属があり、三世の諸仏諸菩薩の輩(やから)の何の力が世に有ろう、ただ徒(いたずら)に人の舌から人の耳へと飛び移り、また徒に耳から舌へと現われ出ては遊行するだけ、朕の仲間の悪鬼は闇より闇を伝い行き、人の肺腑に潜み入り、人の心肝骨髄に咬(く)い入って絶えず血を吸う、視よ見よ魔界の通力に依って毒火を彼の胸に煽り、紅炎(ぐえん)を此れの眼より迸らせ、弱き者には怨みを抱かさせ、強き者には怒りを起こさせ、やがて東に西に黒雲の狂い立つ世となして、北に南に刀剣の光が煌き交わす時を来して、憎いと思う人々に朕が味わった辛(つら)き目を見させるまで皇室に酷(むご)く祟って、天下を掻き乱す。」と御勢い凛々(りり)しく告げ玉うのに、西行は余りの御浅ましさに、滝と流れる熱き涙をキッと抑えて、恐る恐るいささか首を上げる。

       その六

 「これはこれは、口惜くも誤まったお言葉を承(うけたまわ)ります、御言葉にお応え申すは恐れ多けれど、出家の身であれば憚り無く申してもいささか罪軽く思い玉われるかと、思うところを申し述べます、御憤りは真(まこと)にそうで御座いましょうが、モシ人が怒りを棄てなければ何で忍辱が修められようと承ります、畏れながら、永らえて住むべき都も終(つい)に無い憂(う)き折節に遇い玉えるのを、世を捨てさせ玉う御便りとして、ますます、谷川の浅みに騒ぐ御心を法海の深みへ注がせ玉いて、現世の汀を去りかねし御迷いを遠い彼岸へと船出させ玉いて、玉を連ねる樹の下に花の降り敷く時に逢うことを、待ち居られる由を承りし頃は、寂然や俊成などと御志の有り難さを語り合い、どれほどか悦ばしく存じましたるものを、御納経の御望みの叶わざりしことから、竹の梢に中(あた)って逸れる金弾のように御志もあらぬ方へと走り玉いて、鳴門の潮の逆風に、怒って天に滔(はびこ)るようにと、凄じい御祈願を立てさせ玉うと仄かに伝え承りましたが、願わくはその事の虚であれと日々念じ参らせし甲斐も無く、サテは真(まこと)に猶この裟婆界に妄執を留めて、彼の天界の浄楽を得られずにおられますのか、何で御意のそれに留まられるのかも訝しく、月が澄めば谷に雲は沈み、嶺を吹き払う風に敷かれて、御胸の月の大層明かるければ、憂き雲がいかに厚く鎖すとも、月は空の半ばに懸って清光が湛寂な淵の底を貫くことのあるものを、雲憎しとだけ思ってはソモどうできましょう、降れば雨となり、蒸せば霞となり、凝れば雪ともなる雲も、コレと言う自性は無く、まして夏の日に峯と峙(そばだ)ち、秋の夕に鱗と連なり、或いは蝶と飛び猪(いのこ)と奔って緩く速く空を行くけれども、己(おのれ)から為す業では無くて皆(みな)風の為(さ)せることであるものを、何で憎めましょう、尺取り虫は伸びてまた屈み、車輪は昇ってまた降りる、射る弓の力が窮まり尽きれば、飛ぶ矢の勢いも変り易(か)わって、空向く鏃(やじり)も地に立とうとしまする、これゆえに欲界の六天の天は高くとも、報が尽きては宝殿も忽ち地に崩れ、魔王の十善の善が大きくとも、果(か)が窮まれば業苦は早くも迫りまする、人間の五十年も石火のように一瞬で、天上の幾万年も電光に等しく瞬く間もありません、御怨みも返し玉えず、御怒りも晴らし玉えない、サテその暁はどうされようかと思われまする、一旦出家の道には入らせ玉われても煩悩は断れること無く、流転の途(みち)を厭わられても、自我のむなしさを悟り玉わず、何故にいささかの御事に、忌わしくも自ら躓(つまず)かせ玉いて、仏の便りの牛車を棄て、罪を齎(もた)らす火輪に乗られようと思われまする、心身は五蘊(ごうん)が仮に和合し成り立つ実体のない空(くう)だと思い、我が思いを幻炎に譬えれば、我が怒る我は、ソレ何処に有る、怒るが我と思うか、我が怒ると思うか、思いと思い、言うと言う、万(よろず)のことは皆真実(まこと)であろうか、訝れば訝しく、疑えば疑わしいものと思われて、笑いも恨みもハタ歓びも悲みも、夕に来ては朝に去る旅人が野中の孤屋に暫時宿るのに似て、我と仮に名乗る者の中を過ぎるだけで、何れが終(つい)の主であろう、