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幸田露伴・明治の東京で「税」

 大晦日が飛んで来る訳も無いのに、決まり切っている年の関を、間際になって越えかねるといって、難しい顔つきに八の字を刻まなくても好さそうなものを、十人が九人までは普段は遊び暮らしていて、極月の半ばごろから急に利口ぶっても遅く、二十八日、二十九日、三十日と迫っては路を行く足音も苛立って来て、往来に眼尻の下がった男が無くなるのも可笑しい。三百六十幾日を自分の好きに使った税(ツケ)に、「若さ」を納める年の暮れ、ヤッサモッサに皆老けた面もミットモ無く、只今納めます、只今納めますと、仕方なく覚悟は極めたものの、アワレこの晦日がもし四五日向うへ行って呉れたらと、未練な欲を出さない者は少ない。
 カレコレ屋の徳永才助、これも大晦日を鼻の先に控えてどうにも年を越せない遣り繰りの苦しさの余り、云い抜けの出来ない借金を尻に聞かせる覚悟をして、我が家を後に電車で一ト走り、折カバン一ツを小脇に根岸の昔友達を尋ねて、都合よければ金を借りたい、貸しそうに無ければ小半日を遊んで苦しい時の隠れ家にして仕舞うつもり、日頃の無沙汰は勘弁と先ず勝手な理屈を付けて、「御免なさいまし」と訪れれば、十三四の世慣れない小女が出て来て「御留守」との言葉に、艶気もなければ膠(にべ)も素っ気もない。コイツ小金の有る若隠居め、何処へ遊び失せたか、それとも昔友達の俺のようなのを恐れての居留守を使うかと貧乏からの邪推をして、面白くも無く渋々名刺の置き棄てをして門を出ようとして、フと見ればビナンカズラの絡まった四ツ目垣を境にしての向うは、これも世を楽に送る賢い奴だろう、四十七八の働き盛りの男が、下に秩父銘仙の新しいのを着て上には御召しの無地の羽織のトロトロになったのをはおり、日当たりの小縁側で水筆をひねくり廻して万年青(おもと)の世話に余念の無い目つきだ。葉一枚が幾らの万年青か知らないが、世の中を見下した悪い奴と小面憎く思い、男振りをよく見れば、鼻高くツンとして、眉長く利口気なところ、酔ったら高慢に一中節の一トくさり(一条)も、素人には聞き取れないほどヘンテコに語りそうな様子に、エエ、俺もあれ位の役はやれない人間では無いのにチョ忌々しいと、目を逸らせて外へ出れば万年青が甲龍であったか雪隠丸であったか今更もう分からない。
 金の無いほど仕方のない事は無い、年の暮に悠長に万年青を捏ねる人さえあるのにと嘆きながら、三河島に姪の子が縁付いた宅があるのを思い出して、段々と辿り行く途中に、これはまた柴垣の具合好く刈り込み茂る中に、茅葺きの棟高い家があって、二十三四の女が声艶めかしく菜の重さや焼き魚の重さを語り合うのは、鶯か何かの小鳥を飼っているものと想われる。小擂鉢、小擂粉木、絹布づくめの袖から洩れる真っ白な腕や紅い襷、高髷か廂髪か知らないが、若い女が二人、小鳥の世話焼き話をサテも長閑にしている。こんな調子ではこの家の茶の間には年中「時好」が転がっていて、元禄話にももう飽きたと云う事だろうと通り過ぎれば、ツイ眼の前をお下げの頭に華やかなリボンを惜し気もなく付けた少女二人が、仲良しと見えてシャベリシャベリして行く。聞くともなしに聞けば、福引の謎めいた趣向を互いに語って、「大友黒主はタドンで、小野小町はオモチャの電車の切符ヨ、ダイコンの皮むき器は児島高徳で、タクワンは義士四十六人ヨ、」と何か分からないことを一人が云う。「そのタクワンはどういう訳」と一人が訊けば、「だって大石の下に居ますから」と答えて二人一緒に笑う。なにもかも若いうちの事、も一度あの年になりたいと愚痴が少し出て段々と先に行くと、昨日床屋へ行ったというような頭をした二十と二十一あたりの若い書生風の男が、「本郷座はどう」と一月狂言の評判をしながら来る。「いよいよ所帯の苦労が厭になった、俺もまだ三十を越したばかり、身の持ち方一ツであんなことを言っても過ごせる世を、自分から女房の手枷足枷で不自由に暮らす事」と、飛んだところで自分の女房を横恨みする。人は腹の中が一々外に出ないので幸せなものなのだ。
 次第に人家の淋しい方へ出外れる時、覗き見ると気取った庭の奥に小さな洒落た家があって、その中から爪弾きの優しく静かな音がする。コレはと見ると平仮名で苗字だけの小名札があって、筆跡に見覚えがある。十何年も逢わないが間違いなく知人である。「味を遣り居るわい」といきなりズッと入れば、「ヤこれは珍しい、君であったか、今日こうして尋ねられようとは夢にも知らなかった」と云う。塵一ツ無い床の間には水仙の投げ挿し、炉には釜が煮えているが茶を点てたようでもなく、室の中に正宗(酒)の香りが残り、今止んだ三味線の音を考えれば、客無しの楽しみをして居たかと思う時、茶菓を持って出て来たのは今までの三味の音の主だろう、人馴れしたところに前身が透いて見える女である。主人に眼まぜをして、酒を出すか出さないかを問うと、パチパチと眼はじきをして酒には及ばないと主人が止める、するとスルリと退いてその後は声もしない。おもしろくも無い二十世紀論を悪堅く仕掛けられ、何だ今まで相酌の楽しみをしながら・・と、先方の腹のツレナイ冷たさが分っては、九谷の鉢の羊羹も摘まむ気になれず、サヨウナラとまたその家を出て、いよいよ田圃の中を行けば、猟銃姿の三十男が疲れ切ったポインターを曳いて帰って来る。コチラの方からは何処かの池にでも行くのか五十男の薄寒そうなのが釣り道具を提げて行く。一人は満ち足り一人は満ち足りず、貸し借りの面倒を避けて欲の無い欲に耽ることは同じ事とその身が羨ましく、どうせ貧すればドンツク布子の重ね着をして寒鮒釣りの力無い楽しみも却って賢いようなものの、イヤあの様子では鮒は有っても餅は無いかも知れない。チットも嬉しいことでないと、五六丁連れ立ち歩いて分かれて、目指す家に着けば、掘っ建て柱の門内では屑屋を呼び入れて今問答の真っ最中、入るのも気の毒と物陰に佇んで聞くと、「四十銭と云うことは無い、も少し買え」という。「イエ、どうしてもそうは参りません、精々勉強したところでございます、一夜明けますれば、も少し値を善く頂戴致しますが、暮でございますもの、どうしても年越しの担ぎ物でございます、月琴は二歳になっても別に高くは売れませんから、それで御厭ならば取って置かれるのが宜しゅうございます、」と云いながら月琴を押し戻した様子。手に受けて売り手は取ったものか、幾ら周りに人家が無いといっても、ジャカスカと鳴らして見て、「この通り好い音がするものを、あまりに酷い」と未練気に歎く。「どうしてもそれで御厭なら御免・・」と屑屋の逃げ口上、袂を抑えてまた一ト口説き、結局四十五銭で買って仕舞ってから屑屋も鳴らして見て、自分の物となって見れば褒めたいものか、「ホントに良い品でございます、」と云ってコチラへ出て来た。
 余りの事に私も銭無しだが屑屋を呼び止めて、「その月琴をオマエの家で年を取らせるのも面白く無い事、儲けが有れば商売は早いのが本道だろう、五十五銭で買おう、勝ったところを見ていたのだから」と云えば、変に笑いながら屑屋も思い切って、「エエ、貴方も商人(あきんど)らしい、宜しゅうございます年暮(くれ)の商売(あきない)です、」と早速銭に換えて南の方へ行ってしまう。折カバンを懐中に入れて月琴を抱え、ジャカスカと掻き鳴らしながら門を入って玄関先に立てば、音を聞くのも口惜しいのか、「御無用」と尖り声をする。「ハハハ俺だ、この月琴は可愛い馴染みだ」と笑えば、破れ障子をガラリと引き開けて「これは、」とビックリして訝る。その姿を見れば立派なフロックコートを一着して、引けを取らない男振り、「こらはどうした」とまた驚いて段々と聞きただせば、「何もかも売り尽くして此れ(フロックコート)一ツを調え、来春は午の年、東京へ出て一ト跳ね跳ねる積りの準備、されば御覧の通り家はカラッポ、妻の親の形見の大切な月琴さえ此の始末、留守を幸いに売り飛ばしたところなのだ」と云う。「細君は何処へ」と問えば、「お宅へ無心に」と云う。「ハハハ僕も実はこういう事情」と云えば、亭主も頭を搔いて苦い顔をして笑う。「エエ運は九連環、こんな年ばかりでも有るまい、祝おうじゃあ無いか」と云えば、「ゴモットモ、ゴモットモ、飲みましょう」と、亭主はガマ口を摘まみ出し畳に投げ出して「味噌漬交じり確かに四十五銭」の声、「下駄を借ります」と断って、一寸そこまでと立ち出でた姿を見れば、堂々たる美髯の紳士、他に着物は無いがフロックコートを着ての酒屋通いは哀れにも立派である。「ハハハ後の語り草だ、買って来たまえ、肴も」と客は自分のガマ口を渡して、独り残って月琴を取り、蝉丸がマゴツイテ眼を開いたような顔をして、酒を待つ間のジャコスカジャカスカ、空も片曇りして時雨(しぐれ)になりそうに見える。

