「水無月とかき氷」-若旦さんの単純な散文#12
6月30日が終わって、7月に入った。
京都は「夏越の大祓」のムーブメントから一気に「祇園祭」へ衣替え。
四条中心地では色々な場所で、祇園囃子が録音・生音問わず鳴り響く。
聴きすぎて幻聴か?と思うぐらいに。
今年の日本の夏は現時点で例年以上の酷暑。京都も例外ではなく、毎日"殺人光線"のような日差しが振り注いで、打ち水をしても瞬間で乾く。
そんな状況なので、鳴海餅本店でも「かき氷」を始めた。
コロナ前にずっとやっていたのを、満を辞して7月から再開した形だが、初日から結構な数のご来店。
まぁ、これだけ暑けりゃ。。。とひとりごちた瞬間、ふと「水無月」が頭に浮かんだ。
6月30日に厄除け祈願で食べる水無月は形の由来に"氷を模したもの"という説が伝わっている。
"氷の朔日"という、帝が家臣たちに氷を配り暑気払いをするという宮中の行事を庶民が真似て、氷型の菓子を作ったのだそうだ。
冷凍庫もない当時、氷の保管は山中の氷室で行われ、冬場に自然とできた氷を運び込み、夏になったら運び出す。真に貴族階級しか食べられない貴重な品だ。
そんな貴族でも頻繁にお目にかかれる代物ではなく、清少納言が枕草子に"かき氷"を食べた話を残すほど。
そんな貴重品を庶民がおいそれと食べられるはずもなく、菓子を氷の形に似せることで涼を得ようと考えたのだという。
そんな氷への執念(というか"涼"?)が具現化したようなお菓子の旬を過ぎたタイミングに本物の氷を砕いて売る。なかなか皮肉の効いた売り出し方じゃあないか。
まだ、"水無月"も販売する予定なので、ぜひ"エアコン"の効いたイートインで、"かき氷"と一緒に召し上がってみてらいかがか。
平安時代水準で行けば一端の貴族よりも贅沢な瞬間が味わえるに違いない。
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