客を留めて吾が主と仰ぎ、賊を認めて吾が子とする、その過ちも無いこと無く、恐れ多けれど類(たぐい)無く聡明で渡らせ玉うに、凡庸な者も企図しない事を敢て為し玉いて、千人の生命を断とうと怒りの刀を提(ひっさ)げた央掘摩羅(おうくつまら)の振る舞いにも似たことを学ばせられるとは、一婦人の毒咒(どくじゅ・毒の呪い)に動かされて総持(そうじ・陀羅尼)の才を無にしようとした阿難陀(アーナンダ)の過失にも等しいような御迷い、御傷(おんいた)わしくもまた口惜しく、云い甲斐無くも、過まり玉うものかな、烈日前の片時雨、聖智の中の御過失、早く早く御心を翻がえし玉いて、三悪道に沈淪し四生(胎生・卵生・湿生・化生)を経巡る醜さを出でて、仏の道に帰依して三昧に入得する正しさに拠りて在らせませ、宿福広大にして前業殊勝に渡らせ玉う御身であれば、深く念頭を転じ玉われば瞬時の間も無く、神通の車に乗られて虚空を凌ぎ、速かに飛んで真如の浄域に到り、光明を発して長(とこ)しえに盛ん在られること、何で疑えましょう、仏魔は一紙、凡聖は不二、煩悩即菩提、忍土即浄土、数珠の珠の僅か一ツでも授受が了(おわ)れば、八歳の竜女も即座に成仏すると承りまする、仏法の器では無い五障の女人でさえ猶このようならば、まして聡明で十善の天子に御坐(おわ)して、何故に正覚(悟り)を成し玉われません、御経には成等正覚、広度衆生、皆因提婆達多善知識故(悟りを得たのも、広く衆生を救えるのも、皆敵対した提婆達多という知人がいた故に因る)と説かれておりますものを、誰を憎いと思われます、恐れ多けれども、ソモや誰を憎いとか思われてか、怨敵は真(まこと)は道の師であり、怨敵は真は道の師であり、眼をあげて大千三千世界を観るに、我が君の怨敵は何処に在りましょうか、真に我が君の御敵が在れば、痩老法師の力は乏しくとも、御力を用いられ玉うまでもなく、大聖威怒王の折伏(しゃくぶく)の御剣をも借り奉りて、迦楼羅炎(かるらえん)の御猛威にも頼り奉りて、直ちに我が君の御敵を粉にも灰にも砕き棄て申しましょう、しかしながら、君の御敵が何処の涯に在るとしても、毒の有る巴豆(はず)も附子(ぶし)も皆これ薬、障礙ある悪神の毘那耶迦(びなやか)も本地は即ち毘盧沙那如来(びるさなにょらい)、これゆえに名医の耆婆(きば)の眼には大地の草木は尽く保命の霊薬で無いものは無く、仏陀が教えを垂れれば、虚空に偏在する鬼刹も護法の善神にならない者は無いと申します、御敵はソモ何処にありましょう、思いますところ怨親の二ツとも空華(あだばな)の仮相(かりのすがた)、喜怒は共に錯覚、「雪と見て影に桜の乱るれば花のかさ着る春の夜の月」が真の月でも無く、「水無くて凍りぞしたる勝間田の池あらたむる秋の夜の月」が真の月でも無く、世間一切の種々の相は、まことのところ議論の話題のみ、仏の広大深遠な真実の教えから少しの量を分け取って、我執の寒風に吹き結ばせた氷を我だと執着すれば熱湯は即ち仇であり、実相の金山から畚(もっこ)半分の金を持ち来りて愛慾の毒火で鋳成した鼠を己と思えば、猫像(みょうぞう)も或いは敵でありましょうが、本来は氷も湯も同じ水、鼠も猫も金であれば、仮相が互に亡び錯覚が共に消えるのを待たなくても、当体即空、当事即了、心晴れやかに、天は涯(はて)無く、峯の木枯、海の音、川は遠白く山は青く、何を怒り何を迷われ玉いまする、早く早く曲路の邪業を捨てて正道の大心を発し玉え」と我知らず地を打って諫め奉れば、院の御霊は、山岳もたじろぎ木石も震うまでに凄まじくも打笑わせ玉いて、「愚かなり円位、仏も好ましくなく魔も厭わしくなければ、安楽も望むに足りない、苦患も避けるに足らない、何を憚って自ら意(こころ)を抑え情(おもい)を屈めよう、妄執と笑わば笑え、妄執を生命(いのち)として朕は活(い)き、煩悩と云わば云え、煩悩を筋骨として朕は立つ、愚かなり汝、四弘誓願は菩薩の妄執、五時説教は仏陀の煩悩、法蔵の妄執の四十八願、観音の煩悩の三十三身、三世十方恒河沙数の諸仏諸菩薩に妄執や煩悩の無い者があるか、妄執煩悩の無い者があるか、何なのだ釈迦の冗舌な四十余年の託言や繰言も、我尊しの冗語や漫語も、我を欺くには足りない、恨みは恨み、讐(あだ)は讐、復(かえ)さ無いでは我はいない、今や一切世間の法、また一切世間の相、森羅万象人畜草木、皆悉く朕の敵であれば打壊さないでは已(や)むまいぞ、心に染まない大千世界、見よ、見よ、先陣の一翼となって風の中の塵にして呉れよう、仏に六種の神通あれば朕に何千もの業通あり、ありとあらゆる人々を皆朕が魔界に引き入れて朕の仲間に致すべし、汝が述べた如きは愚物な坊主のありふれた話ぞ、醜い、醜い、持ち帰り去れ、猿の怒りを宥めすかす胡餅の一片で朕を欺かんとは愚かなり、愚かなり、想い見よその昔、朕がこの讃岐の果てに来て、沈み果てし破れ舟のような茫然自失の歳月を、空しくも杉の板葺きの屋根の霰(あられ)に、悲しい夜を泣いて、風に無情の日を送り、心砕ける荒磯の浪の響きの霜の朝に、独り目覚める凄まじさ、思いも積もる片田舎、雪に灯火の瞬く宵の、ただ我が影の情け無く古びし障子に浸み入るを、見つめた折の味気無さ、どれ程のことと汝(な)思う、和歌の林に人の心の花香を尋ね、詞(ことば)の泉に物のあわれの深い浅いを汲み分ける、歌道の契りも薄くない汝であれば、厳しくも吹く初秋の嵐の風に世を落ちて、日影傾く西山の山の幾重の外にさすらい、初雁音(はつかりがね)の音信(おとずれ)も無い、南の海の遥かな島に身を佗びて、捨てない光は月だけの水より寒く庇に洩れる家に住む、朕の情懐(おもい)を推して大概(およそ)を知るがよい、されば往時は朕とても人を責めずに身を責めて、仏に誓い世に誓い、おのれの業を浅ましく拙いものと悔い歎き、心の水の浅ければ胸の蓮(はちす)の何時(いつ)か開くは難(かた)れど、辿り辿りて闇(くら)い世を、出られる道に入ろうと、天(そら)へと伸びる呉竹の、直ぐなる願いを独り立て、他(ほか)の望みを思い絶つ麻衣(あさごろも)ひきまとい、供える花に置く露の露散る暁に、焚く香の煙の煙立つ夕に、早く来たれと待つ間に、一字三礼妙典書写の努力をしたが思い出すのも腹立たしい、単に朕の現世の事を打ち壊すだけならず、来世の道をも妨げる人の振る舞い、善悪も邪正もこれ迄でと入ったる此の道、得たる此の果(か)、今は金輪(こんりん)が崩れるとも、鉄囲(てつい)切り裂き破れるとも、思い果(はた)さなで止(や)むべきか、真夏の昼の日輪を我が眼の中に圧(お)し入れられるは能く忍べども、胸の恨みを棄て去ることは忍べはしない、平等の見方(みかた)は我が敵なり、差別の観方(みかた)は朕の旨とするところ、仏陀は智なり朕は情なり、智水で千頃(せんけい)の広さの池を湛えるならば、情火は万丈の高さに炎を拳げよう、抜苦与楽の法は可笑(おか)しいぞ、滅理絶義の道は此処に在り、朕の脚の立つところは、柳は紅に花は緑に、朕の指が指すところは、烏も白く鷺も黒い、天を死なせ地を舞わせ、日月(にちげつ)を暗くし江海を涸(か)れさせ、岩石は笑って且つ歌い、枯草に花は咲いて且つ香る、獅子は美人の膝下(しっか)に馴れ、大蛇は小児の坐前に戯れる、北風暖かにして降雪香(かんば)しく、瓦礫は光輝を放ち枯れ井戸は好い酒を噴き、胡蝶は声あって夜深く相思の歌を歌う、聾者(ろうしゃ)は能く聞き瞽者(こしゃ)は能く見る、剣も戟(ほこ)も折って食い、鼎钁(ていかく)も就いて浴すがよい、世界は殆んど朕がままなり、黄身の匹夫、碧眼の胡児、バカ者どもが朕をどうできよう、心を留めてよく見るがよい、見よヤガテこの世は修羅道となり朕の仲間になるだろう、アラ心地快(よ)し」と笑い玉う御声だけが耳に残って、放たせ玉う赤光は谷々山々に映(うつ)りあい、天地忽ち紅色になるかと見る間に消え玉われた。
 西行はハッと我に返って、夢かと思う、イヤ夢では無い。自身は猶、提婆品(だいばぼん)を繰り返し繰り返し読んで居たものか、その読み続きが今も途絶(とだ)えずに我が口頭に上り来る。
(明治二十五年五月)


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