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幸田露伴・支那(中国)の話「支那戯曲(双珠記の話)」

支那戯曲(双珠記の話)

 どこの国の文学を見ても、その国の文学はその国の匂いがするのが当たり前で、それから又どの時代の文学でも、その時代の文学はその時代の匂いがするのが当たり前で、それは分かりきった当然なことであるが、それでもまだ時代の方は、前代の匂いをさせていたり或いは未来のつもりで書いたりすることもあるだろうから、そうとも云えないが、国柄の方はどうしてもそれを免れない。もしその国のもので、その国の匂いのしない作品であれば、それはその作者の特別な好みか、さもなければ失敗作なのである。それなので、今支那(中国)の戯曲の話をするに当ってどの戯曲であっても、マズ支那の匂いのしないものを挙げることは出来ない位、どれもこれも様子はいろいろ違っているが、支那の匂いがするのは当然な事である。もし、これは支那の匂いのするものだと云って、ある一ツの作品を挙げることは寧ろ滑稽なくらいであるが、ここに如何にも支那臭い、どうしても支那でなければなさそうな、云わば支那の匂いの強いものを一ツ挙げれば、大した名作でも佳作でも無いが「双珠記」などはマズ如何にも支那らしい感じのするものである。勿論、「琵琶記」だって支那でなくてはあり得ない作品であり、「西廂記」だって同じく支那でなければ無さそうなものであるので、ひとり「双珠記」を支那臭いと云うのも当たらないが、大体の構成や中に出て来る人物や話の模様が、当然日本臭くも無ければ西洋臭く無くて、どうしても純粋に支那の中から出て来たもので、しかもそれが個人的な匂いを持っていると云うよりも、寧ろ平凡・普通に支那の匂いを持っているものとして、この「双珠記」の話をすれば、マズ支那の社会で喜ばれるものはこんなものか、と云うような作品である。
 この作品の拠りどころは別にこれと云う本筋があって、それを使ったものでは無いようである。しかしこの作品の中にある、綿入れの中に詩を挟んだ事が縁となって、宮女と軍人とが夫婦になると云う話には、よく知れ渡った一ツの故事がある。しかもこの故事を扱った戯曲は「双珠記」以前に幾らもあて、その事は既に私が嘗て書いたものの中にも出ているので、今更クダクダと申し上げることはしない。
 サテ、本文の話をザッと申し上げると、ここに王楫と云う男が居て、これが学問も相当に出来て自負心も中々高く、これから試験を受けて出世しようと心掛けている。王の家は元は軍人の家で、荊湖道鄖陽衛地方の軍籍に居た者の家筋であるが、事情があって涿州へ落ち着いて、鄖陽衛とは大変離れているが、今そこに居て母親と妹と、それから妻の郭氏と云う者との一家四人で細々と暮らしている。そのうちに子供が出来て、これを九齢と云う。丁度元宵の節句に当るので、母親の妹の韓おばさんを迎えて、そして心ばかりの宴を張っている。マズは何事もなく無事に暮らしていると云うのが始まりである。そう云うふうに暮らしているうちに、王に友人が居て一人を孫綱と云い、もう一人を陳時策と云う。何れも近所の同窓の友で、皆学問も相当に出来上って、今に試験に応じて世の中に出て行こうと云う人たちである。ところで、三人はお互いに仲良く語り合って、「今年はいよいよ試験があるから、上京して受験し、どうか首尾よく合格し、立身したいものだ」と云っている。ここに一人、「袁天綱と云う男が此の地へ来て住んでいるから、ひとつ袁天綱に会って将来のことを聞こう」と孫綱が云い出した。この袁天綱と云うのは実際にいた人で、「唐書」にその伝記がある。未来を洞察する事が出来たと云われている。唐の時代の仙人のような人で、このような人だから戯曲の中によく取り入れられている。マズ実際よりは伝説によって非常に大した者とされている人である。それが好いと云うので袁天綱のところへ出掛けて行って運勢を見て貰う。見て貰うと、「イヤ、王と云う人の相は、少し変なところがあるから後回しにして、お二人を先に見よう」と云って、孫綱を見て、「貴方は大層立派な方になる。そして出世なさるが未だその時ではない、もう十年も経ちますと大した方になる」と云うから、孫綱は喜んでいる。その次に陳時策を見て、「貴方は貴くなるけれども、それは文官の試験に合格して立派になると云う訳ではない、軍人になって出世なさる」と云う。そう云われて陳時策はフクレて仕舞う、試験を受けて宰相でもなろうと思う身が軍人になると云うのだから、変なことだと思っている。「何しろ当面はどうもいけない、十年経てばその時になって必ず一ツの不思議な事がある」と袁が云うから、「それはどんな事か」と訊ねると、「佳人を得て幸福に暮らす」と云う。どうも変だと思って信じないが、人相にそう出ていると云う訳である。サテ最後に王楫の人相を見て、「どうも変だ、貴方も宜しいことは宜しいけれども、遠くの方へ行って苦しまなければならない」と云うから、「それは何時からそんな事が始まるのか」と訊くと、「即刻だ」と云うことだから、「ソリャ堪らない」と大いに驚く。そしてまた、「遠方へ行かれると悪い星に出合って、そこで大変な目にお会いになる、肉親がチリジリバラバラになって仕舞うような、貴方は罪を受ける」と云うから、「そう云う事なら後は聞かなくともよいです。とてもそんな風(ふう)では立身はオボツカナイ」とガッカリすると、「イヤ、そう云う事ではありません。黥布は昔、入れ墨されたが後に王になっている。余計な心配は御無用です。貴方は遠方で功名を立てて、貴方の息子さんが大層立派になる」と云われたが、「飛んでもない、これから都へ上って試験を受けようと云う身が、そんな遠方へやられて仕舞ってはどうしようもない話だ」と云うから、袁天綱が、「私の見たところではそうだが、マズ貴方も手柄を立てるのは十年ばかり後のことである」、とこう云う訳で、三人はいろいろ心に思うけれども、何しろ当代第一の人相見の云う事だから、妙な気持になって家に帰る。
すると琢州の刺史のところへ荊湖道の節度使から通知があって、「天下の軍人達を調べて大いに軍事を整備しているが、今この鄖陽衛の軍人の王沂と云う者が死去したことに就いて調べているが、家が琢州に移っている。そこで跡取りを探している。」とある。「その者をコチラへ寄こして王沂の後を埋め、人数の補充とする、早速その者を寄こすように」と云うことなので、庄屋を呼び出して戸籍簿を調べると王と云う者がいる。「デハそれを早速送ってやれ」と云うことになる。そんな事があるとは知らないで、貧乏に困っている王楫の細君の郭氏は、いよいよ試験が始まるのだが子供や年寄りは居るし家は貧乏だし、夫を都に出して試験を受けさせたいが旅費は無いしと、夫思いの細君が独り考えているところへ、王楫が帰って来る。そこで、「いよいよ貴方にも都に上って頂かなければならない」と云うと、「イヤ、その出世話はさて置いて、急に災いが生じた。と云うのは実は今、孫綱と陳時策との三人で人相を見て貰いに行ったところ、俺は遠い土地へ行って軍役に充てられると云う話だった」と云う。郭氏も、「そんな事があっては大変です」と云っているところへ、庄屋がやって来て、「お前はコウ云う訳で、荊湖道の役所からコウコウ云って来た、軍隊のことだから即刻行かなければいけない、コチラでもチャンと調べたところ、お前はマアそう云う家柄だからどうも仕方がない」と云う。母親は「間違いじゃないか」と云うが、それは通らない。妹も妻も取りすがって泣く。泣いても喚いても軍役のことだからどうも仕様がない。直ぐに行かなければならない。すると母親が、「それは大変だ。子供や嫁と別れて娘と二人残るのは情けないことだ。」と云って、嫁の郭氏に向って、「今お前たちが荊湖道へ行って仕舞っては、この世でまた逢えるかどうかも分からない、私が此処の家に嫁に来た時からズッと今まで持っている珠が二ツある。」と云う。これが本題になっている。「大切に持っていたが、今その一ツをお前に分けて遣る、再び珠と珠が会う記念に」と云う訳だが、もはや珠を渡すだけで、話はドンドン進む。王楫は余りに早く人相見の云った通りになったので閉口していると云う訳である。その事を聞いて孫綱と陳時策が、「こうなった上はどうも仕方ないから、せめて旅費でも少し助けて友情を表そう」と、その場に来合わせる。「どうかマア身体を大切にして、行く末のことを計画して呉れ」と云うと、王楫は、「出世も立身もない、気持ちは既に灰になって仕舞った、兵卒などにされては行く末もヘッタクレも無い」と云うから、「イヤそんなことはない、韓信も兵卒から起ってどうにかなった。袁天綱の言葉が今当ったのなら、未来のことも有たるハズだ」と金を十両与えると、王楫は有難く貰ったが、「私は好いけれども、母は年寄りである上に妹と二人残るのだから、これは母の方へ遣ってくれ」と云う。「イヤ家での貧乏は貧乏でない、旅へ出ての旅の空での貧乏は本当に情けない、お母さんのことは友達甲斐にどうにかするから」と、そこで別れの詩を作る。詩は有るが長ったらしいので省略する。別れの詩を作って気持ちを述べて、「情けないことだナア」と別れ別れになって仕舞う。