 それは昨日のこと、明ければ初鶏初烏、目出度く誰もが税を納め済ませて、勇ましい顔をしない者は一人も無く、初日影フロックコートに照り映えた立派な紳士が、「ヤ徳永君オメデトウ」。
(明治三十九年一月)

注釈
◦年の関越え:昔の買い物は通い帳と云う帳面に付けて貰って物を買うツケ買いが行われていて、そしてお盆や年末にまとめて清算していたが、大晦日におけるそのツケの清算に苦労した。
◦四ツ目垣:竹垣の一。丸太を立て、その間に竹を縦横に渡し、すきまを方形としたもの。
◦秩父銘仙:秩父地方で織られた絹織物で造られた綿入れの着物
◦一中節:浄瑠璃の一ツ
◦元禄話:忠臣蔵(赤穂義士仇討の話)のことか?
◦タクワンは義士四十六人:赤穂義士四十六人の首領は大石内蔵助で、その大石の下に居るのでタクワンと云うダジャレ。
◦ドンツク布子の重ね着を:鈍付く布子:糸が太く節の多い木綿地で作った綿入れ
◦鮒は有っても餅は無い:鮒は釣れても貧乏で餅は買えない
◦掘っ建て柱の門:柱を礎石無しでそのまま地に突き刺して造られた門(豊かな暮らしでは無いようだ)
◦運は九連環:九連環(知恵の輪)は当時流行の明清楽の代表曲、運は知恵の輪、解くのは難しい。
◦蝉丸:蝉丸は百人一首で有名な盲目の歌人で大変な琵琶の名人

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