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[75]春霞 三句

本の虫野焼きの香りに顔を出す

春霞煙うとうと昇りゆく

春雨に上着も居眠り覚まされる


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寒さが緩んでいる。
陽射しも心なしか柔らかい。
どこかで鋼材を下ろす音が
微かな振動とともに聞こえてくる。
いつもなら驚かされる重く高いこの音が、
ぽかんぽかんとのどかに響く。
気付くと、
洗濯物を干す動作ものんびりしていた。

春霞は大気の質も変えるようだ。
そんな、
淡い葛湯のようにとろりとした空気の中でも
香りは届くらしい。
珍しくも懐かしいその香りの主を、
目を閉じて探すともなく探してみる。
あぁ。
これは枯草を焼く香りだ。

一般的には好ましい香りではないかもしれない。
洗濯物にこの香りが付くのは
たしかに少し気になるけれど、
その考えに反して、
懐かしさにしばらくあたりを眺めてみる。

野焼きが見られなくなって久しいが、
それでも時折、
近所の畑の片隅で
こぢんまりと枯草を焼いていることがある。

乾燥した草の香りと、
湿った土の香り。
燃え始めのシューシューと燻ぶる煙。
臨界点を超えて軽やかに踊り始める炎。
それらがないまぜになって、
おっとりと、でも真っ直ぐに引き上げられるように
天に昇ってゆく煙。

今日はコートはいらないだろう。
その香りが教え誘ってくれる。
寒さに強張っていた肩の力を抜いて、
出かけてみるのもいいんじゃないか、と。
煙に燻りだされる虫のように
本の虫も煙の香りに誘われ
薄暗い穴から出ることにする。

このまま永遠に続くかと思われる
平和に満ちたのどかな日だ。
煙はそれでも思い出したように
ゆっくりと昇っている。
うたた寝をするように、
気が付いたら進むようなあんばいだ。

公園には、
歩くともなく歩き、
座るともなく座る、
そんな人々が
集まるともなく集まっている。
私もその、
ただこの空気を味わうためだけに
集ってしまった人々の、
のどかで緩やかな集会に参加してみる。

いつもなら素通りするベンチに座る。
ベンチはほんの少しひんやりとするが、
すぐに馴染んだ。
陽射しを受けた体は光合成でもするようだ。
なんともいえない
平和と安心感がそこから体中に広がり
ベンチと一緒にあたたまってゆく。
軽く羽織っていた上着も、
ベンチでしばし休憩だ。

どのくらい経ったのだろうか。
いつの間にか陽射しが弱々しくなっていた。
空気が生ぬるく湿り気を帯びている。
ぽつ、ぽつ、と、
細かい雨が遠慮がちに肩をたたく。

春霞の魔法にでもかかっていたようだ。
覚めやらぬ頭で体を動かそうとする。
なにやら自分の思いのままに腕が動くことに
小さな驚きと喜びを感じて新鮮だ。
側で寝ていた上着を抱える。

あの煙も、
この雨で静かに消えるのだろう。
この霞のように。

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