荊湖道の節度使の所へ続々と到着して来る軍人を、各々それぞれを部署に着かせるように指図していると、琢州から鄖陽衛の補充が出て来る、見ると年もまだ若い、いかにも軍人などになるような者では無いから、「日頃は何をしている」と訊くと、「実は学問をして試験に応じようとしている者であるが、招集によって止むを得ずやって来た」と云うと、「それは気の毒だ、以前の努力が悉く無駄になって仕舞う」と、そこで役人が、「武芸は定めし出来ないだろう、だが学問をしていたのなら兵書ぐらいは読めるか」と云うと、「マズそれなら出来る」と云うことなので、「そのような者に土埃の中に立たせて今更調練などさせても仕方ない、営長の李克成と云う者の部下にして、そこで軍の文書などを扱わせよう」と云うことになったので、王楫夫婦もホッとして礼を述べる。ところが、この李克成と云う者は無筆文盲であるが、どうにかこうにか攀じ登って営長になった者で、二百五十人の兵を預かっている。そこで手柄を立てれば仕官級になれて好い地位に着けるのである。まだ好い地位では無いが、とにかく二百五十人の兵を預かっているので威張っている。そこへ琢州から補充の軍人がやって来た、ところがその一緒に着いて来た細君が大層好い女だ。昨日元帥府へ行って見たが、大層好い女で、「丁度自分は一人であるし」と思っていたところ、運よく自分の部下に廻されて、自分に使われる事になった。「これは何でも天がその便宜を賜ったに違いない。デハどうなったか元帥府へ出掛けて見ようか、イヤ自分の方が長官だから出向いてはいけない、マズ待っていよう」と云うところへ夫婦の者がやって来る。「マアこちらへ上がれ」と云うと、「どう致しまして、初めて参った小卒ですから」と遠慮する。「イヤそれはそうだが夫婦共々立派な者だ、構わないから上れ」と片方が云えば、片方は益々遠慮する。そこで「年は幾つだ」とか「細君の抱いて居るのは子か」とか、下らない事を訊いたり何ぞした後で、「どこに居るか」と云うから、「イヤまだ参ったばかりで宿はない」と答える。「金は持って来たか」と訊くから、家が貧乏で誠に難儀をしている」と云うと、「何も気を使う事は無い、俺が特別に扱ってやる。幸い俺の方に空いている部屋が幾らもあるから、その幾つかを貸してやる、差し当たり俺が困らないようにしてやろう」と云う。日本の兵隊と違って幾らかの食い扶持を貰うのだから、夫婦は月のお手当てを頂きましたらお返し致しますが、取りあえずはお言葉に甘えまして」と厄介になると、長官は機嫌好く「ホーホー」と云ってくれるから、夫婦は困り抜いたところでこう云われたので、「有難い幸せ」とばかり喜んでいる。李克成の方では肚の中で、夫婦がグズグズ云っているのは俺を有難がっているに違いないと思う、片方はただもう好い長官の所へ来たと思って、「有難うございます。ございます。」と云っている。
 故郷の琢州では妹の慧姫と母親とで、王楫夫婦が出立してから便りが無いので、どうしたろうかと頻りに心配しているものだから、母親は眼を悪くする。それを娘が慰めて、「兄さんは確りした方だし、また嫂さんは従順な方だから、決して心配するような事は有りますまい。役には立ちますまいがお留守の所は私が仕事をしてどうにか致します」とこう云っている。「そうだけれども、本当に情けない話だ」と母親の方では歎いている。そこへ孫綱と陳時策の二人が訪ねて来る。来て見るとまことにもう淋しく暮らしているから、「御無沙汰をして申し訳ない」と少しばかりの食物を持って来て見舞いを云うと、もう一人は金を一両持って来て、「何かの足しに」と大いに慰めてくれる。これがあるので、これを頼りに暮らしているような訳である。
李克成は少し馬鹿な心になって、好い女を見たので日夜愚かな考えに悩んでいる。「部屋は貸してやるし、金をやったり米をやったりしたから、少しはコチラへ眼を向けそうなものだが、あの女の目ん玉は眼窩にくっ付いてやがって受け付けない、それに亭主が何でも能く行き届く奴で一寸も眼を離さないから、手を出すことが出来ない。段々どうも俺は弱っちゃたナア」とこぼしていると、ここに張有徳と云う名の、有徳どころじゃない悪い奴が居て、アチラの役所コチラの役所と歩き廻って、何かあると顔を出して悪代官のような事をしている。これがブラリとやって来て「貴方は何を考えている」と云うから、「ヤア貴様、人相を観るか」と云うと、「ナニ人相は観ないが心を観る」と答える。「如何にも俺は毎日心を悩ませている」と云う。有徳がその心を推察して、「王の嫁さん・・」と云いかけると、「イヤ黙れ黙れ無暗な事を云うな」と李克成が制するから、有徳が「イヤお前さんは強い人ではない、軍人たる者がこんな小事を恐れて」と云うと、「全く自分は少し疲れている」と云う。「疲れたらもうそんな事はよす方が好い」と云うと、「だがこの事は、五分通り出来ているから、あと五分出来ればそれで十分になるが、俺の方は出来ているから、向うの五分さえ出来ればそれで十分になるのだが」と云う。「そんな下らないことを云っているなら、もうお暇しよう」と張有徳が立ち上がると、李克成が引き止め、尚も話しかける。「デハ相談に乗ってやろう、家も貸し品物もやって、手なづけていると云うなら訳はない」と云う。李克成が「デモどうも巧く行かない」と云うと、「ソリャ亭主が居るからだ。軍の用事が忙しいとか何とか云って亭主をコチラへ呼び寄せて、夜中まで書き物をさせて置いて数日帰さない、その時にお前さんが出掛けて行ってどうにかしたら、女と云うものはもともと浮気なものだから、お前のような富貴な者の云うことに従うに違いない」と云う。「それは妙計だ」と云うので、李克成は張有徳の悪知恵を借りて、王楫を呼び寄せる。そんな事は少しも知らないから、真面目に言い付かった下らない用事をゴテゴテやっている。留守を守る郭氏は故郷の母や小姑のことを思いながら、炊事の支度でもしようと夕方水汲みに出ると、そこへ営長先生がやって来て下らないことを云う。「そんな事をしないでも俺んとこの者を使ったら好いだろう」と云う。「イヤ貧乏人が水仕事をするのは当たり前です」と云うと、「ナニ一家も同じ事なんだから遠慮なく家の者を使いなさい」何ぞと云うのをキッカケに、「今日は淋しくないか」とか何とか、その様子がだんだん露骨になって来るから、郭氏もそれと察して、散々に罵って辱める。デモ中々どうして、強い口調で云ったところで、指をくわえて引っ込むような奴じゃない。いよいよ露骨になって来たから、郭氏は大いに罵って行って仕舞う。李克成も大いに忌々しいが、「情(じょう)合いの事はそうセッカチにしてはいけないものだ、今いけなくても明日がある、明日がいけなくても後日がある、しばらく他の手を考えよう、上手くいったら楽しもう」と、自ら慰めて帰って仕舞うとは、人を馬鹿にしていて好い。
 故郷の方では母親と妹が侘しく暮らしている。チットも便りが無いから母親は心配して泣いている。それを娘が慰めて、「今おばさんに頼んで役所に便りを聞きに行ってもらった」と云うが、母親は、「イヤイヤ、あの孫さんと陳さんのお二人に尋ねて頂いたがそれでも分からなかった。韓おばさんが行ってくれたにしろ女の事だから分かるだろうか」と云っている。物事と云うものは一ツと云うことは無いもので、不孝の続く時は仕方ないもの、そこへ韓おばさんがアタフタと帰って来る。母娘が驚いて、「王楫の身の上に何ぞ悪い事でもありましたか」と訊く、「イヤそうじゃないが大変な事を聞き込んで来た、朝廷では前年に宮女をお出しになって仕舞い、その後諸方からもお取りに成らなかったので宮女が足りなくなった。そこで良家の女子から選び出す事になったところ、何と情ない事でしょう、コチラの慧姫さんがその人数の中に入っている。コチラの県からも何人か召し出されるその中に入っている。それを聞いて、慌てて知らせに来た」と云う。「情けない事になったもの」だと母娘が歎いているところへ、ドヤドヤと役人が入って来て、「こんど此の地から召し出される宮女の中にこの家の娘も入っているから、即刻都の方へ行け、我々は娘を都へ送り出す役人だ」と云う。「それはどうも大変、しばらく名残を惜しませて下さい」と云うが、首飾り一ツ、着物四種、旅費万端下されて、すぐさま出立と云うことになる。これが無事である時ならば差支えないようなものの、先には息子の王楫が遠方の軍役に取られ、今また娘の慧姫が都へ連れて行かれると云うのだから、お婆さんはどうも遣り切れなくなって仕舞った。皆も気の毒に思ったが何とも仕方がない。よその者は、「娘さんは立派な方だから今に大した御出世をなさるだろう」と云うけれども、王の家ではそれどころの騒ぎではない。母親は先に嫁の郭氏に与えた珠を一ツ取り出して娘に与えて、「この後はこの珠を親と思って大事にしなさい」と、こう云う訳である。ことに「奥深い宮中へ入って仕舞っては、一生逢えるかどうかも分からない」と云うので、大いに泣いたり何かする。厄介なことだ。
