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[71]七草探し

セリナズナ霜にきらめくホトケノザ
七宝しちほう探すスズナスズシロ


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早朝、白い息を吐きながら家の敷地に隣接する畑に向かう。私の数歩先を母が歩いている。まだ赤みを帯びる朝陽を浴びて、母の輪郭が柿色に縁取られる。小学生の私はザルを抱え、寒さに肩をすくめながら母の後をついていく。今日は一月七日。朝食の七草がゆに入れる七草を探すのだ。

腰をかがめ雑草をかき分け七草を探す母の側で、私は何度も太く長く息を吐き出していた。吐き出された息が対流してまとまり、朝陽に透けて輝き、そして消えていく様を楽しんだ。また、よく成長した霜柱を探した。霜柱が土を支える様子は小さな神殿を想像させた。そこには小さな生き物たちが生活しているだろう。その想像の中の小さな世界とともに霜柱を踏み潰す。微かな罪悪感とともに心地よい感触を味わい、神殿が壊れる音に耳を澄ました。

母は七草を探しながら語るともなく語る。
私も返すともなく返事をする。
「なんでだかねぇ。昔っから七日の朝に食べるわねぇ。お正月に食べ過ぎた胃を休めるって言うわねぇ。」「ふん。」「昔はよくこの辺にセリがフワフワ生えてたけんがねぇ。」「ふーん。」「ホトケノザってねぇ、茎がツーっとのびて葉っぱン丸くて紫の花ン咲くね。あれじゃぁないだよね、七草のホトケノザは。あぁこれだぃね、この地面にびたっと広がってるの。」「これ?」

ところで、ホトケノザといえば春の七草ではないシソ科の方が馴染みがあるだろう。何やら気品を感じさせる独特の形が印象的な草花だ。草丈は大人の手長ほど、すらりと伸びた茎を濃い緑色の扇状の葉が対になって囲む。春になるとその葉の付け根に赤紫色の花をつける。
一方、春の七草のホトケノザはキク科で、小さなタンポポのようだ。赤茶色がかったのこぎり状の葉を地面に張り付くように放射状に広げ、春になればその中心に控えめな黄色い花をつける。前者に比べてとても地味な印象だ。

しかし、その朝の姿はまるで違って見えた。
赤茶色の葉色とうっすらとまとった霜の白さは、互いを引き立て合っていた。優雅に波うつ葉の縁はドレスの裾のように大粒の霜で美しく装飾され、朝陽を反射して繊細にきらめいた。放射状に広がるその姿は結晶のようにも見えた。

高く昇ってゆく朝陽を浴びながら、私たちは低く静かに語らい宝探しを続ける。白い息が陽に透けながら消えてゆく。

何十年か経った今、冬は以前より暖かくなり霜柱を見かけることもほとんどなくなった。
あの時、私はどんな顔をしていただろうかと考える。
しっかりした子だと、周りの大人には言われていた。しかし陽気な性格ではなかった。はっきりものを言う方でもなかった。もしかして、朝からお手伝いに引っ張り出されて不貞腐れていたかもしれない。もしかして、眠くて不機嫌だったかもしれない。

しかし今となっては、断片的で不確かな記憶だとしても、七草をこんな風に、宝探しとして思い出せる私の、なんと幸福なことだろう。ともかく、当時の私が母を悲しませていないことを祈る。そして、母に深く感謝する。同時に、もし不貞腐れていたとしても不機嫌だったとしても、母と一緒に七草を探した当時の自分に、心からありがとうと言いたい。

仏教の七宝(しちほう)という言葉を思い出していた。
極楽浄土のあらゆるものは、金や銀、瑠璃などの七種の宝でできているとされ、その荘厳さがそれらによって表現された。
当時の私はもちろんこの言葉を知らなかったが、七草を探しながら、探すまでもなく、世界はあらかじめ宝でできているのだとわかっていたのだろう。

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