 こんな事があるとは鄖陽衛の方では少しも知らないから、王楫は散々用事をさせられて、ようやく済んで帰って来ると、妻の素振りが違う。どうも変だから段々話を聞いて見ると、李克成と云う奴は悪い奴で、妻に対して無礼を働いたと云うことだから大いに怒った。「どうも怪しからん、少しばかりの物を呉れたり何ぞして、人の嫁をチョロマカそうとは、飛んでも無い奴だ、ただでは置かない」、と云うから細君が、「そんな事を云っても貴方、思い切った事をしてはいけません、人を傷つけるような事をしては、貴方も本の一ツもお読みなさる方だから、こう云う奴は悪くしないで厳かにすると云う経書の本文通り、これから住まいを替えて、行き来も今までのようにはしない方が宜しいでしょう」と云う。「イヤ分かった、それではお前は夕飯の支度をして置いて呉れ、俺は気がムシャクシャするから町を散歩して来る」と云って王楫は家を出て行く。家を出て行ったのは、李克成が家に来るだろうが、家で云い合っても仕方ないと思ったからで、そこへ酔っぱらってやって来た李克成と出会った。「イヤお帰りだったか」と何時もの調子、それからして気に食わないが、一ツ二ツ口を利くうちに、此方は肚の中がクシャクシャしているので、「克成、貴様・・」と云う調子で罵る。「オヤ此奴・・」と云う訳になる。「此奴、長官を罵るばかりでなく、長官を撲ったナ」「撲ったがどうした。貴様のような奴とはもう付き合わない」「人に家を借りたり物を貰ったりしながら付き合わないとは好く云う」と嘲笑する。王楫は腹立ち紛れに思わず腰に差していた剣に手を掛けて、それを引き抜く。これを見て李克成が驚いて、「ヤ、王が人を殺す、人殺し」と逃げながら大声を上げる。周囲の者が寄って来て止めてその場は収まる。すると、かの張有徳と云う奴が早速、李克成のところへ出掛けて行く。これはもともとこう云う事件が無ければ銭にならない、何でもこんな事を見つけては商売にしている奴だから大いに喜んで、どうだとばかりに出て来る。「私の計略は妙であったろう」と云うと、李克成は「イヤ、チットも妙でなかった、コレコレで上手くゆかなかった、上手く行かないどころか却って厄介なことが起きてコチラが罵られて撲られた」と話すと、「ナニ、そんな事は訳ない、モウこうなった暁は、いよいよ私の知恵でどうにでもなる。あの王と云う男を訴えて仕舞うのだ、私が訴状を書いてやる。彼奴を押し片付けるようにしたらどうだ」と云う。「イヤそんな事をして俺のいろんな事を云い出されては困るじゃないか、第一、撲り合ったことに何の罪名がある」と云えば、「それは法律に拠って罪にするのは簡単だ。剣を用いて長官を殺した者は・・」と張有徳が云うと、李克成が、「イヤ未だ俺は生きている」と云う。張有徳が、「貴方は法律を知らない、尊卑から云って貴方は長官だ、法律に部下がその長官を殺すことを図った者は、傷をつけた時には絞罪、殺せば斬罪とある。既に図っただけでも罪になる、殺されはしないけれども少しばかり傷を拵えて置けば証拠があるので、俺が証人になれば、モウどんな事があっても動きが取れなくなって、罪人になるのは確実だ」と云うと「けれども困るなア、それほど酷く悪い奴でもない」と李克成が渋るので、「人を殺せば血を見、草を抜けば根を見ると云うのは決まった事だ。少しは金を使うが好いじゃアないか。そうすればあの女はお前のものになる」と云う。「なるかなア」「決まってら」「それでは」と云うので、王楫を罪に落とすことにする。
 サテいよいよ裁判になると、李克成が原告なので先に喋り出す。「私は目上なので少々厳しく致しましたところ、新規に来た補充兵の王楫が、元は儒生ということで、日頃小理屈を云って威張るので、その事を叱ったところ反対に怒り出して、剣でもって私を切りに掛った、この襟首に傷が付いている」と申し立てると、「それは一方の説で信じ難い」と、今度は被告の王楫が取り調べを受ける。王楫は、「この李克成と云う奴は怪しからん者で、私の家内に対してコレコレである」と事実を述べる。「それでお前の妻はどうした」と役人が云う、「彼の云うことを聞かず、死のうとしました。私が帰って来て事情を知り、彼と口論になりました。役のことで口論したと云うのは嘘でございます」と云ったが、「それも一方の説で信じ難い、証人の話を聞こう」と云うことになり、そこで証人の張有徳に向かって、「ありのままを正直に云え。もし嘘をつくとお前から先に四十回撲るぞ」と云うから、「どう致しまして私は嘘偽りを申し上げるような者ではありません。元来この李克成と云う者も少し悪いのです。王楫の方も宜しくない、一体この王楫は新規に来たので軍の事情を能く知らない。長官がこれをよく教えてやれば好いが、日頃から王楫の言葉遣いが尊大で横柄だから、李克成も一々言葉が違うと罵る、挙動が少しグズグズしていると直ぐに撲る、これが宜しくない。また王楫と云うのは読書の人で、少しばかり学問があって気位が高いところから、日頃から李克成に対して怨恨を抱いている。前の晩、李克成に逢った時に向かっ腹を立てて剣を引き抜いた、偶然私がそこへ通りかかって、王の腕を捉えて李克成の命を救ったのでございます」と云うと、王楫は「飛んでもない事だ、これには何か裏があっての作り話だ」と云う。役人は双方を聞いた上で、「成程分かった。これは王楫の云う通り妻の事から起きたことに間違いない。そうであろう」と云った。もとより王楫は殺そうと思ったのではないが、攻め立てられるので仕方がない、李克成の云い分は誣告であるが、どうも拠ん所なく罪を着せなければならない。そこで役人は、「王楫を押さえて首枷を嵌めて置け」と命令する。絞罪となると人命の事だから一応は上(かみ)に報告して許しを受けて、刑を行うのである。とうとう王楫は死刑囚の牢へブチ込まれて仕舞った。
 鄖陽衛の監獄に牢役人に葉清と云う者がいて、先日県令から一人の囚人を預かっているが、それは補充の軍兵で、営長を傷つけようとした罪で絞罪になる訳だ、マズは常例(おきまり)の油火代金(賄賂)を取ろうと王楫を呼び出して、「ヤイ罪人、貴様は何処から来た」と知っているが態(わざ)と訊く、「本県から出た者です」と答えると、「罪名は何だ」と訊く、「絞罪です」と答える、これを聞くと葉清が、「お前の頭の上には死があるのに何で俺を見てお辞儀をしない」と云うと、「お辞儀をしても仕方がないからしない、罪は私にある事だから」と云う。「お辞儀をしないのは好いが、なぜ油火代金を出さない」と云うから「家が貧乏で金が無い」と答える。「山に倚る者は山を食い、水に倚る者は水を食う、牢を預かっている俺達は罪人から取らなければ顎が干上がって仕舞う、じゃア取るようにして取ってやろう」とブン撲って、「貴様の身体の利かないようにしてやる」と云う。王楫が「どうか勘弁を」と云うと、「太い野郎だ、油火代金を寄こさないくせに人の憐みを得ようとする」と怒る。「イヤ、収めたい気持ちではあるが今は無い、後日必ず収めるから」と言い争っているところへ、妻の郭氏がシオシオと差し入れをしようとやって来る。葉清がこれを見て、「どこの方だ」と訊くと、王楫の妻だと答えるので、絞罪になる奴にしては大層好い神さんを持っているとビックリして、「差し入れに来なすったか」と訊くと「お願いします」と云うので「ヨシ今開けてやる」と、牢の中へ入れてやる。郭氏が入って見ると真っ暗で分からない。夫婦は取り縋って歎息する。「私の事からこんなことになって」と引き付ける位に泣く、葉清が来て見るとこんな有り様だから、「そんなに気が小さくては仕様がない。もっとハッキリしなくちゃいけない。貴方も聞けば儒生だそうじゃアないか、君子は牢獄を福堂と云っている。過ちを改め善に還えるべきだ」と云うと、「イヤ福堂も何もない。最早この身は絞罪に決まっているのだから、多年の学問も甲斐なく、志を抱いていたのも水の泡、この年の秋の露と消えて仕舞わなければならない」と云う。「そんなことを云ったって仕方ないから、マズ持って来た食べ物を食べたらどうです。」と勧めるが、「イヤもうそんなものは食べたくないし、また食べられる訳のものでない、股を撲たれて動くことも出来ない」と云う。すると葉清が「私も何年かこんな酷い事を遣っているんだが、貴方たちのように仲の好い夫婦を見たことがない、まことに気の毒だけれども、どうも仕方がない、マズ気持ちを落ち着けたら好いでしょう、私がよく対処してやるから、就いては油火代金を要求したが、夫婦の有様を見ると可哀想なのでもうそんなものは取らない。それから朝夕の飲食も気の毒だから私の方で気を付けてやる、ただマア着物でもどうにかしてやるが好いでしょう」と、細君にやさしく云ってくれる。「コチラは困っている中だから志に酬いることが出来ない」と云うと、「イヤこの位の事は人として当たり前の心掛けだ」と、そう云ってくれるから夫婦も喜んでいる。
 話変わって、安禄山が謀叛を起こして、四方八方がドンチャン騒ぎになる。そのため琢州の方も大騒ぎで、王楫の留守宅ではお母さんと韓おばさんと云うその妹がヨボヨボと逃げ出す事になる。例の孫綱と陳時策の二人が同行して危ない中を連れて逃げたが、もとより戦乱の巷だから遂に姿を見失ってチリチリバラバラ、アチラコチラへと別れて行って仕舞う。
牢へ入った王楫は三月余りも牢内で過ごしたが、葉清が飲食の世話をして呉れたりして、他の囚人に比べれば真によく面倒を見てくれる。「この恩は報いがたい、妻子は貧乏しているし、故郷に残した母や妹はどうしているだろう、考えて見れば寝ることも出来ない」と悲しんでいるところへ、葉清がやって来て、「どうです、時にどうも貴方も遂に李克成のために死罪にされることになった、今日上から死罪にすることに決定した文書が来たが、ただもう少し後の秋になってから刑を行うとのことだ、これを貴方に知らせに来た」と云うから、王楫は、「イヤそうですか、永らく御恩になって、貴方の御親切に報いることが出来ないのは、誠に残念ですが、決して忘れは致しません」と云うと、「マアそんな事はどうでも好いが、貴方もいよいよ罪名が決まり、上から死罪と決定された以上、今から後事を考えて置いた方が好いでしょう」と云われ、かねてから覚悟はしていたが今更となってはどうすることも出来ないと、思わずそこで気絶して仕舞う。「自分は何と詰らない運命なのであろう、それを思うと身が細る、私がこうしていることをどうして故郷の者が知ろうか、死は惜しむに足りないが、貴方から承けた御恩を返せないのが心掛かりです、とても今生では返せないので、冥土の黄泉でと思うより仕方ない、妻や子や母や妹など様々な事を思えば、この心はもう撲(ぶ)ち叩かれるようなものです」と歎息すると、「しかしマアそう思ったところで仕方ない、就いてはもうこう決まったのだから訊くが、貴方の奥さんを貴方亡き後、後家を通させる積りか、それとも別の所へ再縁させる考えか、どちらです。」と云われ、「イヤ、私の妻は年も若いし、頼るところも無いし、私の為に裳に服して永く後家を通させたところで、私が生きて居てさえこんな災難を引き出す位ですから、私の死後どうして無事に行けるものでしょう、何れにしても他へ片付くより仕方がない」と云うと、「そういう訳なら云いたいが、どうも言い難い、実は私も妻を亡くしたばかりで独り身なのだが、貴方が自分の亡き後は細君を他家へやると決心したのなら、私のところへ呉れてはどうだろう、そうなればあの子供も一緒に引き取って育てよう。成人したら貴方の家を継がせる。故郷に残して来たと云うお母さんも受け取って孝養も尽くすが、そうすればお互いの為だがどうだがどうだろう」と云う。王楫は考えて、「成程、それは私も願うところです」と答えたが、「細君は承知するだろうか」と云われて、「イヤ家内が来た時にこの事を話して見ましょう。」と云っている所へ郭氏がやって来る。それを見ると王楫が、「イヤお前にも長々苦労をさせたが、私ももういけない」と云う。「貴方、どうかしましたか」と訊かれて、「この葉長官に訊けば分かるから」と答える。「それはどう云うことか」と重ねて訊くと、「もはや何とも仕方がない。刑部が許可したから愈々この秋には処刑されます。」と葉清が話して聞かせる。「今更何とも仕方がないが、万々一に、再調査になる事もあろうかと期待していた訳では無いが・・、それも駄目になって仕舞ったか」と郭氏は引っ繰り返って仕舞う。王楫が「それも運命だから仕方がない、ここに一言お前に云っておきたいことがある」と云うから、郭氏も「どんなことでしょう、伺います」と答える。「お前が私のところへ嫁に来てから、一日として伸び伸びした思いも無く、とうとう楽もさせずに仕舞ったが、幸いなことにお前もまだ若い、子供があってもまだ小さい、俺の亡き後にはとてもやって行けないだろうが、ここに居られる葉長官は奥さんを亡くされたと云う事だから、お前がこの方の所へ嫁入りしてくれれば、子供も育ててくれて王の家も継がせてくれるし、私に代って母のことも世話してくれると云う、既に葉長官にはこれ迄も沢山お世話になっている。今お前が私の云うことを聞いて呉れれば恩に報いることにもなる。」と云ったところが、郭氏は、「ソリャ飛んでも無い事を仰(おっしゃ)るではありませんか、今日の災いも元はと云えば私から起きたこと、私は貴方がお亡くなりになれば一緒に死のうと思っている、他家へ行く位ならばこのような苦労は致しません、故郷に母は居るし、手元には子供が居るし、家も絶やさないよう、母にも孝養を尽そうと生きたくもない命を生き永らえて、どうかして母の百年を見、子供も成人させたら直ぐにでも死んで貴方に追い付こうと思っている」と答える。「イヤそう云ってくれるのは嬉しいが、それはお前の欲というものだ、あの李克成の為にこうなったのだが、今度また別の李克成が出て来たらどうしようもない」と云う夫の言葉に、「今ここで争ってもしかたない」と、承知するともしないとも云わないで、無言のままに別れてしまう。
 ここに王章と云う商人が、遠方の陝西からやって来て商用のため江西のアチラコチラを歩き廻って、幾らかの利益を得ての帰り道で、この鄖陽衛へ一人の供を連れて差し掛かる。大分腹が減ったので食事でもしようと云うところへ、一人の好い女が子供を連れてやって来る。胸の中に有り余る思いがあるのか、足取りもたどたどしく、まことに情けない姿、これ即ち王楫の妻の郭氏である。「うちの人も愈々この秋には処刑されて仕舞う」(春や夏は余り人を殺さないもので、こんな所もいかにも支那らしい)「夫の亡き後に葉長官の所へ嫁に行けと云うが、何て情けないことを云うのだろう、永年連れ添って来た私の心が分からないのかしら、その治命(正常な時の命令)に従い、乱命(乱心時の命令)に従わずと云うこともあるが、もはや刑期も近づいて来ているので、それであんな情けないことを云われたのであろう、お互い充分な話もしなかったが、夫が死ぬことだし、私は先に自死するより外に仕方がない。この子も五才になっているから、縁ある人に託したいが、家が貧乏だからどうすることも出来ない、」と云う気持ちで居るので、その情けない様子は想像するに余りある。王章が見て居るとアッチへ行ったりコッチへ行ったり、シクシク泣いている。「何とも情けないではないか」と云えば、連れの者が、「それでは一ツ、私が訊いて見ましょう」と訊くと、「実はお話することも出来ないような訳で、ここ子供を売りたいと思います(日本では可哀想でこんな場合には使えないが、支那ではやはり売ると云う)」と云う。「貴方は北の方の訛であるが、どうしてこんな所にきているのか」と、段々に訊かれるので段々に答える。いろいろと情けない一部始終を物語ると、それを聞いていた王章が、「そう云うことなら私に下さらぬか」と云う。「エエ貰って頂ければ大層有難い」と云うことになる。見ると好い子であるから、「私の苗字もちょうど同じ王と云う、先祖を調べたら何であるかも知れない、九齢と云うその名を取り変えずに育てましょう、今気持ちだけのお金を差し上げてお約束しよう、この子が立派になればまた厚く報いることもあるから」と云う。「頂けるものでは無いが、私達は今、死生の際に立っている者、デハご遠慮なく頂戴します。ここで別れれば再び会うこともありますまい、故郷を出る時にお母さんが珠を一ツ下さったが、こういう羽目になっては最早私には必要がない」と子供の首の所へその珠を懸けてやって、「この珠を見たら、鞍を見れば馬を想い、物を見れば情を傷ませると云うこともあるから、お前も父母を想うであろうが、もしお互いに生きて居れば又逢うこともあるであろう、父母はこのような運命に終わるが、お前は将来を能く生きなさい」と云って別れる。
 郭氏は籠の中へ食物を入れて牢へ行くと、夫がそれを見て、「お前は何を持って来たのだ」と訊くから、「こちらの葉長官に長々お世話になっていても何のお礼も出来なかったので、少しばかりお酒と肉を買って来ましたから、これを差し上げて御恩に報いたい」と云う。王楫も、「それは大変良い事をしてくれた」と喜ぶ。それから郭氏が、「これはマア貴方の身の回りの役に立つように」と金を出すから、「お前そんなものをどうやって拵えた」と訊く、「ハイ、近所の人の世話で、ある金持ちの奥さんの所へ、女工を教えることになって、その礼金を貰いました、明日からその家に行く」と云うから、夫は「それは大変好い話だが、子供が居てはサゾ足手纏いだろう」と、子供の話を云われると堪らなくなってワッと泣き出す。「どうした、子供のことを云うと急に泣き出すとは、九齢はどうした」と訊かれて、「イエ、別段子供のことで泣くのではない、私がその家に入って仕舞えば直ぐに出て来る訳に行かない」と肚では死ぬことを思っているからそう云う。亭主の方では今直ぐ死ぬとは思っていないから、「私はもう何も入りはしないよ、今来てくれなくても又秋にでも会えば好い」と云うが、神さんの方では子供を売って仕舞ったので、これからは自分の身一ツを処置するだけだ、死ぬ覚悟だから之が最後だと思っている、まことに情けない訳だ。そこへ牢番がやって来て、「監獄の中でグズグズと泣き叫んでいるところを、上役に見られると穏便でない」と云うが、二人は猶も悲しみ合っている。死生の事も死は帰る、生は仮のやどりと云うじゃあないか」と云うようなことで到頭二人は分かれてしまう。
 大和山と云う山が在って、これは名山で、「大和山に遊ぶ記」など其処を書いた記事文などもいろいろあるが、樹木も沢山あってもことに好い山である。王楫の妻の郭氏はそこへ登って行く。先日子供を捨てて、昨日夫に別れて今は心空しく、命を捨てる所を見つけて、女の意地を立て通そうと、ヨタヨタと坂道を来かかると、そこに真武廟と云う神様が祀ってある立派な建物がある。霊験あらたかな神様と伏し拝んで、見ると雄大で厳かなお宮なので、思わず世の中の念(おもい)を忘れてポオッと眺める。「死ぬ地を得た、ここで終れば本望」と霊廟に一礼して、檜の古木、痩せた藤、真っ青な淵、青くなっている崖、身を捨てるには好い処、ただただ故郷の母と小姑が私等三人の身の上を気に掛けていることであろうが、それもどうにも仕方ない、最早この世に思い置く事はない」と、崖から淵に身を投げる。すると神様が大ドロドロと現れる。この神様は馬・趙・温・関の四ツの将軍を率いている、その四将軍を呼び出して、「今郭氏と云う者が冤罪のために死のうとしている、あれを殺すな、あれを助けて千里離れた懐慶の地方にいるあれの母親に会わせてやれ、なお李克成等には火部を派遣してその罪を匡(ただ)せ」と云い付ける。将軍が淵に向って飛び込むと、忽ち紅火は眼に充ち、黒気は天にまん延して、郭氏は死ねなくなると云う訳だ。
 母親の方は妹の韓おばさんとも離れ、息子の友達の二人とも離れ、たった一人で老女は意気地もなく、見る影も無くなって、アチラコチラをフラフラと何処をどうと云う宛ても無く、まことに惨めな姿になって一ツの広野に来かかる。力無く歩くことも出来ない、一面の青草の中にヨボヨボになって疲れ切って身を寄せている。次第に暮れ方になって来たが、一人の人も見えない、道を訊こうにも訊くことも叶わなくてグッタリとしていると、向うの方の草がボオとしている中に一人の女が見える。お婆さんが眼をやって見ると、どうもその女の物腰格好が自分の嫁の様子に似ている。コチラは神力によって一旦は大和山の淵に身を投じたが助け出された郭氏、広野の中に運ばれて来たから、夢ではないかと驚いている。それにしても此処は一体どう云う所か、誰か来たら尋ねて見たいと思っている矢先に、フと向うを見れば一人の老女が休んでいる。あのお婆さんに訊いてみたら分かるだろうと近づいて見れば、どうもそれは故郷に残して来た母に似ている。母の方でも広野に行き暮れて道を訊く人もないと思う眼の前に一人の女が現れた、あの人に道を訊こうと思ってよくよく見ると、どうもそれが嫁の郭氏に似ている。郭氏の方から一歩一歩近づいて行く、二人の間が遠くなくなると、似ていると思ったのは当然で、紛れもない嫁姑だから、「嫁じゃア無いか」、「お母さんか」と云う訳でお互いにビックリする。「どうしてこんな所に」と訊くけれども、「中々一言では言い尽くせないが、実はコレコレ」と話をする。「ここで逢ったのは嬉しいが、それにしてもお互い大変だから、お告げもあったことだし、これから二人で都の方に行こう」と、郭氏は母を扶けて此処を立って行く。
 話は変わって、お婆さんの妹の韓おばさんは、おばあさんと一緒に逃げていたところを安禄山の乱に遭遇して途中ではぐれて仕舞った。考えて見れば、都で自分の親類が酒屋を営んで酒や飯を売っている。それを思い出して頼って行くと、その酒屋夫婦も年を取っているので、そのうちに病気で死んでしまう。仕方が無いから自分が代ってその店を預かることになり、都で酒屋を営んでいる。自分の姉妹はどうなったのかも分からず、親類などの容子も分からないが、マズはその日その日に追われて商売をしている。そこへ嫁と出合った老母が嫁と二人で都へ上って来る。見ると酒や飯を売る店があって、酒旗の下には一人の婆さんが居る。アソコへ行って宿を借りようと段々寄って行くと、「オヤ、これは韓おばさんに似ている」声を掛けると、「姉さんか」「妹か」と云う訳で大いに驚いたが、先立つものは涙で、婆さんと嫁が代わる代わる「こうこう・・」と話しをする。嫁が「私は大和山の淵へ身を投げたところ幸いに神様のお力で助けられ、広野でお母様にお目に掛ったばかりか、今またここでおばさんにお会い出来て、世の中には神も仏もあるものと、大いに心強い」と云って話をする。「都に来てどうする積りだ」と訊かれて、「実は人相見の袁天綱と云う者を訪ねたい」と答える。韓おばさんは之を聞くと、「イヤ、他の事はら知らないが、その袁と云う方ならばよく知っている、ツイこの裏に住んでいる」と云うから、「一体どんな人か」と云うと、「まるで仙人のような人で、どんな人と交際しているかと云うと、何れも皆立派な方ばかり、見立てはどうかと云えば、まことに生き神様のように思われている」と云う話、「それは有難い、デモ袁先生がどんなに力量があっても、死刑に決まっている夫を助けることは出来ないだろう」と云うが、「マズはとにかく頼んで見よう」と三人で相談を決める。
 袁天綱の方は安禄山の乱以後、朝廷の御召しを受けて都に来ている。故郷の山へ帰りたいのだが一向に許されない。そこでこの韓おばさんの裏に住んでいる。そこへ韓おばさんと婆さんと嫁がやって来る。袁天綱は韓おばさんの姿を見ると、「イヤ、永らくお世話になるが碌に礼も出来ない」と云うと、「そんな事はどうでも宜しいが、今日は貴方にお願いがあってやって来た」と云う。「この二人の御婦人は何だ」と訊くから、「これは私の姉とその嫁で、琢州の者だ」と答える。どうして琢州の人がこんな遠方へやって来たのか」と云うから、「それについてお話がある、私の姉の息子が遠方で大難に遭遇した」と答えると、「それは何と云う人だ」と云うから、「王楫と云う者だ」と答えるので、「そうか、王先生の令室か」と云う。そこで婆さんが「息子はコレコレこう云う訳で、今年の秋には殺される事になっていて、刑期も迫っている、訴える所も無いので千里の道を来て、貴方に頼って助けてお貰い申そうと思う」と云うと、「そう云われるが私は世捨て人同様の者だから、そう云うことは出来ない」と云う。すると嫁が「そうは仰るが、コレコレの訳で大和山の淵へ身を投じたところが神様に救われて、その時に貴方の事も聞いた。どうか神の命令であるから私の夫の為に次空を尽してください」と頼む、「イヤ、どうもやって上げたいが中々そう云う訳にはいかない」と断る。「イエ、貴方は朝廷へもしばしばお出になって、名のある方々ともお知り合いがあるでしょうから、どうぞお願い申し上げます」と、頻りに断るが頻りに頼むものだから、親子夫妻の情に引かされて、考えて見れば気の毒だ、どうも仕方がない。「私が昨日天上界の様子を見たところ、北斗が人となって此処に来て酒を飲む、この機会を掴まえて朝廷へ申し出て天下に大赦を行わせられるようにしたら、自然と王楫の一命も助かる事であろう」(この北斗が人間になって、地上に降って来て酒を飲むと云う話は、この作者の拵えたものでなく別にある話だが、余りにバカバカしいからザッとにして置くが)、マズ北斗が降った。それを司天監がそうとは知らないで、天を見ると北斗星がない、驚いて奏聞する。すると一方では北斗が化身して西市に現われ酒を飲む云う袁天綱の話なので、早速北斗を迎えろと云うことになるが、迎えに行くと北斗は一道の光となって行って仕舞う。天子は大いに喜んで勅命を下して、天下に大赦を行い、天を敬い民を憐れむために、極悪の者を除いて死を赦(ゆる)される。いよいよ大赦と云うことになるから、自然王楫の一命も助かる訳である。
 話しはガラリと変わって、宮中に入った王楫の妹の話になる(ここに宮中で容色の悪い、いわゆる売れ残り的な女を登場させる滑稽な場面もあるが、そこは長いから省く)。妹の慧姫はそう云う人の中に交って心淋しい日を送っている。ところが、遠方の土地から出て来て朝廷の為に夷狄を防いでいる軍人達はまことに気の毒なものであるから、宮中の女子に征衣を作らせて、その人達にそれを賜ると云うことになる。今も昔も同じことで、そう云う着物を頂けば、遠くの国境にいて寒苦と闘って国を守っている者などには、どんなに嬉しいか知れない訳である。慧姫も他の宮女と共に征衣を拵える。拵えながらも自分のことを思い、また珠を見れば母親のことを思い、浮世離れた離れ島ではないが、世の中の道が絶えて仕舞った深宮の中に入って、自分の一生はどうなる事かも分からない身であるから、若い婦人として行く末を思い家を思い、心は乱れて眠るに眠れない。今この自分が拵えた着物も、どこにどう云う縁があって、どう云う人が着ることやら、と云うところから一篇の詩を写した。その詩と云うのは、

  沙場 征戌の客、
  寒苦 若(いかに)して眠らん。
  戦袍 手作を経、
  知る 阿誰(あすい)の辺に落つる。
  意を蓄えて 多く線(いと)を添え、
  情を含めて 更に綿を着く。
  今生 己に過まるや、
  重ねて結ばん 後生の縁(えにし)。

 で、それを縫って衣の中へ入れて置く。これにはどうと云う意味はないが、いろいろ様々に自分の身の上が錯綜しているのと、この衣がどういう人の手に渡るかと云うことを思い、ちょうど慰問袋を作る時に自然と遠くの国へ遠征に行っている人に対する同情から、歌の一首でも詠んで送りたい気持ちが婦女子にはあるものである。この一条も昔からある話で作者の創作ではない。
 コチラは例の北斗が人間に降ったと云う吉兆から、勅命が出て天下に大赦が行われる。極悪非道の者を除いてことごとく死を赦されると云う勅命が諸国に下る。皆万歳を唱えて聖徳を称える。死罪に決まっていた王楫も赦されて、今までは鄖陽衛の者であったが今度は遠い国境の兵にされることになって、一命は助かった。そこで送り役人に連れられて剣南衛の方へ派遣されることになる。王楫は大いに喜んで、例の牢役人の葉長官に対して長々と恩を謝して、「御報いする事も出来ないで、このたび勅命によって剣南の方へ行く事になりました、何れ妻子を連れてお宅へお礼にまいります」と云うと、葉清が、「イヤ貴方は知らないから仕方ないが、」と云う。王楫が、「何かありましたか」と訊くと、「ここを出て行くとなると、話さない訳にはゆかないが、実は貴方の御家内は、子供を売って大和山へ登って死を求めた」とありのままに話して聞かせる。「ヤヤそれは‥」と云って今更驚いたが、「それで助かりましたか、家内は助かりましたか」と重ねて訊くから、「イヤ、誰も助ける者がなく、もとより助かる事もない、すでに魂は何処へ行かれたか、今は知ることも出来ない訳である」と答えたから、王楫は何とも云えない思いになって、ほとんど気絶するばかり、李克成と張有徳は天雷に打たれて家中天火に焼かれて死んだと聞けば恨みは無くなったが、サテ、たった一人になって世に生き甲斐の無い身になって、これから国境へ行かなければならない。仕方なく葉清に別れを告げて剣南の方へ赴いて行く。
 王楫の友の陳時策は、もう一人の友の孫綱と乱軍の中で別れてしまって、仕方がないので剣南の方へ行ったが、何時まで経っても出世の見込みは無いし、こうして居ても仕方ないと、文筆の方を捨てて仕舞い、儒生であるがもともと軍馬の事も知らない事もないので、世も乱れ勝ちの事だから武の方へ入ろうと、今までの事を捨てて軍人になって仕舞った。ところがもともと文字もあり人間も怜悧だったから、元帥の楊公に引き立てられて、「今にもう少し目立った手柄でも挙げれば冠帯を賜る身分にしてやろう」と目を掛けられているから、自分も一心に励んでいる。寒い時期になって来たので、朝廷から特別な御憐憫で宮女達が拵えた衣服を賜うと云うことで、軍中は大いに喜んでそれを頂くと云う訳である。元帥が陳時策に向って「お前にも一着賜る、お前は前日一功があった、今に冠帯の身となれば吾々と同じように士官に昇進させる、」と云うから大いに喜んで、衣を貰って来てみると、綿密に縫ってあって綿も沢山入っている、まことに結構に出来ている。開けて見ると中に何か有るようだから、少し気を付けて引っ張り出して見ると一首の詩があった。「イヤこれは」と思って読み下すと、詩もまことに立派で中の、「意を蓄えて多く線を添え、情を含めて更に綿を着く」の一聯は、まことに人の心を動かす句であると、物淋しい軍隊の中に在ってマズ一道の春風に吹かれた思いがした。思い出して見ると、昔、袁天綱がいろいろ妙なことを云ったが、今にして思えば一々思い中る事もある。これもやはり前定の因縁か、ハテ不思議なことだなア位に思っている。
 一方、峡西の商人で同じ苗字の王と云う者に売られた子供の王九齢は、その時五才だったので何も分からない。父母の生死のほどは分からなかったが、それからもう十年も経って今では十六才になっている。母は無事か、父はもう出獄したか、一向に分からないが、幸い養い親に貰われた時そのまま名前を取り替えずに、育てて貰い人となったが、その養い親も三年前に他界してしまい、眼を挙げて見れば一人の親身も無く、ただ養い親の甥にあたる者がいるだけである。それと二人で同じ師について学問をしているが、その男は学問が嫌いで出来ないから、九齢が褒められたりすると余り好い気持ちがしないので、自然苛めたり何かする。「こうして、このような者に叩かれて一緒にいるのも馬鹿な話だ、この男と永く一緒に居たところで仕方がない、この機会に家を出て都へ行って試験に応じ将来への道を開こう、そして荊湖道の方へ行って生みの親の安否を訪ねれば一挙両得」と、家を捨てて出て行く。
 剣南に行った王楫が軍営に到着して、一人の軍人に会うと、どうも知っている人のようなのでよく見ると友達の陳時策なので、「イヤ、お前か」「お前か」と云う訳だ。「私も儒生を捨てて軍人になった」と陳時策が云うと、「私はこう云う目に遭って、妻はこうなり、子を売って仕舞い、天地に何も楽しみの無い身となって仕舞った。妹は宮中に入り、母は行方が知れない」とガッカリするから、陳時策が「成程、聞けば一々尤もだけれども、そう落胆していても仕方がない、私はコチラへ来てから幸せよく、今では今後の出世も望まれるから、クヨクヨしないで、お互い辛抱して生き甲斐のある生活をして行こうではないか」と力づける。陳時策は前日の功績によって冠帯を着る身分になり、「これから先も大いに引き立ててやろう」と云う元帥の言葉に大いに喜ぶ、また、自分の賜った征衣の中に詩が入っていた事をありのままに報告したので、自然その事が都に伝わり、朝廷にも聞えた訳である。
話変わってもう一人の友の孫綱の方は、陳時策に別れて仕舞い、漂浪すること数年、立身の望みも無く何事も成らかったが、それでも士気は衰えない。今年も試験を受けて見ようと都に上って来ると、途中で極く若い男に会う。訊いて見ると、同じ試験を受けに都へ行くのだと云う。段々話している中に、どうも自分の友達の王楫に様子も似ていて、姓も同じ王と云う。「どこの人か」と尋ねると「峡西の者だ」と云うから、峡西であれば顔かたちは似ているが土地が違うから、どうも不思議だと思うから頻りに首を傾けて考えている。「貴方はどなただ」と訊かれて、「私は涿州の孫綱と云う者だが、貴方の様子を見ると私の友達の王楫と云う者に顔かたちが似ていて、姓も同じ王なので、不思議に思っているのだ」と答える。「私も親を尋ねている者ですが、王楫の友人であれば定めしその王楫と云う人の所在を御存知でしょう」と訊く、「イヤそれは昔のこと、王楫が従軍して既に十年にもなる、古い事だから分からない」と指を折って考えて見ると、その若者は王楫の子供と同じ年頃である。「デハ、王楫と云う人の妻の姓氏は」と訊かれて、「それは郭氏と云う人である」と答えると、若者は喜んで孫綱に一礼し「私がその王九齢です」と云う。「どうして貴方は、峡西の者だと云われたのか」と云うので、「それはコウコウと云う訳です」と初めて詳しい話をして聞かせる。孫綱も不思議なことだと驚いたが、思い起こせば極く昔、袁天綱と云う者がいろいろ未来のことを云ったが、成程、今になって見ると思い当たるような気がする、これで今度の試験も、ここで貴方に会ったところを見ると首尾よく行きそうだ。希望が出た。願わくは二人共合格したいものだと、喜んで都へ同行する。
 剣南の方では陳時策が出世して冠帯の身分になった。そこへ急報があって、夷狄が城に向かって攻めて来たと云う。そこで元帥の命令を受けて陳時策が征討に向かう。陳は友達の王楫を連れて行って、「今度の戦にはお互い力を併せて敵を取り押さえよう」と云う。王楫はもとより軍略の事も知っているから、互に力となって防ぎ戦う。首尾よく敵を追い散らして仕舞ったので、大いに都合よく、王楫は次第に不幸な中にも未来が見えて来たと云うことになる。
 慧姫の方では、このたび宮女の中に征衣の中へ詩を縫い込んで送った者があることが、剣南の方からの報告で分かったが、そう云うことをした者が居るかと段々取り調べが進むと、もとより身に覚えのあることだから、「実は私が致しました、罪は万死に当ります」と白状してしまう。天子はその罪を赦し、「どういう訳で致したかその訳を云え」と問うが、別に理由が有ってのことでは無いので、結局罪には問われずに、却ってその詩が好いのと、別に理由もなくしたことなので、「お前の詩に後生の縁を結ぼうとあるが、朕がお前に今生の伴侶を得させて遣わそう」と、宮中から出して兵部より衣飾を供え、人を派遣して剣南に送り陳時策に賜い、その妻とする。マズコチラは万々歳で済んで仕舞う。
 試験を受けた方は首尾よく合格する。二人共成績が良く、九齢の方は第一等の合格で翰林侍講を授けられ、孫綱の方は第二等の合格で監察御史を授けられ、銭買と云う者が第三等の合格で兵部員下郎を授けられ、皆有難く拝命する。世間の者は或いは喜び或いは羨むと云う訳である。
 何れも都合が好くなると話は面白く無くなるが、ここに一ツ、珠の話が残っている。これを話して仕舞わなければならない。剣南へ行く途中で慧姫は珠を落として仕舞う。一緒に付いて行った奴がそれを拾って、「人は横財(余禄)が無ければ富まず、馬は夜草が無ければ肥えず、こういう事でも無ければ助からない」などと云って着服して仕舞う。
 陳時策は王楫と共に敵を斥けたから、「新任の軍師の王と云う者と協力奮戦して敵に勝ったと報告する。元帥がこれを推挙して陳を平虜将軍に、王を靖虜将軍にする。二人が意外な出世に喜んでいると、そこへ宮女の慧姫が陳時策の妻と云うことになって到着する。兵部省の方で支度をして呉れて、仲人の田氏と云う者が付き添って軍中へやって来る。来て見ると陳将軍と王将軍と云う二人が居て、その王将軍と云う者を見ると、どうも自分の兄の様子に似ている。王将軍の方でも宮女を見ると、その物越し格好が吾が妹に似ているから思わず悲しみを覚えて、妹が居たならばと私(ひそ)かに涙を浮かべる。妹の方でも、将軍となっているとは思わないから、兄の事を思って人知れず涙を含む。すると元帥が早くも見つけて、「この目出度い折にどうして涙を浮かべる」と云うから、遂に隠すことが出来なくて、「コレコレ」と話す。「それならば王将軍はお前の兄である」と云う、それでは宮女は果たして吾が妹であったかと、兄妹は手を取り合って喜んだが、「軍中は啼泣の場所ではない、私宅へ行って再び親情を述べよ」と云うので、各々ここを退出する。その中に楽人などが出て来て礼を調えいよいよ婚礼の儀式が始まる。そういう中でも久しぶりの対面なので、いろいろあった様々な事の話をする。慧姫は兄が李克成のために大変な目に遭い、また嫂が身を捨てて子供を手離した話を聞いて、女だけに郭氏の心中を思いやって大いに歎くと云う訳である。
 サテ、都に酒店を開いている韓おばさんは、袁天綱に頼んだことで王楫の一命は助かったに相違ないが、その後はどうなったのか皆目分からない、お婆さんと嫁は始終その事を思って泣き悲しんでいる。今日は少し暇があったので二人を慰めて、頻りに力づけている。そこへ例の珠を拾った奴が、之はどう見ても宮中から取って来た何かに違いないから、酒屋へ持って行って取り替えて一杯やろうと、珠を持ってやって来る。「お前さん、何の珠を持っている」と云うから、「イヤ一ツの珠だ」と答える。「それをどうする」と訊くと、「持っていても詰らないから、此れで酒を飲みたい」と云う、韓おばさんが手に取って見て、「これはどうも、姉さんのものじゃあないか」とお婆さんに見せる。お婆さんは、「同じものがある筈がない」と云うが、「だけど似ているから見て見ろ」と云われて、見ると驚いた。「この珠は二ツある筈だがどうして一ツなのだろう」と韓おばさんが云うから、「一ツは娘の慧姫に与えた、この珠に着いている紐にも覚えがある、これは家の物だ、別に咎め立てする訳では無いが、どうしてこれを持っている」と云うと、拾った男が、「デハ云うが、実は剣南へ送って行った宮女が途中で落としたものを、俺が一寸ソノ拾って置いただけの事だ」と云うので、「シテその宮女は何と云う者だ」と訊くと、「それは涿州の王慧姫と云う者だ」と答える。お婆さんが聞いて、「それは私の娘だが、どうしてマタそんな所へ送られたのか」と重ねて訊くと、「それはコレコレの訳で軍人の妻になる為に吾々が送って行った」と云うから、「マアとにかくお酒を上げて」と云うので、そ奴は喜んで御馳走になって、「とても一度にこんなには飲み食い出来ないから又来よう」と云って帰って行く。
 そ奴が昨日は韓おばさんの所へ行って珠を替えて、食い切れないほど、飲み切れないほど飲み食いをしてきたが、今日はまた翰林の王侍講の身の回りの用を足すための小使いとして働いている。王侍講はどうでもよいと思った試験に合格して、大官に出世して有難いことは有難いが、両親の行方が分からないので、昨日辞表を提出して、荊湖道の方へ行って両親の行方を尋ねたいと申し出たが、尤もな事であるが辞職する事を天子はお許しにならない。そこで例の珠を取り出して、それを見ながら母を思い父を思って一人歎息している。すると例の小使いが、前日に自分が拾ったのと同じような珠を大官が見て、何か独り言を云っているが、どういう訳だろうと覗き見をする。王九齢がそれを見つけて、「お前は、私の珠を見て何かブツブツ云ったがどう云うことだ」と訊く、そ奴は大いに恐れ入って、「私は悪いものではありませんが、先日一ツの珠を道で拾いました。それと同じような品を貴方が見て思いに耽っていらっしゃるご様子を見て、つい不審に思い独り言を云って、お耳に達し恐縮でございます。」と答える。「珠はそんなに似ているか」と云うと、「ハイ似ているようでございます。とにかく拝見させていただきたいものでございます」と手に取って見て、「やはり似ております。」と答える。「シテそれは誰の珠だ」と云うと、「ハイ剣南へ送って参りました王慧姫と云う宮女の物でございます」と答える。「そう云う訳ならその珠を持って来て見せろ」と云うと、「イヤ拾いは拾いましたが、今は韓さんと云う者の家にあります」と答えると、「なぜその家にあるのだ」と訊かれるので、「実はコレコレ」とありのままに話をすると、「不思議な事であるが、そのお婆さんが泣いたと云うのはどう云う訳だ」と訊くと、「ハイ自分に子供があったんだそうでございまして、その事を思い出して泣いたそうでございます。」と答える。「シテその子供の名は何と云う」と訊くと、「その子供の名前は」と口まで出かかったけれども、「存知ません」と云う。「お前、それを云うと何か都合が悪いのか」と責められ、「まことに恐れ入ります。実は貴方のお名前とおなじでございます」と云ってしまう。「シテそれはどこの家だ」と訊くと、「城中の西市の酒を売る家です」と答えて、御不信でしたら三人の婦人をこれへ呼んで参りましょうか」と云う。「イヤそれには及ばない、私はこれから孫の家に出掛けなくてはならない」と九齢が云う。孫綱の所へ行くと云うのは、辞職して父母を尋ねに出ようとしたが、天子の許しが出ない。「それではいっその事、官を捨てて父母を尋ねに出て仕舞おう」と云うのを孫綱が聞いて、「イヤそれは宜しくない」と云う。「トハ云え、官に繫がれていて父母を尋ねないのは子の道では無い。罪を得てもやめません。」と話し合っている。
 韓おばさんは年をとっているために、病気になって死んで仕舞う。嫁とおばあさんの二人は仕方なく、引き続いて酒屋をやっている。そこへ先日珠を持って来た奴が主人の王侍講に云い使って、別の珠を持って又やって来る。それを見て、おばあさんが「オヤ、その後幾らでも御馳走しようと思っていたのに、なぜお見えにならなかったのか」と訊くと、「とにかく韓おばさんを呼んでくれ」と云う。「韓おばさんは病気で亡くなった」と云うと、「それは困った、実はまた別に一ツ珠があるのだが」と云うから、「よく珠を持って来る人だ、全体どこから持って来たのか」と手に取って見て、「オヤこれはどうも変だ」と云うと、男は驚いて、「先日持って来た珠は私が拾ったものだから好いが、これは立派な持主の珠だから、迂闊に鑑定して呉れてはいけない」と云う。「イヤ確かにこの珠は家のものだ、どうしてこれが貴方の手に入ったのか、道に落ちていたのを拾ったのか」と訊くから、「イヤそうじゃあない」と云っているところへ嫁が出て来て、「お母さん見せて下さい。」と云って珠を手に取って見ると、自分が情けない思いをして子供を売った時に、子供も首に掛けてやった珠だ。それからもう十年余り経っている。「どうしてこの珠を持って来たのです」と訊ねる。おばあさんも先日珠を持ち出して来て見ると、全く同じだと云う訳である。これを見ると男は、これはもう全く王侍講の関係する人に違い無いと思ったのか、「大婦人、老婦人」と云って地べたに坐ってペコペコ頭を下げる。こちらは何が何だか訳が分からないから、「なぜまた、私達に向ってそんなことを云うのか」と訊く。「イヤ今私がお仕えしている御主人は天子も重く思われている御方だが、御主人がこの珠を見て涙ぐまれていらっしゃるのを覗き見て、ツイよく似た珠があるものと口を滑らせたのが元で、いろいろお尋ねになったのでコレコレと先日ここへ来たことを申し上げたら、それは不思議な事だ、とにかくこの珠を持って行って見せろと云うので持ってきました」云う。嫁は「私の息子なら、涿州で生まれてまだ幾歳(いくつ)でもない」と云う。「イヤそれに違いない、峡西で人となられて、若くして第一等の合格で翰林侍講になられて、今は孫御史の役所に居られる」と云う。「またその孫御史と云う方も涿州の方で、孫綱、字(あざな)を天彛(てんい)と云う人です」と話して聞かせるから、「それは夫の友達だが、貴方は嘘をついているのではないか」と一旦は疑うが、最早明らかに分かったので母娘は手を取り合って喜ぶ。「私はこの事を主人に申し上げて来る」と男は駆けて行って仕舞う。そして役所に帰ると、「あの珠は正(まさ)しく一対の珠で、大夫人も老夫人も共にその家に居られます」と報告する。そこでいよいよ母子の対面と云うことになる。久しぶりの再会で嬉しいが、息子の方は今は大官になっているので身分が違うと云う訳である。
 剣南に居る王楫は段々と出世をして将軍になっているが、老母は戦乱のために何処かへ行って仕舞い、妻は非命に死に、子供は行方が分からない、折角出世はしたが、何の楽しみも無い身の上で、涙は尽きても情は尽きないと、妻を思い母を思い子を思い、「アア詰らないことだ、次第に富貴の身になって来たが妻は死んで終った。将来、諡(おくりな)を贈られて朝廷の恩典に浴したところで、共に喜んでくれる者もなく、つくづく考えて見れば禍福栄枯も全て夢のようなもの、」と一人歎息している。そこへ陳時策がやって来て「何を歎息している」と云う。又、陳の妻すなわち王楫の妹の慧姫が、自分がここへ来る途中で珠を失った話をするが、「イヤナニ肉親が再会したのだから、珠などはどうでもよい」と云う訳で、深く追求しない。ところが朝廷から使いが来て、王と陳の二将軍に枢密院の検書となって都に来るようにと云うことだ。地方官から出世して都に上ると云うのだからマズ名誉な話だ。
 都の方では王侍講が幾度も辞表をお願いしてもお許しが出ないところから、遂に役所を出て仕舞う。「妄りに職を捨てる者は現任を解かれてしまうが、もう構わない。昔から少年にして高官に登って居るのは一ツの不幸、高才で文章をよくするのは二ツの不幸と云っているが、父母と富貴を共に出来ないと云うのは正に大不孝である。役所を捨てて父を訪ねるしかない。何をオメオメしていられよう」と、旅人の姿になってマズ西市の酒屋へ行くと、おばあさんも驚いて、「どうしたことか公服を脱いで旅姿となって」と訊くから、「幸いあなた方二人にお目に掛ったが、まだ父の消息が分からないのに、ノンビリと職に着いては居られません、これから私は父の行方を尋ねなくてはなりません」と云うと、「イヤそれは尤もな話、それならマア気を付けて行きなさい」云われ、「気を付けます。」と云って、王九齢は母と祖母とに一礼して出て行こうとする。「幼い時の別れで父を覚えていないだろう、いきなり会ったところで何を証拠に名乗りが出来る、幸いこの珠を持参して、これを証拠に名乗りなさい、またお前の叔母さんは剣南で軍人の妻になっている、順路ではないが此の珠を持って行って、万一会う事があれば証拠として使いなさい」と二人から珠を貰って、人の羨む官位を捨てて田舎を目指し旅立って行く。
 「禍福は皆天理、人心果して欺く可けんや、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・」と寂しい崋山の正覚庵の中で修業をしている者がいる。これ誰あろう荊湖道の葉清と云う彼の牢役人の成れの果てである。人生のいろいろ様々な事を知り尽くしていたところに、囚人の王楫と云う者が来た、その事から王楫の妻を見て、自分の妻に貰おうとして、夫もそれを許したが、妻の心は火のようで、その操は氷のようで、遂に悲しいことを仕出かして仕舞った。李克成や張有徳は何れも地位があり、またその中の一人は変な知恵もあった奴だが、何れも天火に打たれて死んで終い、王楫は大赦に会って剣南の方へ行って仕舞った。吾が一念の少しく誤り、王楫の一言の少しく誤ったために、彼等母子二人を殺して仕舞った。吾が身に罪はないようなものの、正に地獄の悪業を作っている。今まで見て来た世の中から、又一ツ違った世の中を見ようと僧になり、今はこの草庵で修業している。生死転回眼前にあり、何ぞ用いん仏を拝すると仙を求むると、ただ方寸の心田を耕して好く、広く結ばん三千世上の縁、ポクポクと木魚を叩いてはいないが、一人寂しく暮らしている。そこへ王九齢が親を思う一念から人の羨む官位を捨てて、常人の姿となってやって来た。身体が疲れたところ、見ると僧院がある。今宵はここで一夜の宿を借りようと、扉を叩いて、「どうか泊めて下さい」と云うと、「見る通りの草庵だから何も無いが、どうぞ」と云う。「有難き仕合せ」と宿を貸してもらって眠りに就くが、身体は疲れているけれども心が動いて中々眠れない。「どうにかして父に会いたい」と歎く。思わず洩らした独り言、人にはそれぞれの思いがあるものと知り切っている此の老僧が、「お客さんは寝覚め勝に歎かれているが、」と話しかけると、九齢は、「イヤ御免ください」と挨拶する。「このような月の白く輝く風清らかな僧院で、なぜ安眠されない。」と老僧に云われ、「実は少し家族の心配事で眠られないでいます。」と答えると、「それは一体どういうことか」と段々と親切に尋ねられるから、「私は王九齢と云う者ですが、父がコレコレの訳で行方が分からないので、こうして尋ね歩いている」と話して聞かせる。「父の名は王楫、字は済川、母は郭氏」と云うと、老僧はビックリ仰天して、「それでは王楫先生の御子息か」と云う訳である。「長老は、どうしてそれを御存知か」と訊くと、「もと私は葉清と云う者で、荊湖道でコレコレだ」と昔話をする。テッキリ死んだと思った王楫の妻の郭氏が死なずに居て、現に息子の九齢に会ったので、老僧は慄然として驚く。しかも情けない思いをして売った子供が、年十六才で第一等で合格して翰林侍講になったと云うのだから、生死転回眼前に在りの句が生きて来る訳だ。「それほどの出世をされた貴方が何故また官職を捨てて旅に出られた」と云うから、九齢が、「幾度か辞職をお願いしたがお許しが無かったので、仕方なく官職を投げうって父を訪ねる旅に出た」と云う。「それは有り難い方だ」と老僧は感激する。王楫を罪に陥れた李克成と張有徳の二人は天火に打たれて死んで終った話をする。「まことに善に善報あり悪に悪報あり、天理人身何事も相応じているものである」と話している中に夜も明けたので、九齢は別れを告げて、父が行ったと云う剣南の方へ向って出立する。
 王楫と陳時策とその妻の慧姫の三人は、王と陳の二将軍が都の役人になったので剣南を後にして都を目指してやって来る。丁度、漢中の喜陵駅と云う川のほとりで、日本で云えば木曽と云うような景色の好い所へ来ると、大変好い月なので、旅ではあるが王楫と陳時策の両人は連れ立って宿を出て漫(そぞ)ろ歩く。月は好し景色は好し、マズ猿でも啼こうと云う場所である。こちらは九齢、父は剣南の方へ行ったと聞いたのでドンドン歩いて来る。道に迷って何時の間にか日が暮れて、飛んでも無い時刻になった。見ると向うから二人連れがやって来る。あの人たちに道を訊こうかと思いつつ、辺りの景色を眺めて、「まことに身も心も忘れるような好い景色だ」と呟(つぶや)くと、来かかった二人がそれを耳に留めて、この若者は俗でない、吾々と同好の人だ、話をして見ようと云うことになる。陳時策が、「それも好いだろう」と云いながら若者を見て、「オヤこの若者は兄上に似ている」と云うと、王楫は「イヤ孔子も陽虎に似ているから顔が似ていると云うことは当てにならない」と答える。九齢がこれを聞いて、「未だお目に掛った事もなく今初めてお会いしたのに、何を云われたのですか」と云うと、王楫が「イヤ何、貴方と私の顔が似ているとこの連れが云うのです」と答える。「お姿から御身分のある方々とお見受けしますが、お役人ですか」と九齢が訊ねる。「御洞察とあれば致し方ない、実はコレコレこう云う身分の者」と二人が名乗るので、「イヤ先に申すべきでしたが、私はこう云う者です」と九齢も名乗りかける。互いに驚いて、「シテ御両人はどちらへお出でになられますか」と九齢が訊くと、「吾々は剣南に居た者だが今度都に赴いて役務に着く」と答えがある。「剣南に居られたのならぜひお訊きしたいのですが、彼の征衣詩の話を聞かれた事が御座いますか」と云うと、「イヤあれは奇遇なので人が喜んで評判にするが、貴方もあんな詰らないことをお尋ねか」と云う。「イヤその征衣詩を寄せた婦人とは少々縁がある」と云い出すから、王楫は若者からより詳しく話を聞こうと訊ねると、「一言では云えません」と、ここで九齢が悲しみながら訳を物語る。「父は人に陥れられて獄に入れられました」「シテその罪状は」「それは凶器を持って長官に刃向かった罪で、秋には死刑と決まって刑期も迫っていましたが、幸いに命だけは大赦で助かったが、辺境の守りにやられてその行方が分かりません」と云う。「シテその辺境の地は何処」と訊かれるから、「今までは一向に分からなかったが、最近ある僧房で剣南に行ったと聞きました」と答えると、「お父上のご様子をつい最近まで御存知なかったのか」と云うので、「実は母がコレコレ」と込み入った訳を話して、「そこで父を尋ねて剣南へ行きます。」と云う。姓名を訊くと、「王九齢と云う者です」と云う。そこで陳時策が代って質問する。「失礼ですが、その尋ねる父上の姓名は」と云うから、九齢が、「父の姓は王、名は楫、字は済川、母は郭氏、父の年は今年四十一、母は三十九、祖母は盛氏と云って安禄山の乱に遭ってコレコレこう」と話をして、「シテ貴方の御姓名は」と訊くと、「私は陳時策と云う者で、恐縮だが貴方と同郷だ」と答える。「貴方が陳献夫ですか、それでは孫天彛を御存知ですか、そういろいろ仰(おっしゃ)るところを見ると、私の父の所在も御存知に違いない、どうかお教えください」と頼む。「イヤ、マズ私の方から訊きたいが、その今の征衣詩の宮女と貴方は縁があると云われたが、その宮女の何に当る人か」と云うから、「その宮女は私の父の妹で慧姫と云う者で、私の叔母に当ります」と答える。「そうですか、貴方が父上に会いたいのであれば、お会いなさるが宜しい、即ちこの方がそうだ」と初めて王楫を引き合わせる。ここで親子が抱き合って泣く。九齢は跪(ひざま)いて父に礼をして、共に宿に行くと、そこに叔母の慧姫がいて、それにも対面して、四人一緒に都へ上って、メデタシメデタシと云うことになる。
(大正七年十一月)

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